今日も ぺこぺこ

ジョリ夫婦&ぺこ。3匹とも、今日も元気に「ぺこっ」てます。

亡者がパリにやって来る・・・?

2006-01-02 22:28:35 | Weblog

年始早々、立て続けに暗い話題でスミマセン・・・。(汗)

先ほど、親類一族が集まっているであろう祖母宅へ電話をしてみたところ、案の定、母が
電話口に出ました。
「あら?yacoちゃん?」と母の声が心なしか上ずっています。(←悲しく沈んだ声ではない。)
「うん。大変だったね。」と会話を始めたものの、バックに聞こえる親類一堂の声がやたら騒がしい・・・
やっぱり・・・
そこではなんと、宴会が行われていたのでした。(汗)

祖母が死んで、宴会かよぉ~~~~
と今更嘆くようなワタシではありません。予想どおり、とでも言うべきか(苦笑)
今回亡くなった祖母の母に当たる、わたしの曾祖母が亡くなった際と全く同じパターンです。
親類縁者が駆けつけ、そしてイッパイ御機嫌になってワイワイ騒いで、昔話を懐かしむのです。
  「おかーちゃん、あの時は○○して△△じゃったよねぇ~」
  「ほーよねぇー。」
  (一同爆笑。)
こんな超広島弁で内輪ウケする会話が、お酒とともに繰り広げられるのです。

しばらく電話で母と話し、母がいつものごとく「ちょっと待って、ちょっと待って、」と言い出して突然
叔母に電話を渡しました。(何が“ちょっと待って”なんだか説明もされずに、いつもこうなんです。)
シラフの叔母としばらく会話し、その後「じゃあ、お父さん(我が父)と代わるね。」と・・・
そして、ヨッパライオヤジ登場~ ジャジャーン!
 酔いどれオヤジ「yacoちゃ~ん、え?風邪引いとるねぇ。で、そっちは何時なん?」
 ワタシ「午後1時半ごろよ。マイナス8時間で計算したらいいじゃん。」
 酔いどれオヤジ「それがよ、計算できんのよ。(笑)イッパイよばれてしもうたけんね。」
   (訳:お酒をご馳走になってしまったからね。)
 ワタシ「葬式前に酔ぅて、何しょーるんよ。(苦笑)」
 酔いどれオヤジ「で、え?今そっちは何時じゃぁゆうたかいねぇ?」
   (訳:今そっちは何時だって言ったっけ?)
 ワタシ「さっき言ったじゃん、1時半っ!(笑) 夜じゃないよ、昼間のよ!」
こんな感じだったので、「誰かシラフの人に代わって」と頼むと父が宴会中の皆に向かって
「ヨッパライじゃぁダメじゃぁゆわれたぁ~」と叫んでる声が・・・

そして母、再び電話口に登場。(肝心の「祖母の葬儀の日」をまだ聞いていなかったのでした。)
母としばらく話し、そしてわたしの気が付いた面白いことについても話しました。
その、面白いこととは・・・

大叔父はフランス映画が好きな人で、若かった頃には映画館へジャン・ギャバンやらアラン・ドロン
主演の映画を見に行っていたそうで、この夏の帰国の際にも昔の映画談義で花を咲かせていた
のでした。そんな大叔父に、フランス語ニックネームとして「ジャン」(←ジャン・ギャバンから)を
授けていたのです。我が夫の家族のみならず、日本人の家族も皆、大叔父のことをジャンと
呼んでいました。
そして、その大叔父の甥であり、わたしの母の従兄弟であるおじさんもこれまた映画好きで、
大叔父の家のすぐ近所に住んでいるので映画談義の際にも一緒に話をしていて、彼は「アラン」
と命名。
「ワシがジャン(←ぶさいく)で、オマエがアラン(←オトコマエ)か!!(怒)」と、大叔父。(苦笑)
それでもそのニックネームをいたく気に入っていた大叔父でした。

大叔父が亡くなった知らせは、夫実家にてクリスマス休暇を過ごしている間にFAXで受け取った
のですが、人の誕生と死は潮の満ち引き(月?)に影響されることが多いと聞いたことがあったので、
昨日カレンダーを見てみたのです。大叔父と祖母が亡くなった時期の月はどうだったのか?と。
そして、あることに気がつきました。
なんと、大叔父の容態が急変した12月27日は、フランスでは「聖ジャン」の日に当たっている
のです。(フランスには各日に聖人の名前が当てられていて、12月27日がジャンという聖人の日
なのでした。フランスのカレンダーには各日の聖人名と満月・新月・上弦・下弦の月が載ってます。)
亡くなった時間こそ28日の午前7時半ごろだそうですが、それはフランス時間に換算すると、まだ
ギリギリ27日です。
「よっぽど “ジャン” に縁があったのかもね。」と、母と妙に納得。

