最近、寝る前に少しずつ読み進めている本が、コレです。
10年以上も前に買った本で、途中まで読んで止めていたのですが、ふと“呼ばれて”手に取って
みたら、これが非常に面白くって、ハマッて読んでます。
買った当初は内容的にかなり難しく感じて、読んではみたものの、アタマにちゃんと残らないので
途中で挫折していたんですが、今はちゃんとアタマに残るし、イメージできる。だから読んでて
非常に楽しいです。(でも出てくる言葉がドイツ語だらけなので、なかなか記憶に残らないんだけど。汗)
とはいえ、別に愉快な話なんかじゃあなくって・・・けっこう暗い世界の話。
この本はまず、「ハーメルンの笛吹き男」の伝説の検証から始まります。
笛吹き男は実在し、現実に起こった事件を元にしてこの話が作られた・・・という視点で、あらゆる
見解を示しています。
その検証自体も非常に面白いんですが、それ以上に興味深いのが、当時の民衆たちの生活を
表現する記述。娯楽の無かった時代に、祭りのような形で音楽を奏でて踊ることは特別な楽しみで、
子どもたちがそれに我を忘れて陶酔さえした、というような。(今の子たちを見てたら、絶対にこんな
こと起こらないって思いますね。苦笑)
そしてもう一つ面白いのが、この↑挿絵の右側、丘が描かれてますが、丘の中腹左側にあるもの・・・
首吊りの場所です。中世の絵によく登場するコレ。大体において、丘の上の吹きさらしの場所に、
必然のように描かれてます。なんでわざわざこれを絵の中に描いたのか?ってところも、非常に
気になります。
笛吹き男の話につづいて・・・
中世の一般の人が書いた自伝をもとにして、当時の生活風俗などを読み解いています。
面白いのが、当時まだ多くの人が文盲であったのに、文字が読める・読めないに特に階級の別が
無かった、という点です。
文字を扱うのが特権階級だけのことではないというのは、ちょっと驚きでした。
さらに続いて・・・
「刑吏(けいり)」、つまり、処刑人の生活に注目して、当時のに対する意識を浮き彫りにして
います。
日本でも昔に実際にあったように、一部特定の人たちを(意味も無く)差別する、意識。
処刑人が忌み嫌われて差別されるのは、まぁ、こじつけとはいえ何となくわからなくもないけれど・・・
それにしても、「一緒に杯を交わしただけで、その市民が家族・友人に見捨てられてに落ちる」
という、当時の現実。ヒジョーに驚きです。
しかしながら、そういったの職業に「歯医者」や「理髪師」、「皮なめし職人」なんかがあって、
でもそのである「歯医者」さんのところで歯を抜かれようとも、市民はに落ちることが無い
というのが非常に不可思議です。しかし、それが当時(中世から近世にかけて)の現実で、当然視
されていたことだと言うのですから。非常に理解しがたいけど、興味深いです。
こんな本を読んだ後なら、(実は意識的に一時中断している)「暦を作った人々」を再スタートしても、
少しはアタマに余裕が持てるかも。
やっぱり、読書は、詰め込むようにして読んでも楽しくないですね。
自分の中で何かが育っていくような感覚を楽しめないと。。。
「○○症」という言葉の増産は、あたかも新しい病気が増えたかのような錯覚を
起こすのであまり好きではないのですが、とても気になる言葉なので調べて、
まとめてみることにしました。
この1年ほどの間でインターネット上において、「不育症」という言葉がよく見られる
ようになり、驚いています。
去年流産した時には「習慣性流産」という言葉が使われていたのですが、この1年
ほどで一般の意識が変化していき、用語を使い分けたということなのでしょうか。
「習慣性流産」のかつての定義は「3回以上の連続した流産」ということでした。
これに比べ、「不育症」はほぼ同義なのですが、流産回数を条件にしていません。
(2度の流産だけでは以前は特別な検査をするには至らなかったのが、現在は
「不育症」の検査として行われることがあるらしいです。)
以前の習慣性流産の定義で言えば、3度の流産を待たないと詳しい検査をして
もらえませんでした。つまり、本人が望んだとしても、医師が「3回までは習慣性
流産とは言わないので、偶発的な流産かもしれませんから。」ということで検査を
しないのが普通だったようです。しかし、考えてみてください。3回の妊娠・流産と
いえば、それだけで大体2年くらい経過していることになります。妊娠を強く望む
夫婦にとって、この2年という期間はとても長くつらいものだと想像できます。
それゆえ、「不育症」という新しい定義が生まれたのでしょう。
実際の「不育症」とその治療については、こちらに詳しく書いてあります。
http://www.kano-clinic.com/index.html
一体何が悪いのかわからず、毎回検査・検査で、そして毎月月経を迎えてしまう
ことは、不育治療中の女性にとっては心身ともに負担となることでしょう。
わたしも実は、この「不育症」の検査の一つである「卵管造影検査」を受けるかどうか、
というところまできていました。(その検査直前に、今回の妊娠・流産。)
フランスの婦人科医療界でこの「不育症」に当たる言葉が存在しているのかどうか
