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チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

「カルネ」はるさんの思い出

2023年07月06日 | 思い出

晴、23度、93%

 「カルネ」という調理パンをご存知でしょうか?京都のパン屋さんが作っている、ロースハムに軽く火を通した玉ねぎを挟んだ調理パンです。 このパンは私の友人の大好物でした。8年前、友人は若くして逝きました。友人の命日にご家族が「カルネ」を送ってくださいました。

 友人とは香港で知り合いました。彼女は帰国する度にたくさんのお土産を持って来てくれました。和菓子、洋菓子、お野菜、お漬物、そして必ず「カルネ」。ちょっと早口な声で電話がかかります。「真奈さん、今日時間あります?」香港に着いてすぐの電話です。なぜなら「カルネ」はその日のうちに食べないといけません。我が家に届けてくれることもありますが、大きな袋を抱えて電車の改札口で受け取ることもしばしばでした。お土産を手渡され、「真奈さん、温め直してくださいよ。」と念を押されます。「カルネ」のことです。

 「カルネ」を見ると急いで食べなくてはと思います。早速、 一つ目は焦がしてしまいました。 半分に割るとふかふかのバンズの間から玉ねぎとハムの香りがします。普通のように見えますが、この「カルネ」の美味しさは見えないところに潜んでいます。パンに塗ってあるのは「マーガリン」と「ラード」です。これが美味しい決め手です。「このマーガリンがいいんですよ。」という友人の声が耳に聞こえます。

 気丈な彼女でした。せっかちに話すのにどこか悠長、きちっとしているのにぽっかりとおかしなことをする人でした。スペインが好きで、ピカソが好きで。久しぶりの「カルネ」を食べながら彼女のことを思い出します。

 はるさんありがとう。

 


膝小僧の擦り傷

2023年03月03日 | 思い出

晴、3度、70%

 孫娘の誕生祝いに主人が自転車を贈りました。9歳で3台目の自転車です。お休みには家族で遠出をしています。休み明け孫娘からメールが来ました。「怪我した。」咄嗟に私は孫娘の膝に擦り傷がと思いました。膝小僧かどうかわわかりませんが、大したことなく痛くもないよと言って来ました。

 咄嗟に膝小僧が思い浮かぶ私は、孫娘と同じ年齢の頃一年中、膝小僧に擦り傷がありました。転ぶこと、木に登って落ちること、原因は様々です。学校の「医務室」の保健の先生とは仲良し、傷口に「オキスフル」を塗ってもらい「赤チン」で終わりのこともあれば、傷が深いときは「赤チン」でなく「ヨードチンキ」が塗られました。絶え間なく私の膝には「赤チン」がついていました。治り始めると痒くなります。うっかり掻き過ぎてかさぶたから再び血が出ることもしばしばでした。

 ここ数日小学生の膝小僧に目を遣りますが、擦り傷している子供なんて一人もいません。「オキシフル」「赤チン」「ヨードチンキ」が既に前世代のものです。膝小僧の擦り傷は小学高学年まで続きました。65歳の膝小僧を見ました。傷はありませんが、かさぶたをこさえていた頃の若い膝小僧が見えました。「昭和」の話です。

 


主人が初めて買ってくれたもの

2022年07月31日 | 思い出

曇、29度、74%

 掃除をしていてふと手が止まって、小さな入れ物の蓋を取りました。 5センチほどの中国の塗りの入れ物です。双魚が描かれていたのですが、安い代物で2匹とも取れました。中を見たのはもうずっと以前、帰国後初めて開けたのかもしれません。何を入れてあるのか忘れています。

 出て来たのは小さなイヤリング、片方だけです。小さく花が描かれたガラス玉がぶら下がるイヤリングです。これは結婚前の主人が初めて私に買ってくれたものです。

 45年前、自由が丘の夜の街を散歩していました。当時の自由が丘今ほどの賑わいはありませんでしたが、若い人が集まる街でした。駅近くの路上に布を広げて手作りのアクセサリーを売っていました。しゃがんで見ていると、まだ結婚する前の主人が「どれか買ってあげるよ。」と言ってくれました。選んだのがこのイヤリングです。ちゃんと2つ揃っていました。毎日身につけて大事にしていましたが、ある時片方ないのに気付きました。落としたのです。

 イヤリングが好きでたくさん持っていました。そして片方だけになったイヤリングもたくさんありました。帰国前、片方のイヤリングは全部捨てました。このイヤリングだけは捨てれませんでした。そして小さな黒塗りの入れ物に入れて引っ越しの荷物に入れました。5年間一度も開けなかったのに、何の拍子にか蓋を取りました。

 45年、長いようで短くもありました。思い出が次から次に胸をよぎります。実はこの小さな黒塗りの入れ物は香港で初めて主人が私に買ってくれたものです。昔のピークのお土産物屋さん、香港が見渡せるピークはその日はガスがかかっていて何もみえませんでした。小学生の息子も一緒でした。まさか30年も住むことになるとは思ってもいなかった香港生活が始まったばかりの頃です。

 おそらく主人はイヤリングも入れ物のことも記憶にはないと思います。