そして今度は母が面白いことを話し始めました。
大叔父が亡くなった時間が28日の午前7時半頃だったそうです。
そして祖母が亡くなった時間も(1日の)午前7時40分頃だったらしい、と。
いつ死んでもおかしくない状態であった祖母を、実の弟である大叔父が引っ張って行ったんじゃないか、
というのが母の解釈。わたしには、祖母がかわいい弟のために一緒について行ってあげたようにも
思えます。自分はもう死んでいるも同然なんだから、と。
そしてその二人が死んだ日を挟むようにして、新月(12月31日)がありました。



アレコレ昔のことを思い出しながら、昨夜はベッドの中で目を閉じたまましばらく起きていたのですが、
ふと、あることを思い出しました。それは今回亡くなった祖母の母、わたしの曾祖母の死んだ時のことです。
あの時わたしは不思議な夢の体験をしたのでした。
白いもやに包まれながら、抱かれながら、わたしは夢の中で涙を流し続けていたんです。(その時すでに
曾祖母の死の連絡が母に入っていたそうです。)
その事を思い出していたその時に、またその不思議体験と同じような、温かな優しい気持ちに包まれて
いく感じがしたんです。
もしかして、大叔父と祖母がパリにやって来たのかも?
わたしの体の中を、するりと通り抜けたのかもしれません。

大叔父は、ワタシに会いに来る前にきっと、かねてから行きたがっていた「ムーラン・ルージュ」を見学
したことでしょう。(苦笑)←なんせウチから徒歩5分ほどの所ですからね。
「あの、パカパカ足を上げとるのを観てみたいんよぉ~」と言っては皆を笑わせていたんですから、
ここを観ずにはお浄土へは行けないでしょう。(笑)
「お姉ちゃんよ、ちょっと寄り道してもエエか?」なんて言ってね。

大叔父も祖母も、死に顔がとてもきれいだったそうです。
今にも「あ~、良く寝た」と言って起き出すんじゃないかと思えるほどだったと母が言っていました。
そんな大往生をさせてもらえた人たちのことは、皆で飲んで騒いで笑って送ってあげたいものです。
(ウチの母の血筋は大体そんな感じです。)
葬式だからって、泣かなきゃいけないという決まりは無いんですから。
皆で故人の思い出話に花を咲かせ、笑って楽しく過ごすお葬式があってもいいじゃないですか。


1月1日に届いた知らせ

2006-01-02 03:43:43 | Weblog

フランス時間の1月1日の深夜0時頃に、ファックスが届きました。
「おばあちゃんの病院へ行くから」と、日本の母からでした。
元旦に病院に行くなんて話はなかったはずなので、朝っぱらから急に予定変更となると
いうことは・・・と予想はつきました。(元旦のお昼は叔父・叔母たちが実家に来る予定だと
聞いていましたから。)
で、その予想通りに、親戚のおばさんから携帯メールで「おばあちゃんが亡くなりました。
正月早々嫌なメールでごめんね」と。

頭もボケてしまい、食べ物も自分で摂取できない状態になり、まさに死を待つのみの状態
だったので覚悟はしていたし、去年の夏に帰国した時に夫の顔を見せることができたので、
「これが最後になっても悔いは無い」と思っていました。
しかし、先だっての大叔父(この祖母の弟です)の死のわずか数日後にこの知らせ。
さすがに心が痛みました。

  弟と、仲良く連れ立って旅に出たのかなぁ・・・

祖母がまだ半ボケだった頃、自分の息子(わたしの母の兄)のことを「ワタシのかわいい弟」と
いつも言っていたので、もしかしたら、ひょっとしたら、と思うのです。(祖母は、大叔父の死を
感じたのかもしれません。)

数々の思い出を残してくれた祖母に感謝と尊敬の意を表して、泣かないことにしました。
そのほうがきっと、良いよね。
だっていつか死が来ることは皆知ってたんだから。
祖母はきっと、お浄土で、大叔父と一緒に大ボケ・コンビで仲間を笑わせていることでしょう。


(写真は、わたしが二十歳の時に祖母が買ってくれたダイヤのネックレスです。)

そんなこんなで、メールやEカードを送ってくれたお友達のみなさん、そしてよくお邪魔させて
もらってるブログのみなさんにご挨拶など遅れています。
ボチボチとお返事、ご挨拶していきますので、しばしお待ちくださいませ・・・。