ところが公園沿いの道路(2メートルくらい上がったところ)に面してお寺さんがあった。
とても雰囲気がいいので、ちょっと行ってみることにした。

無量寺というお寺さん。

南天の花



弘法大師

書体がとても読みにくいが「動物供養」と書かせている。
家畜にまつわるものか、ペットにまつわるものか分からない。


境内全景

休憩施設。とても雰囲気がいい。
近隣の同程度の広さのお寺さんでは、こういった休憩施設は滅多に見かけない。
檀家さんからのご要望なのかな?
親切なお寺さんだなぁと感じた。




石に刻まれていたが、なぜ絵図で解説してあるのだろう?

裏の門。ここから墓地に向かう通路になっているようだ。
私以外に人を見かけなかったが、とても雰囲気があるお寺さん。
建物も雰囲気も好きだなぁ。
そしてあじさいが似合う。
帰宅してから「川崎の民間信仰」(川崎市民ミュージアム刊)によると、たくさん並んだお地蔵さんは、枝豆地蔵というそうだ。
昭和10年代までは年間に10人以上の子どもが亡くなることもあり、子どもが健やかに育つことを願って、このお地蔵さんに枝豆を備えたそう。
すぐ向かい側には児童公園があるし、子育てに熱心な信仰のおかげなのだろうか?
裏の門を出てからフラフラ歩いて行くと、すぐ近くに鳥居があった。

こんなところに神社があったっけ??と取りあえず歩み寄る。

中丸子神明大神だった。10年以上前に1度来たことがあるけど鳥居がないところから 敷地に入ったので、この鳥居をくぐるのは初めて。


この狛犬、奉納している人は東京都内の人たち、石工は鶴見の職人さん。
狛犬奉納は地元の人たちによるモノばかり見てきたので、そんなに広く信仰されている神社なのだろうか?

裏面には在郷軍人の名前が刻まれている。大正三年に建立されたので、てっきり日清・日露戦争の戦没者記念碑だと思ったのだが、そうではなかった。
この大きさの神社なら巨大な忠魂碑があるモノだと思っていたが、そういう訳ではないらしい。


「おしゃもじ」と書かれている。何だろう?と思って前出の本を見ると載っている。
古くは子どもの病気平癒、良縁を求める女性、厄年の女性から信仰があるという。女性からの信仰を集めていたそうだ。
ところが子どもが死ぬことが減り、女性の社会進出が増えるにつけ今はお参りする人は皆無だとか。
そのせいか、境内の裏にひっそりと置かれていた。




境内の一角にお稲荷さん。


お狐さんが、檻に入れられていてなんだか気の毒だ。
細工が細かいので、イタズラされたりして壊れてしまうのだろう。
それにしても、神使が檻に入れられているようで少々窮屈そうだ。

この神社は、たくさんの鳥の声が聞こえる。
私は野鳥のことは分からないが、素人の私でも5~6種類の鳴き声を聞き分けられた。
すぐ脇に南武沿線道路という幹線道路があるにも関わらず、穏やかな雰囲気があるのだ。
前出の本では、ここに池があったとか、様々な民間信仰があったとか、この地域での信仰の中心地だったと書かれている。
多摩川の堤防を除けば、ここは僅かだが地域での標高が高いようだ。
人を惹きつけるなにかがあるのだろうか?
私には穏やかな緑の空間、鎮守の森とはこういう場所をいうのかな?と想像をかき立てられる。
さてついでなので近くの緑道も行ってみることにした。

JR南武線の踏切から向河原駅方面を望む。

JR南武線の踏切から平間駅方面を望む。
私は近くに踏切がない沿線で育ったので、子どもの時に徒歩で踏切を渡るのが怖くて仕方がなかった。
今の住まいに引っ越してくるまでは、日常的に踏切を渡らなかった。
だから、いまだに踏切を歩いて渡るのは少々緊張する。

踏切を渡って暫く歩いた場所。
もう10年くらい前になるが、夜の散歩中にここでハクビシンと出会った。
以前(今年1月)に 紹介している緑道が近くにあるので行ってみることにした。
この緑道は、南武線と横須賀線をつなぐ貨物専用の線路跡地だという。
初めて歩いたときは、用水路を埋め立てたモノだと思っていたが、良く考えると近くの道路より一段高いので廃線跡だ。

ここはツツジの方が多いが、すでに花は終わっている。
数は多くはないが、あじさいを探して撮影した。













中丸子緑道と比べると確かに品種も株数も少なく感じるが、見応えもあるし、何よりもここも人が少なくて快適。
そしてもの凄く
手入れが行き届いている緑道だ。
ごみが全然落ちていない。
地域の方々が清潔に維持をしてくださっているのだろう。本当にありがたいことだ。
私のように地域をフラフラ散歩するだけの、何の役にも立っていない人間が気持ちよく散歩できるのはひとえに地域の方々が維持管理してくださるおかげなのだ。
このあと気をよくした私はドクターイエローを鑑賞して帰宅した。