って言えば皆さんは何を思い浮かべるでしょうか
そう、あの忌まわしい3・11からもうすぐ一年が巡ってきます
今夜、いつものように或る方の日記を拝見したものの
何もコメントができませんでした
あの日
私は勤務先の3階でイスに座って手作業をしていました
目眩っていうのかな・・
気分が悪くなるような横揺れで
最初は自身の身体に異変が起きているのだと錯覚していました
天井の蛍光灯が揺れているのを見たとき
初めて地震だと気づき
後方で同じく座って作業をしていた先輩さんに
「地震じゃないですか?揺れてますよね」
って声を掛けたんです
「・・・死ぬ時は皆一緒だから・・・」
えっ?
・・返す言葉が見つからない
「皆一緒って言ったって・・」
ふと、家族のことが胸の内によぎった
この私の思い間違っているでしょうか・・?
そして、家に帰ってからTVを点けると
津波の場面
まるで映画のワンシーンのようで
それを撮影していた男性も
「ああぁぁあー」と
絶叫にもならない声・・
あれからもうすぐ1年
私は何をしてきただろうか
何が出来るだろうか
『生きる』のに精一杯なmakoがいる他は
何もないことにいまさらながら気が付いた
ごめんなさい被災地
毎日毎日、悲惨な被災地の映像が写され、
ポポポポ~ンのCMしか流れず、
何かしなきゃ何かを・・と焦り
自分の無力さを攻めました。
ところが今ではすっかりではないにしろ、
震災のことすら忘れることもあり、
贅沢もしてます。
人間て苦しいことを、
忘れるようにできているのでしょうかね。
いつか東北に行き、応援したい・・
と思うことが大切なことなのでしょう。
「何が出来たんだろうか?」と自問自答しても
答えは「出来なかったね」でした
それでも被災地の事を思わない日は無かった
忘れないことが大切です
直接の支援は出来ないけれど
間接的に応援し続けようと思います
成ることも知らず10日は草津温泉から
日光あたりを旅行中でした。
10日の夜遅く家路に着き翌日のニュースで
大びっくりでした。もう1日旅行がずれて
いたら私は大阪には変えられなかったです。
そして、自分に与えられた命を最後まで生き通すことだと思います。
それで充分だと思います。
そしてたまには東北の食材やお酒を買ってねw
こまめにコンセント抜くことなど
でも当たり前のことだった
自身のぬるさが情けないですね
忘れない事ですね
ご無事で何よりでした
私にはたっくさんのことがあります
その中に被災者の方々のことも
含めていました
もう生きるのも止めようかなと思った
こともあった私でしたが
それは「思いあがった」考えだと気が付きました
東北の物産展などがありましたら
買いますよ!
取り寄せでもいいですよね
とりあえず、shinさんのケーキかな~♪
なんちゃって!