◎2019年6月28日(金)
老いた母を浦和に住む兄がようやく自宅に引き取って三か月になる。その間、こちらから足を向けたことはなかった。そろそろ様子を見に行かなくてはと思っていたところだ。17号線で向かうと、大宮バイパスに入ってから車の流れが悪くなり。二時間半近くかかった。兄の話では、母はボケが進んでいるようだが、自分の前ではそういった素振りは見せず、元気そうだったし、一時間半ほどいて太平山のツツジ見物に向かう。もっといると、兄と酒を飲みそうになるので、兄が何か出前を頼もうかと言い出したのを潮に退散した。その間、兄は発泡酒を飲んでいた。缶チューはないのかと聞きたいのをこらえていた。
太平山神社下には「あじさい坂」というスポットがあって、その坂沿いに咲くアジサイは群生していて見事らしい。妻にそのことを話すと、行ったことがあるとのこと。中学の遠足時の引率だったようだ。自分は行ったことはなく、こちらから太平山神社に登るのも当然初めてになる。
芭蕉の句に「紫陽花や帷子時(かたときびら)の薄浅黄」というのがある。アジサイが薄い浅黄色になると、同じ色の帷子を着るような季節(=夏)になると詠んだものだが、ある意味で暑苦しい夏の到来の象徴の花とも言えるし、三百年前は梅雨明けでも、暑いながらも風が通ってすがすがしい季節だったといったイメージが浮かぶ。片や子規は「紫陽花や昨日の誠 今日の誠」という句を残している。アジサイの色は変化する。それは人間の心と同じだ。芭蕉はアジサイを肯定的にとらえ、子規のアジサイに対する印象はあまり良くないようだ。
自分は正直のところアジサイは好きではない。理由はその派手さと終焉の汚さ。庭先の単体だけを見ている限りは、うるさそうな暑苦しい花だなとしか感じないが、霧雨の中、梅雨の雨粒を花や葉に含んだ様には風情を感じる。これが群生だったらどうだろうか。それも、陽を浴びて疲れた感じのアジサイではなく、雨に濡れ、周囲が霧雨、もしくはガスがかかっていれば最高だ。さぞ幻想的だろう。こんな感慨は、アジサイに限らず、ツツジにしても同じだ。雨のあたった花には、別の顔をした美しさがある。その雨とのコンビネーションに触れたくて、台風が来て確実に雨らしい今日、代休をとった。
さすがに浦和からでは下の道を通るというわけにもいかず、浦和インターから栃木インターまでの高速利用となる。軽自動車だったためか意外と長く感じた。金曜日だからか、車は多く、そのほとんどが大型。現地に到着。無料と思っていた駐車代は300円とられた。この時期だけかもしれない。入場料を取られないだけでもましだ。取りづらいということもあるだろう。他の道を経由して太平山神社から下って来る人に一々チェックもできまい。平日なのに結構、見物客がいる。今日は結果的に台風の影響もなく、雨がぱらつく程度で、車から外に出るとむっとする湿気に襲われた。この分では、風情あるアジサイは期待できまい。
ゆっくりと坂を登りながら左右のアジサイを鑑賞した。雨粒を含んだアジサイは残念ながら見ることはできなかったが、今が盛りらしく、茶色に変色しかけた花はない。
あじさい坂沿いのアジサイは六角堂から始まり、太平宮の鳥居まで続く。すぐに猛烈な湿気で汗だくになり、帽子の隙間からたまにメガネに汗が落ちる。汗拭きの手ぬぐいはすでにびっしょりになっていた。
その後しばらくはアジサイも消え、車道を渡ると随神門。ここからまた太平山神社までアジサイが続く。あじさい坂と呼ばれるのは随神門までのようだが、神社までの突き上げるような階段のアジサイはあじさい坂に比べればまばらではあるが、相応に見ごたえはある。
太平山神社に出て茶店のある展望地に向かう。期待はしていなかったが、やはり視界の範囲は栃木市内で、その先はガスで見えない。時間はすでに2時近くになっている。食べ物は持参していない。茶店にラーメン550円のメニューが張ってあったので、ここでラーメンを食べる。店内は他に客はいず、冷水を湯呑み茶碗で2杯飲むと、さらに発汗はひどくなり、小型のザックからタオルを出して頭と顔の汗を拭いた。脱いだ帽子は広い汗じみになっていた。南の展望地の方から流れる微風が心地よい。
ラーメンは550円にしてはこんなものだろうと思う味だったが、自分にはしょっぱかった。そのため、さらに冷たい水を飲む始末になり、汗はだらだらと下りの最中にも続いた。