わからないのですが、医師の判断で、積極的な妊娠をめざしての行為の一つとして、
女性側の年齢を考慮してこういう行動に出るようです。(医師の薦めというよりも、
夫婦の希望があると思います。)
日本の医療の現在を知らないのでうまく比較できませんが、今回のわたしの「そうは」
の際、流産胎児の検査については全く触れられませんでした。つまり、「なぜ胎児が
死に至ったのか」を調べること無しに、子宮内容物を摘出しただけだったのです。
施術の予約をする前の時点でも、夫とともに「流産の原因の検査とか、何かできない
んですか?」と何度もいろんな医師に聞いたのですが、流産胎児の検査については
どの医師からも全く話が出ませんでした。現時点ではフランスでは一般的では無い
のか、それとも、これも流産3回目以降のことなのか。
わたしのかかりつけの婦人科医が、「次回の妊娠の際には低容量アスピリンを処方
して血流を良くさせましょう。」と言っていました。
これは日本でも一般的な不育症治療として行われているものです。母体の抗原抗体
反応により、胎芽を包む絨毛(じゅうもう)中に血栓が形成されてしまうと、胎児は死に
至ります。それを防ぐためだそうです。
「不育症」の原因はこれ一つでは無く、本当に沢山あるようです。だから、3度目の
妊娠でアスピリンを使ったからといって、血栓は防げるかもしれないですが正常に
妊娠が進むとは限らないのです。再び流産する可能性だって大いにあると思います。
そう考えてみると、流産を2度も続けてしまった女性の多くが、3度目の妊娠に非常に
不安を抱く気持ちがよくわかります。(それは、単に流産への不安というだけではなく、
年齢的・体力的な面から考えての、4度目・5度目の妊娠に向けてがんばれるか、
という点での不安をも内包しているのです。)
わたしは去年の流産から約1年後に、2度目の妊娠・流産をしました。それだけ
「妊娠率」が落ちているのかもしれない、と考えてしまいます。なので、あまり暢気に
待ってばかりもいられない、と思ってしまうのです。
次の妊娠がもしまた1年後で、そしてもしまたそれが流産だったとしたら、4度目の
妊娠の時には一体わたしは何歳なんだろう?果たして、それを繰り返す精神力と
体力はあるのだろうか?などと考えてしまうのです。(そして、それだけの力が無い
と思った時点で、すっかり諦めてしまうのでしょう。)
「妊娠・出産」は自然の摂理であり、誰にでも可能な当たり前の行為の一つだと
思いがちですが、それが今、なかなか難しくなってきているようですね。
妊娠反応検査やエコーなどの検査の類が進歩するにつれ、年々、正確に妊娠を知る
ことができる時期が早まり、今では「月経予定日の翌日~1週間」でも知ることができ
ます。それゆえ、初期流産の割合も必然的に高まってしまったのではないかと思います。
(かつては、妊娠していたと知ることも無く、自然に流産し、「遅れてきた月経」と認識
されていたのだと思います。)
妊娠を望めば望むほど、市販の「妊娠検査薬」を使う回数も増え、そして流産を知る
機会も増えるのかも・・・。(悪循環、かもしれませんね。)
最終的な報告を書きました。
報告というか、病院でどんなことが行われたかを淡々と書いた感じです。主に女性の方で、興味ある人は読んでみてください。
現状報告としては、全て無事に終わり、来月中にはまた再挑戦できる状態になるようです。
現在、もりもり食べてます。(笑)
ほんと、ご心配おかけしました・・。
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<追加>
「不育症(ふいくしょう)」についての話も追加しました。
仏単語を交えて書きます。
薬での子宮内容物排出ができなかったので病院へ相談に行くと、「再度薬を使っても
あまり意味が無いので、“そうは”した方が(自然排出を延々と待つよりも)精神的に
良いでしょう。」と言われた。
自然の行為を待つと、それが1ヶ月先のことになるかもしれない。期限がまったくわから
ないのです。
早く次のステップを踏むためにも、「そうは」することに。
後日電話で予約日を決められ、11日の施術となった。
朝7時に病院(公立)に予約が入っていたので、ちゃんとその時間に到達できるよう
朝5時に起きて支度して出かけた。
飲まず喰わずの状態で(アジャン à jeun)、と言われていたので、朝5時に起きてから
水1滴も飲まずに病院に行った。
6時40分に病院到着。しかし、病院側の説明の悪さのせいで、事前手続き(登録手続き:
admission)の必要性を現場で知らされ、「7時に事務所が開きますので手続きをしてください。」
と言われる。(夫が仕事を休んで付き添ってくれていなかったら、迷宮のような病院内で
わたしはしばらく途方に暮れていたかもしれない・・・。夫でさえ、その手続きにかなり困惑
していたので。)
手続きが終了したのが7時半。
それから待合室にて待つこと1時間ほど、ようやく名前を呼ばれて病室に通される。
(同じく待合室にいた女性が看護婦さんに向かって「今8時なのにまだ順番が来ないだなんて!
