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青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

金髪のエックベルト

2016-07-18 08:41:40 | 日記
ティーク作・林昭訳『金髪のエックベルト』は、表題作のほか、『妖精』と『美しいマゲローネとペーター伯爵との恋物語』が収録されている。

「童話は文学の規範である。すべての詩的なものは童話的でなければならぬ」(ノヴァーリス)

ドイツ・ロマン派といっても、ホフマン、ノヴァーリス、ジャン・パウル、そして、このティークくらいしか知らないのだけど、夜のメルヘンという雰囲気が好き。満天に瞬く星々の輝きとか、森に漂う霧の匂いとか、角笛と葦笛の音色が混じり合う響きとかに身も心も浸されそうな、そんな感じ。冷たく、静謐で、孤独で、清浄。人肌の温もりが連想させる腐敗臭とは無縁なところが好き。

メルヘンこそが、ドイツ・ロマン派全体の世界観の最高の表現形式だ。
中世を舞台に咲いた孤独と恐怖、夢と現実のない交わった童話小説『エックベルト』は、ドイツ・ロマン派の童話小説の典型となっている。
中世民衆童話の形を借りたティークの創作童話の中では、人間の意識の深淵にひそむ不安・恐怖・記憶・憧れ・予感などが戦慄的な自然の描写と結びつき、人間存在の根源を揺るがすものが暗示される。
『金髪のエックベルト』の中で鳥が歌う“森のしずけさ”はドイツ・ロマン派を象徴する語となった。

『金髪のエックベルト』は、騎士エックベルトと妻ベルタの罪と罰の話。
ハールツのある地方に、金髪のエックベルトという通称で呼ばれている一人の騎士が住んでいた。40がらみの背は低からず高からずといったところの男で、蒼ざめた頬のこけた顔にかかる明るい金髪は、濃く滑らかであった。彼と妻ベルタとの間には子供はなかったが、夫婦は心から愛し合い、近所付き合いもせず、小さな居城でひっそりと暮らしていた。

ある日、エックベルトは親友のヴァルターに、ベルタの秘密を本人の口から聞いてくれるよう持ち掛けた。
これまでも随分と注意を払って隠しおおせてきた秘密。それを洗いざらい打ち明け、友人に胸の奥の奥まで開いて見せることで、一層友情を深めたい。そんな衝動に駆られたのだ。

ベルタの奇妙な身の上話―――。
貧しい羊飼いの娘として育ったベルタは、8歳のころ、父親の虐待から逃れるために家を出て森を彷徨った。そこで不思議なお婆さんに出会い、世話になることになった。

お婆さんは身内のようにベルタを可愛がってくれた。
森の自然に魅了され、お婆さんの下で家事をし、犬と宝石を生む鳥の世話をする穏やかな生活が続いた。
鳥は歌った。

“森のしずけさ
わが喜びぞ、
今日も明日もとこしえに、
ああげに楽しきは
森のしずけさ“

幸せであった。しかし、少し退屈だったのかもしれない。ベルタは世の中に憧れ、美しい騎士との出会いを夢想するようになった。

人間、分別が付いてくると、いつか無垢な魂を失っていくということは不幸なことだ。
14歳になったベルタは、お婆さんの留守中に鳥と宝石とを盗って、所謂世の中なるものを探しに出かけることにした。

帰郷した時には、すでに両親は亡くなっていた。
天涯孤独になってしまったベルタだが、盗んだ宝石を元にお金持ちになることが出来た。とある感じのいい街で、庭付きの家を借りて、女中を雇った。世の中は想像していたほどには素晴らしいと思えなかったが、まあまあ満足した生活が送れるようになった。
しかし、その頃から、鳥の歌の文句が変わったのだった。

“森のしずけさ
遠く逃れぬ!
おお悔ゆるべし汝
いつの日か、――
ああ類なき喜び
森のしずけさ“

ベルタは不安と後悔の念に苛まされ、夜も眠れなくなった。鳥の姿を見るのが嫌になった。そして、鳥を縊り殺してしまった。
すると、今度は女中が恐ろしくなった。女中がベルタの秘密を嗅ぎ当て、ベルタのものを奪っていくかもしれない。ひょっとしたら、殺すかもしれない……。
ベルタは、少し前に知り合った騎士エックベルトに求婚され、これを受けることにした。

以上が、ベルタの話だった。
このあと、ヴァルターが口にしたある言葉が、夫婦を不安に陥れる。
人間はいったん猜疑心に駆られると、どんな些細なことにもそれを裏書きするものを見ようとするものである。エックベルトは、誠実な友に卑しい邪推をしたことに心がとがめたが、どうしてもその気持ちを振り払うことが出来なくなってしまった。

“森のしずけさ
還りし喜び、
悩み消えはて
妬みもあらず、
喜び新た
森のしずけさ“

ベルタの罪は、盗みどころではなかった。
ベルタが世間を見たいなどと思いついたことで、彼女だけでなく、エックベルトまでもがとんでもない禁忌を犯していたのだ。それを知らないまま死んだベルタよりも、すべてを聞かされて発狂したエックベルトが哀れである。彼は、何という恐ろしい孤独の中で生涯を送ってきたのだろう。

不安が不安を呼び、自縄自縛に陥り、狂気に至る。
運命が空転していく息の詰まるような描写のところどころに、愚かな人間を皮肉るかの如く、自然の描写が差し挟まれている。森のしずけさ、森のしずけさ、と繰り返される鳥の歌声が美しい悪夢を際立たせ、読者を酩酊させる。

『妖精』は、お転婆な少女マリーが鈍くさい幼馴染とはぐれて、妖精に出会う話。
人間、分別が付いてくると碌なことをしない、という点は『金髪のエックベルト』と同じ。本人以上に、周囲の人々(妖精も)の方が酷い目にあっているところも同じ。実に不条理だ。

『美しいマゲローネとペーター伯爵との恋物語』は、騎士ペーターが身分を偽り、諸国を行脚中(自分探しの旅か?)に美しいマゲローネと出会い、恋に落ちる話。
先の2作があんな感じなので、読む前には破滅の予感しかしなかったが、案外笑える話だった。古今東西、思春期の男女ってこんなものかもしれない。
しなくてもいいことばかりして、ピンチに陥る。そして、歌う。歌っている場合かと思うが、歌の力でハッピーエンドになるので、結果オーライ。作品を占める歌の分量がすごい。読むミュージカルといった感じだった。
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