青い花

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野いちご

2017-10-13 07:33:58 | 日記
『野いちご』は、1957年製作のスウェーデン映画。イングマール・ベルイマン監督の3大傑作選のうちの1作と言われている。

イーサク…ヴィクトル・シェストレム
マリアンヌ…イングリッド・チューリン
エーヴァルド…グンナール・ビョルンストランド
ヘンリク・アケルマン…マックス・フォン・シドー
シャルロッタ…グンネル・リンドブロム
サーラ(回想シーンの婚約者と現代のヒッチハイカーの一人二役)…ビビ・アンデショーン


78歳の老医師イーサクは、妻に先立たれ、息子エーヴァルドも独り立ちしたため、家政婦のアグダと二人きりの孤独な毎日を過ごしている。
イーサクは、長年の功績を認められ、ルンド大学で名誉博士号を受けることになった。その前夜、彼は奇妙な夢を見た。

夢の中で、イーサクは人影のない街に佇んでいた。通りの大時計には針がない。不安に駆られるように取り出した懐中時計にも針がなかった。突如現れた馬車が、街燈に車輪をはさんで、右往左往し始めた。馬車は無理やり前進すると、荷台から落ちた棺をそのままにして、去って行っていく。棺の蓋がずれて、隙間から年老いた男性の腕が突き出た。イーサクがそばによると、その腕が彼をつかんだ。棺から出てきたその人物は、イーサクに瓜二つだった。

目が覚めたイーサクは、予定していた飛行機ではなく、車でルンドへと向かことにする。
支度をするためにアグダを叩き起きしたが、予定の変更を聞かされた彼女は不機嫌になった。二人が罵り合いを演じているうちに、息子の妻のマリアンヌが部屋に入ってくる。
マリアンヌはあることでエーヴァルドと仲たがいをして、イーサクの家に居付いていた。同乗させて欲しいとマリアンヌが言うので、イーサクは彼女と出立することにした。

道中、イーサクは青年時代の夏を過ごした屋敷へと寄り道してみることにした。
時間があるので泳いでくると言うマリアンヌと別れ、屋敷の周りを散策し始めたイーサクは、いつの間にか過去に世界に入り込み、若く美しいサーラを見つけた。サーラはイーサクの婚約者だったが、弟の一人ジークフリドに奪い取られたのだ。

イーサクは、サーラに声をかける。しかし、彼女には彼の声も聞こえなければ、姿も見えていないようだった。イーサクの見詰める前で、サーラは野いちごを摘み始める。
そこにやってきたジークフリドが、からかい交じりにサーラに話しかけると、彼女はイーサクの人柄を褒め称えながら、ジークフリドのうぬぼれた態度を批判した。しかし、彼女の表情を見れば、本当はどちらに心惹かれているのかは明白だった。突如、ジークフリドに唇を奪われたサーラは、驚いて野いちごの籠を落としてしまう。
大家族の騒々しい食卓で、サーラは双子の妹たちから、森でサーラとジークフリドが何をしていたのかを見たと暴露されてしまう。動揺したサーラは席を立つと、追いかけてきた母親に苦しい胸の内を打ち明けるのだった。

悲しさと虚しさで胸がいっぱいになったイーサクに、若い女が声をかけてきた。
いつの間にか現在に戻っていたようだった。若い女はサーラと瓜二つの上に、名前も同じだった。これからイタリアに向かうというサーラは、途中までイーサクの車に乗せて欲しいと願い出た。承諾したイーサクが、マリアンヌと合流し、車に戻ると車のそばに二人の青年が立っていた。二人の名はアンデシュとヴィクトルといい、サーラの連れだった。サーラの紹介によると、アンデシュが彼氏で、ヴィクトルが付き添いだそうだ。かつての自分とサーラ、ジークフリドのような三人を載せて、イーサクは旅を続ける。

陽気で人懐こいサーラの人柄に好感を抱いたイーサクは、昔サーラと同じ名前の女性と恋をしていたこと、彼女がイーサクの兄弟と結婚したこと、6人の母親になり今では愛らしい老婦人だということを話す。
サーラは、イーサクの話に立腹し、そしてすぐに非礼を詫びた。イーサクが、しょげた様子のサーラの頬を優しくなでると、車中は和やかな笑いに包まれた。

途中、事故にあった夫婦を助け、車に同乗させるが、アルマンと名乗る夫が妻をいびり始め、車中はすっかり険悪な雰囲気になってしまう。とうとう喧嘩を始めた夫妻にうんざりしたマリアンヌは二人を追い出す。夫妻にかつての自分と妻、そして息子夫婦の将来の姿を見たイーサクの心は塞ぐ。

車はかつてイーサクが町医者をしていた美しい湖水地方に着いた。
立ち寄ったガソリンスタンドでは、子供の頃に面倒をみた店主がイーサクを覚えていて、ガソリン代をタダにするという。「タダにしてもらう義理が無い」というイーサクに、店主は「先生には恩義がある。町の人に聞くといい」と言った。

楽しい昼食の時を過ごしたイーサクたちは、イーサクの母親を訪ねた。
若者たちは外で待たせ、マリアンヌだけを伴って屋敷に入る。イーサクの母は酷く不機嫌だった。
母親が大きな箱の中から親族の思い出の品々を取り出す。それらの中に子供時代のジークフリドとイーサクが母親と写った写真があった。イーサクは母親に、これを貰いたいと告げた。母親は更に箱の中を漁り、針の無い懐中時計を取り出し、シーグリフトの息子に渡して欲しいと言った。