なんで7時に来なきゃいけなかったの?8時に来たっていいじゃないの?」と噛み付いていた。
みんな飲まず喰わずで来ており、いつまで待たされるのか全くわからないので気が荒い。)
病室に通されると、すぐシャワーを浴びるように言われ、不織布でできたペラペラのエプロン
みたいな手術着と紙タオル、消毒薬入りのせっけんを渡され、これで体を洗い、手術着に
着替えるように言われた。靴も靴下も履いてはダメで、これまた不織布の靴下のようなものを
つけさせられた。(髪も、不織布のシャワーキャップみたいなので覆う。)
体に一切の異物をつけてはならず。下着はもちろんのこと、マニキュアもダメ、髪を結ぶゴムも
ダメ、結婚指輪でさえも外すように言われた。(後で考えてみたら、これは、施術中に万が一の
ことがあって心臓マッサージとか輸血とかする際を考えてのことなのかもしれない、と思った。)
唯一つけていたのは、手首に名前を示すバーコード入りのリストバンド。そこに病室番号が
大きく書かれていた。まるで囚人みたい。
一切のものを持つことができないので、病室にはミニ金庫があった。
産科救急なので、急患優先。いつ自分の番が来るのかわからない状態で、夫と2人で病室で
長いこと待たされた。テレビはあったが、アニメ専用チャンネル以外は全て有料放送になって
いた。
待たされている間に、時々看護婦さんたちがやって来ては、血圧測定や採血、問診などを
行った。(正確な血液型をABO式とRH式で聞かれるので血液型を証明するカードがあると便利。
他、家族に遺伝的な病気があるかどうか、薬へアレルギーがあるかどうか、入れ歯・差し歯を
しているかどうか、などを聞かれる。)
11時頃に麻酔専門医(anesthésiste)の問診があり、再度問診を受け、なにやら書類にサイン
させられた。
それで“訪問客”はどうやら最後らしかったので、夫には一旦帰宅してもらった。(わたしが病室
を離れてから午後2時までは夫は病室に残れないと言われていたので。)
きっと3時頃にならないと終わらないだろうから、3時頃にまた来てね、と夫に言っておいた。
11時半、看護婦さんに薬を飲まされ、15分ほどしたら「手術室へ移動します」といって、ベッドごと
移動させられた。
手術室脇でベッドに寝かされたまま、手の甲に点滴(perfusion)用の針を刺され、非常に
痛かった。(いまだに青黒い跡が残っている。。。)点滴はどうやら生理食塩水と思われる。
10分ほどしたら、担架のような簡易ベッドに移され、手術室に運ばれる。
そこからさらに手術用の、分娩台のようなベッドに移され、左手甲には生食点滴と心拍測定の
器具を中指に、右腕には血圧測定の器具を装着させられた。
手術室内には4~5人ほどの医師が忙しくしていた。
不織布の手術着の肩の部分を破られ、胸に数箇所、心電図の機械にでも接続するような
パッチみたいなのをつけられた。もう、完全に“まな板の上の鯉”なので、どうにでもなれ、
といった状態。
背後から医師の1人にマスクを口に当てられ、「ただの酸素マスクなので心配しないで、深く
吸ってください。」と言われる。ビニール臭かったけど、ギュッとマスクを押し当てられているので
吸うしかない。
言われるとおりに深く吸っていると、5分くらい後に「あれ?」と思った瞬間、もう意識が無かった。
(マスクから麻酔を入れられたらしい。)
そうして全身麻酔(anesthésie générale)をかけられ、10分ほどの“そうは”(curetage /aspiration)
を受ける。(全く記憶は無いけれど。)
気が付けば、午後1時40分、覚醒室にいた。
体をもぞもぞ動かしてみると、まだ指に心拍測定器具、腕には血圧測定器具をつけられていて、
血圧は15分おきに自動測定されていた。
目覚めると、やたら寒く感じたので、看護婦さんに「寒いんですけど・・・」と言ってみたら、布団