当初、その気になれ太平山神社の奥社(山頂)に行き、晃石山方面まで行ってもいいかなと思っていたが、このベットリ感で、そんな気は起こらない。登って来た石段を下る。来た時よりも見物客は多くなっていて、下では教師に引率された高学年の小学生の団体がやって来た。子供たちは元気に「コンニチワ」と言うものだから、少なくとも50回は返事をした。
駐車場に戻る。これからの予定は足利のペインクリニック。座骨神経痛で整骨院にまめに通ってはいるが、実際のところ、少しも痛みは改善しない。とうとう、ペインクリニックのお世話になることにした。このクリニックで、以前、首だったか肩の痛みを診てもらい、痛みがとれた経緯があった。先週行くと硬膜外ブロックなる注射を打たれ、すぐに腰下の痛みが半減した。今日はその続きだ。これをやると、注射後当日の入浴は不可なので、アジサイ見物でどうせ汗もかくだろうと、銭湯に寄ってからクリニックに行くという段取りにしていた。蛇足だが、このブロック注射は高い。麻酔もするので、健保3割負担で3,000円近くの出費になる。背に腹は代えられない。
時刻は2時半。受付は7時までだからまだ楽勝だ。大小寺のアジサイにでも寄り道しようか。もちろん、歩いて行く気にはなれず、車移動だが、ナビをセットすると、9km以上ある。かなりの大回りだ。時間はかかるが、林道含みのハイキングコースを歩けばほんの数キロのはず。全身ベトベトでこれ以上の汗をかきたくもなく、車頼りになった。
大中寺にもアジサイは咲いていたが、こちちらの見物客はほんの数人。あじさい坂に比べたら群生はしていないものの、花はこちらの方が大きい。
境内を一回りし、さて帰るかと、車に戻る。ここからおかしなことになった。
隣に群馬ナンバーの車があり、自分が遠回りしながら戻ってくる間に寺のアジサイは見終えたのだろうか、男性が車の脇に突っ立っていた。群馬のどこですかと聞かれ、太田ですよと答えると、オッサン(とはいっても、自分よりも年は数歳下だった)は伊勢崎から来たとのこと。その時は、ここの前に岩船の高勝寺に寄ってきて、これからあじさい坂に向かうとのことだったので、じゃ、気をつけてと、普通ならそれで終わる。ところが終わらなかった。
スマホに入れた高勝寺で撮った写真を見せられ、話題はどんどん広がって行く。海外旅行が好きで、イスタンブールやバーレーン、ポルトガル、果てはベトナムの写真。世界中を歩いているようだ。ベトナムには年に二回は行くそうな。国内もほとんど歩いているようで、英語も堪能らしい。果て、このオッサン、何をしてんだろうと思いきや、すでにリタイアだそうで、相当の貯蓄で遊んでいるのだろうが、見た目は、何を糧にして生活しているのだろうかといぶかるような風体で、長い髪を後ろで束ね、口ひげも生やしている。大方、自由業でやっていたのだろう。このオッサン、自分としてはうらやましい旅話を一方的にしゃべり続けるわけでもなく、かつて自分でも夢中になったという山歩き、カメラにも、こちらの話に耳を傾けては意見を返したり、聞きもする。何とも不思議な人で、とうとう、オッサンは車から灰皿を出してきて長時間おしゃべりの態勢になった。こちらもタバコに付き合うことになる。
話は尽きなく時間が気になった。雨が降ってきたので、「じゃ、今度、またどこかで」と別れたが、これに費やした時間はほぼ40分。クリニックに行く前に銭湯に寄る時間はなくなってしまった。何せ行くつもりの銭湯はただの風呂屋ではなく、たまには奮発しようと入浴料1,200円の温泉施設にしていた。さっさと40分で出てしまうのではもったいない。あきらめた。医師はともかく、尻を出してのブロック注射だ。若い看護師にも見られる。パンツくらいは履き替えようかと思ったが、今さらそんなことを恥じ入る年でもないだろう。不思議なことだが、あのオッサンは、このオレの前職が公務員と思ったらしい。そんなことをこちらから何も言ってはいないが、自分にはそんな雰囲気が漂っているのだろうか。かなりショックを受けた。
クリニックに向かいながら、やはり、汗臭い身体が気になった。このままで診察を受けて尻出しの注射では、看護師もどんな顔をするだろう。やはり羞恥心だけはぬぐい切れない。コンビニに立ち寄り、タバコを買ってトイレに入り、ベタついた肛門と股間を手で洗い清め、パンツも履き替えた。ペーパーのカスがあちこちに残ったが、これで余計な心配も少しは解消した。