外に出ると、サーラが一人で不貞腐れていた。
聞けば、アンデシュとジークフリドが口論を始め、決着をつけるために離れたところに行ってしまったという。マリアンヌが二人を探しに行っている間に、サーラは二人の間で揺れる思いをイーサクに打ち明けた。
マリアンヌが青年たちを連れ戻ってきた。車は旅を再開する。
居眠りをしたイーサクは、また奇妙な夢を見た。それは極めて屈辱的な夢だった。

イーサクに手鏡をつきつけ、老いた自分の顔から眼をそらすなと言うサーラ。
彼女は「ジークフリドと結婚する、愛し合っているの。あなたにあるのは知識の山だけ」と言う。「心が痛い」と言うイーサクに、サーラは「名誉博士なのに何もわかっていない」と告げ、子供の世話をしに、ジークフリドの待つ家に帰って行った。
窓の外からサーラとジークフリドの仲睦まじい様子を見たイーサクは、アルマンに導かれ、医師の適性試験を受けた。課題を上手くこなせなかったイーサクは、不適格とみなされ、「無情、身勝手、無慈悲」の罪で妻から訴えられていると宣告されてしまう。
イーサクは妻との対面を促される。
アルマンに連れられたイーサクは、森の中で一組の男女が密会する場面を見せられる。それはかつて目撃した、妻カーリンの不倫現場だった。


朝早くに家を出て、ルンドに着くまでのたった1日の出来事。老人が主人公なのに、詩情あふれる瑞々しい物語だった。
まず、映像の美しさに酔いしれる。
旅に同行したマリアンヌや、道中で会った様々な人々とのやり取りと、イーサクの過去への回想シーンが交錯する。回想シーンにイーサクを現在の年老いた姿で登場させたり(逆に当時のイーサクは一切登場しない)、実際に道中で出会った人物を登場させたりといったトランジション・ショットの多用で、作品全体の印象を夢と現の境が曖昧な幻想的なものに仕立て上げている。モノクロで撮影しているのも効果的だ。これがカラーだったら、印象が鮮明過ぎて、到底夢心地にはなれなかっただろう。

針の無い時計、自分の遺体との対面と、不吉な夢から始まったイーサクの一日は、深い安らぎに満たされて終わる。婚約者と妻から裏切られ、人付き合いを避けていたイーサクが、旅の中で心の傷を癒し報われる。
本当に「無情、身勝手、無慈悲」な人だったら、家政婦と対等に口喧嘩したり、家出してきた息子の嫁を家に置いたりするだろうか。他人行儀に振る舞いながらも、イーサクの心は、無意識のうちに人との親密な付き合いを求めていたのではないだろうか。

真面目で堅苦しいイーサクは、恋人や夫としては物足りない人なのかもしれないが、それ以外の人たちからは、本人が予想もしていないほど慕われている。
ぶつぶつ文句を言いながらも40年間そばに居続けた家政婦のアグダさん。子供時分に世話なったことにずっと恩義を感じているガソリンスタンドの店主。イーサクおじさんと呼んで孫みたいに懐いてくるヒッチハイカーの若者たち。それから、本当は息子夫婦も。

マリアンヌは、口ではイーサクのことを冷たいと非難していたけれど、ツンケンした態度の下からは甘えが滲んでいる。イーサクに悩みを聞いてもらいたいけど、素直になれないことをもどかしがっているように見えた。

それから、一日の終わりにイーサクの部屋を訪ねてきたエーヴァルド。
なかなか父親と眼を合わせようとせず、口調もぶっきらぼうだが、彼なりに父親に歩み寄ろうと苦心している様子が伺われた。
「彼女じゃないとダメなんだ。彼女次第だけど」と父親にこぼすエーヴァルドは、38歳の大人の男性とは思えないほど可愛らしい。きっと父親に胸襟を開くのは、これが初めてのことなのだろう。

イーサクとマリアンヌは心の隔てが無くなり、イーサクとエーヴァルドの仲にも好転の兆しが見えた。マリアンヌとエーヴァルドの仲もこの先上手くいくのではないかと思う。
二人の諍いの原因は、エーヴァルドがマリアンヌの妊娠を喜ばなかったことだが、イーサクとの旅の中で、マリアンヌは夫がそのような心持に至った理由を理解した。
両親の不仲と、母の不倫、そこから生じる自分は父の本当の子供ではないかもしれないという疑念。そんな自分が親になることへの不安。それらが、エーヴァルドの心を硬化させ、父親や妻との間に本来なら通うはずだった愛情を冷たくさせてしまっていたのだ。

アグダさんとずっと一緒に居たいと歩み寄ってみる。旅を続ける若者たちに「連絡をくれよ」と口にする。そして、息子には自分と同じ轍を踏んでくれるなと切に願う。イーサクは意識して心を開くようになった。
イーサクが見た辛い夢を、アルマンは「全ての哀しみを手術で取り除きました。見事な外科手術だ」と言った。随分な荒療治だったが、確かに一日の終わりには、胸の痛みは消えてなくなっていたのだ。
その晩、イーサクが最後に見た夢は、湖のほとりで釣りに興じる若き日の両親の姿だった。
人情物と言っていい内容でありながら説教臭さの無い、おとぎ話のようにノスタルジックで優しい作品だった。
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