乾燥機そっくりなものを持ってきてくれ、体を温めてくれた。(けっこうちゃんと暖かかったです。)
「無事終了しましたよ。」医師か看護士かわからないが誰かがそう言って、わたしの様子を
見に来た。そして、出血していないかどうか、パンツの中を見られた。あれ?パンツなんてはいて
なかったのに?と思っていたら、これまた不織布の下着を術後に着せられていた様子。
ぼーっとした体でそのまましばらく横になっていて、2時15分、病室へ移動させられた。
病室へ上がると、夫が待っていた。へろへろに酔ったみたいな気分で、だんだん感じる腹痛を
抱えながら、それでも「たいしたことないじゃん」なんて思っていた。確かに腹痛はあるけど、
術後なのだから当然。ひきつるような痛みは、転げて擦りむいたとでも思えばなんということは
無い。
メスを入れないので「手術(opération)」とは区別され、そうは(curetage)と呼ばれる。
昔は子宮内容物を掻き出したらしいけど、今は吸引式らしく、短時間できれいに処置できるの
だとか。(産科外科ではこの吸引式のそうはを「aspiration」と言っていたが、事務などの人は
「curetage」と言っていた。)
看護婦さんが様子を見に来てくれたので、朝から飲まず喰わずだったわたしは「いつ頃、飲んだり
食べたりしてもいいんですか?」と聞いてみた。(ビスケットと水を持参していたので早く口にした
かった。せめて水だけでも・・。)
すると看護婦さんは無情にも、「夕方5時まではダメです。」と言い放つ。
(まだあと2時間半もあるじゃあないか!!!)
だんだん腹痛が強くなってきたので、看護婦さんに「お腹が痛いんですけど」と言って痛み止めを
要求するも、痛みの度合いを10段階で聞かれ、悩んだ末に2くらいだと言うと「さっき痛み止めを
注射したばかりなので、次の服用までに数時間空けなければならないから」という理由で薬を
もらえなかった。
痛みは我慢せざるを得ず。(強めの生理痛程度の痛みだったけど、痛かった。)
相変わらず不織布の手術着のみでベッドの上。
自分の服を着たいけど、手の甲に針をさされて点滴チューブがついているので、着るに着られず。
そのうちトイレに行きたくなったので、夫に点滴を移動してもらいながら、トイレへ。どういうわけか、
尿を出す時に非常に痛みを感じた。膀胱炎とかみたいな感じ。(何か、飲んだ薬や全身麻酔の
せいなのだろうか?と思ったけれど・・・)
トイレで、自分のオシリ辺りからヒモが1本出ているのを発見して驚く。!?と思ったけれど、
引っ張ってみる勇気がないのでそのまんまにしておく。
4時頃、医師が様子を見に来た。またしてもパンツの中を見て、出血の度合いを確かめられた。
「出血も無いですし、大丈夫ですね。」ということだった。
そして、「布を抜きますので」と言われて、さっき見つけたヒモをずるずると引っ張られた。ガーゼの
包帯みたいなものをタンポン代わりに入れられていたらしい。それを抜かれた後、少し出血は
あったものの、たいしたことはなかった。とにかく、術後の状態も良好だったらしい。
あ~、終わった終わった。と思いたかったけど、あともう1時間、病室に居なければならない。
全身麻酔をかけたので、術後6時間ほど病院に居て「術後の様子」を見なければいけないという
ことらしい。(病院側の自衛対策だと思う。)
さきほどの医師に、「二日間の安静・外出禁止」と「四日間の安静」を言い渡され、仕事なんて
してないわたしが「欠勤の証明書」をもらった。病院からの帰宅も、できればタクシーが良いと
言われた。
術後1週間の間、抗生物質。2日間、子宮を収縮させる作用のある薬。1ヶ月の間、低容量ピル。
必要時に飲む痛み止め。以上を処方された。(ピルはホルモン治療剤としての効果を狙った処方。)
5時過ぎて、ようやく軽食の時間。
メニューは「パン、ポテトサラダ、無糖ヨーグルト」という質素なもの。コーヒー・紅茶さえ出てこない。