老いた母を浦和に住む兄がようやく自宅に引き取って三か月になる。その間、こちらから足を向けたことはなかった。そろそろ様子を見に行かなくてはと思っていたところだ。17号線で向かうと、大宮バイパスに入ってから車の流れが悪くなり。二時間半近くかかった。兄の話では、母はボケが進んでいるようだが、自分の前ではそういった素振りは見せず、元気そうだったし、一時間半ほどいて太平山のツツジ見物に向かう。もっといると、兄と酒を飲みそうになるので、兄が何か出前を頼もうかと言い出したのを潮に退散した。その間、兄は発泡酒を飲んでいた。缶チューはないのかと聞きたいのをこらえていた。
太平山神社下には「あじさい坂」というスポットがあって、その坂沿いに咲くアジサイは群生していて見事らしい。妻にそのことを話すと、行ったことがあるとのこと。中学の遠足時の引率だったようだ。自分は行ったことはなく、こちらから太平山神社に登るのも当然初めてになる。
芭蕉の句に「紫陽花や帷子時(かたときびら)の薄浅黄」というのがある。アジサイが薄い浅黄色になると、同じ色の帷子を着るような季節(=夏)になると詠んだものだが、ある意味で暑苦しい夏の到来の象徴の花とも言えるし、三百年前は梅雨明けでも、暑いながらも風が通ってすがすがしい季節だったといったイメージが浮かぶ。片や子規は「紫陽花や昨日の誠 今日の誠」という句を残している。アジサイの色は変化する。それは人間の心と同じだ。芭蕉はアジサイを肯定的にとらえ、子規のアジサイに対する印象はあまり良くないようだ。
自分は正直のところアジサイは好きではない。理由はその派手さと終焉の汚さ。庭先の単体だけを見ている限りは、うるさそうな暑苦しい花だなとしか感じないが、霧雨の中、梅雨の雨粒を花や葉に含んだ様には風情を感じる。これが群生だったらどうだろうか。それも、陽を浴びて疲れた感じのアジサイではなく、雨に濡れ、周囲が霧雨、もしくはガスがかかっていれば最高だ。さぞ幻想的だろう。こんな感慨は、アジサイに限らず、ツツジにしても同じだ。雨のあたった花には、別の顔をした美しさがある。その雨とのコンビネーションに触れたくて、台風が来て確実に雨らしい今日、代休をとった。
さすがに浦和からでは下の道を通るというわけにもいかず、浦和インターから栃木インターまでの高速利用となる。軽自動車だったためか意外と長く感じた。金曜日だからか、車は多く、そのほとんどが大型。現地に到着。無料と思っていた駐車代は300円とられた。この時期だけかもしれない。入場料を取られないだけでもましだ。取りづらいということもあるだろう。他の道を経由して太平山神社から下って来る人に一々チェックもできまい。平日なのに結構、見物客がいる。今日は結果的に台風の影響もなく、雨がぱらつく程度で、車から外に出るとむっとする湿気に襲われた。この分では、風情あるアジサイは期待できまい。
ゆっくりと坂を登りながら左右のアジサイを鑑賞した。雨粒を含んだアジサイは残念ながら見ることはできなかったが、今が盛りらしく、茶色に変色しかけた花はない。
あじさい坂沿いのアジサイは六角堂から始まり、太平宮の鳥居まで続く。すぐに猛烈な湿気で汗だくになり、帽子の隙間からたまにメガネに汗が落ちる。汗拭きの手ぬぐいはすでにびっしょりになっていた。
その後しばらくはアジサイも消え、車道を渡ると随神門。ここからまた太平山神社までアジサイが続く。あじさい坂と呼ばれるのは随神門までのようだが、神社までの突き上げるような階段のアジサイはあじさい坂に比べればまばらではあるが、相応に見ごたえはある。
太平山神社に出て茶店のある展望地に向かう。期待はしていなかったが、やはり視界の範囲は栃木市内で、その先はガスで見えない。時間はすでに2時近くになっている。食べ物は持参していない。茶店にラーメン550円のメニューが張ってあったので、ここでラーメンを食べる。店内は他に客はいず、冷水を湯呑み茶碗で2杯飲むと、さらに発汗はひどくなり、小型のザックからタオルを出して頭と顔の汗を拭いた。脱いだ帽子は広い汗じみになっていた。南の展望地の方から流れる微風が心地よい。
ラーメンは550円にしてはこんなものだろうと思う味だったが、自分にはしょっぱかった。そのため、さらに冷たい水を飲む始末になり、汗はだらだらと下りの最中にも続いた。