バターも無い。(胃カメラの時には「飲み物は何がいいですか?」と聞かれ、デザートはフルーツ
ヨーグルトだったのに。パンにもジャムとバターがついてたし・・。)
麻酔のせいか、あまり食欲も無いので夫に半分食べてもらった。
食事をしていたら、女性のスタッフが「ちょっと通りかかったので・・」といった様子で入ってきた。
カトリックの人間だという説明で、今のわたしの心境をうかがうような調子で話しかけてきた。
(妊婦の本意ではない意図的な堕胎であったかどうかを探っていたのかも。)夫婦仲が良さそうな
様子を見てとった女性スタッフは、「次は産科病棟でお会いできますように」と言って、去っていった。
カトリックの国だな~と思った。フランスでの堕胎は、やりたがらない医師がけっこう多いらしく、
日本より難しいらしい。そして宗教的観念から見て、このように、心のケアをしようという動きもあるの
だろうと思った。
いい加減に早く外してくれい~と、ずっと待っていた点滴。6時頃になってようやく外してもらえた。
それから着替えて、病室を出ることができた。
ベッドの上にいた時はあまり気が付かなかったけれど、ちょっと体を動かすだけで全身の筋肉が
痛んでけっこうつらかった。肩を少し動かすだけで、首から肩にかけての筋肉がズキッと傷む。
軽く咳するだけで、横腹の筋肉が傷む。これもどうやら全身麻酔のせいのようだった。
来た時同様に事務にて書類手続きを済ませ、ようやく“退院”。
公立病院なので支払いは一切無し。(後から一旦請求書が送られてきて、それを手続きするが、
保険でカバーされるので大体ほぼ全額返金される。)
タクシーに乗って帰宅。
この後約二日間、筋肉の痛みが続いた。
寝返りすら打てず、寝る方向も左側の体側を下にしてまんじりともできなかった。(寝てる間に少し
でも動くと痛みで目が覚めるので。)
そして、服用している薬のせいなのか、全身麻酔の残りなのか、体が非常にだるかった。
全て終わったはずなのに、薬の副作用などでまだまだ本調子にはなれず、食べたいものも思うよう
には食べられず。抗生物質が完全に終わる1週間目が近づいた頃からようやく、本調子になって
きて、沢山食べられるように。
術後すぐからずっと、わずかな出血が続いていて、1週間経っても(量は減ったけれど)出血は
続いていた。
きっと、一ヶ月くらいしたら本格的な生理がきて、それで全てリセットされるのだろうと思う。
アルミカップがもう無くなったので、プリンの入ってたガラス容器にオーブンシートを敷いて
その中に生地を流し込んで焼きました。
作業を開始し、まずオレンジ・ゼストを作るために皮をおろしていたら電話が鳴って、
夫が受話器を取ったらなんと、電話はカナダのマキシムくんからでした。
(彼、もうすぐ日本に留学に行くんです。)
夫とさんざん話した後で、途中でわたしに電話を代わって、また長話。
(まだ生地を混ぜ合わせてなかったので大丈夫でした。)
フランスはちょうどお昼頃だったけど、カナダは早朝、6時頃。
まだ寝てなくて、しかも酔っ払って電話をかけてくるマキシム。
「夜が明けてきたよ~」なんて言いながら、演歌について熱弁を振るう。(苦笑)
一緒に居られるなら、朝までお酒飲みながら夜通し話をしたいなって思うんだけど。
なんか、そういう時にだけできる、深くて楽しい会話ってあるから。
でも残念ながら、フランスは昼間。わたしは酔ってませんでしたから。(苦笑)
で、長電話が終わったあとで、マフィン製作再開。
これまた、なかなか美味しくできました!
アルミカップに比べると一回り小さいサイズに仕上がったのも、食べやすくて
良かったです。
(マキシム、あの後でちゃんと美味しいマフィンを焼いたからね!)
フランスの、6歳以上の子どもを対象にして作られた、学習絵本です。
これは「牛乳」のおはなし。
↓牛乳はどこから来るの? (哺乳類について)
↑乳しぼりのやり方
牛に与える飼料↓ (乳牛は何を食べているの?)