当初、その気になれ太平山神社の奥社(山頂)に行き、晃石山方面まで行ってもいいかなと思っていたが、このベットリ感で、そんな気は起こらない。登って来た石段を下る。来た時よりも見物客は多くなっていて、下では教師に引率された高学年の小学生の団体がやって来た。子供たちは元気に「コンニチワ」と言うものだから、少なくとも50回は返事をした。
駐車場に戻る。これからの予定は足利のペインクリニック。座骨神経痛で整骨院にまめに通ってはいるが、実際のところ、少しも痛みは改善しない。とうとう、ペインクリニックのお世話になることにした。このクリニックで、以前、首だったか肩の痛みを診てもらい、痛みがとれた経緯があった。先週行くと硬膜外ブロックなる注射を打たれ、すぐに腰下の痛みが半減した。今日はその続きだ。これをやると、注射後当日の入浴は不可なので、アジサイ見物でどうせ汗もかくだろうと、銭湯に寄ってからクリニックに行くという段取りにしていた。蛇足だが、このブロック注射は高い。麻酔もするので、健保3割負担で3,000円近くの出費になる。背に腹は代えられない。
時刻は2時半。受付は7時までだからまだ楽勝だ。大小寺のアジサイにでも寄り道しようか。もちろん、歩いて行く気にはなれず、車移動だが、ナビをセットすると、9km以上ある。かなりの大回りだ。時間はかかるが、林道含みのハイキングコースを歩けばほんの数キロのはず。全身ベトベトでこれ以上の汗をかきたくもなく、車頼りになった。
大中寺にもアジサイは咲いていたが、こちちらの見物客はほんの数人。あじさい坂に比べたら群生はしていないものの、花はこちらの方が大きい。
境内を一回りし、さて帰るかと、車に戻る。ここからおかしなことになった。
隣に群馬ナンバーの車があり、自分が遠回りしながら戻ってくる間に寺のアジサイは見終えたのだろうか、男性が車の脇に突っ立っていた。群馬のどこですかと聞かれ、太田ですよと答えると、オッサン(とはいっても、自分よりも年は数歳下だった)は伊勢崎から来たとのこと。その時は、ここの前に岩船の高勝寺に寄ってきて、これからあじさい坂に向かうとのことだったので、じゃ、気をつけてと、普通ならそれで終わる。ところが終わらなかった。
スマホに入れた高勝寺で撮った写真を見せられ、話題はどんどん広がって行く。海外旅行が好きで、イスタンブールやバーレーン、ポルトガル、果てはベトナムの写真。世界中を歩いているようだ。ベトナムには年に二回は行くそうな。国内もほとんど歩いているようで、英語も堪能らしい。果て、このオッサン、何をしてんだろうと思いきや、すでにリタイアだそうで、相当の貯蓄で遊んでいるのだろうが、見た目は、何を糧にして生活しているのだろうかといぶかるような風体で、長い髪を後ろで束ね、口ひげも生やしている。大方、自由業でやっていたのだろう。このオッサン、自分としてはうらやましい旅話を一方的にしゃべり続けるわけでもなく、かつて自分でも夢中になったという山歩き、カメラにも、こちらの話に耳を傾けては意見を返したり、聞きもする。何とも不思議な人で、とうとう、オッサンは車から灰皿を出してきて長時間おしゃべりの態勢になった。こちらもタバコに付き合うことになる。
話は尽きなく時間が気になった。雨が降ってきたので、「じゃ、今度、またどこかで」と別れたが、これに費やした時間はほぼ40分。クリニックに行く前に銭湯に寄る時間はなくなってしまった。何せ行くつもりの銭湯はただの風呂屋ではなく、たまには奮発しようと入浴料1,200円の温泉施設にしていた。さっさと40分で出てしまうのではもったいない。あきらめた。医師はともかく、尻を出してのブロック注射だ。若い看護師にも見られる。パンツくらいは履き替えようかと思ったが、今さらそんなことを恥じ入る年でもないだろう。不思議なことだが、あのオッサンは、このオレの前職が公務員と思ったらしい。そんなことをこちらから何も言ってはいないが、自分にはそんな雰囲気が漂っているのだろうか。かなりショックを受けた。
クリニックに向かいながら、やはり、汗臭い身体が気になった。このままで診察を受けて尻出しの注射では、看護師もどんな顔をするだろう。やはり羞恥心だけはぬぐい切れない。コンビニに立ち寄り、タバコを買ってトイレに入り、ベタついた肛門と股間を手で洗い清め、パンツも履き替えた。ペーパーのカスがあちこちに残ったが、これで余計な心配も少しは解消した。
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