(牝牛は毎日バケツ6杯以上の水を飲む・・・らしいです。)
↓どの動物のミルクでも同じ味なの? (これは・・・リャマとかですかね?)
実際は、酸っぱかったり、ほのかに甘かったり、各種ちがうらしいです。
トナカイのミルクは、牛乳の4倍も脂肪分が含まれているそうです。寒い土地の生き物だからでしょうね。
(へぇ~ へぇ~)
バターもチーズも牛乳から出来てるんだよ、という話も載ってます。
右下にご注目! なにげに日本の国旗が・・・
(日本のチーズはヤギ・チーズだと書かれてるけど、ホント??)
このシリーズの本、けっこう面白いんです。
海辺の黒ヤギさんあたり、ハマるのではないかと思いますが。(笑)
こんな感じに仕上がりました。
今回はフルーツから水分が出なかったせいなのか、生地の噴出もなくキレイに仕上がりました。
それは良かったんだけど・・・生地が乾いた感じに仕上がり、「もうちょっと“しとっ”としてるほうが
美味しいんじゃないか?」と。。。
りんごを煮た時、水とポルト酒(+シナモンパウダーと砂糖とはちみつ)で煮たんですが、
水分がなくなるまで煮たのが逆効果だったのかも。煮汁が残るようにしておいて、煮汁を生地に
入れて混ぜたほうがマフィンらしくなったのかも。などと、次回への反省。
でもでも、味は美味しいんですよ!(笑)
続けてマフィンを作ったので、ブルーベリーマフィンを2個冷凍しました。
(これも実験です。)
(ジャスミンさんのはニンジンのマフィンだったんですね!)
あら・・・回復してますよって報告しようと思って書いてみたら、逆効果でしたね(苦笑)
でも、1ヶ月以上もできなかったことが沢山あって。
食べたいものも沢山あります!(笑)
昨日から今日にかけて「下弦の月」なので、多分その影響だったのでしょう。
昨日は疲れ知らず(ってほどでも無いけど)でけっこう動けました。
そして今朝もやたら早くに目が覚めて・・・
結局、眠れないので早朝からマフィンに使うためのりんごの甘煮を作ってました。
今日は「アップル・シナモン・マフィン」の予定です!
あ、上の写真は・・・・・・朝5時に寝込みを襲って撮影したプチ・コンの寝姿です。
(ピンボケでごめんなさい。)
背びれも尾びれも力なく“だらり~ん”となって水底付近でじっとしている、典型的な
金魚の寝相です。(笑)
あの・・・もうちょっとの間、書き逃げさせてくださいね~。(笑)
今日は、体がだいぶ調子よくなってきたので、ばたばたとアレコレやってました。
本当は「2日間安静にしててください」って言われて、2日間の休職の紙(?)を持たされ病院を
出たんですが、昨日はちょっとしんどかったけど、今日は随分楽なので、あれこれ気になっていた
ことを済ませました。
気になっていたこと、その1。 「ぺこのカゴのおそうじ」
ずーっと夫にやってもらっていたので、今日は隅々まで掃除しました。
気になっていたこと、その2。 「プチ・コン水槽のおそうじ」
これまた、ずーっと夫にやってもらっていたので、恐ろしく緑色になっていて・・・
今日は徹底的にゴシゴシ掃除しました。
(サザエさん、相変わらずサボッてます・・・ 汗)
気になっていたこと、その3。 「マフィン作り」
ここ2~3週間ほど、なんだかやたらとマフィンが好きになり、というか食べたくなり、
よく買って食べていたんですが、自分で作りたいな~と思ってたんです。でも
つわりで作れなくて。気分が良くなって料理できるようになったので、早く作りたい!
とずっと思ってて。ようやく今日、作りました。
気になっていたこと、その4。 「焼きプリン作り」
実は、日曜に作ろうかと思ってて、すでに卵を買ってたんです。古くならないうちに
早く作らなきゃ~!!と思いつつずるずる延ばしていたので、今日、思いきって
作りました。マフィンも作るつもりだったので、どうせオーブン温めるなら・・と。
気になっていたこと、その5。 「液肥」
8月中ずっと庭いじりできなかったので、涼しい夏だったというのに液肥もまいてなくて。
植物がひょろり~んとしてたので気になってたので、今日は各鉢にまいてやりました。
とまぁ、これだけやってたので今日は昼寝もせず。
これだけ動けるのですから、おかげさまで、体も随分良くなってきてるんだと思います。
上の写真は、今日作った「ブルーベリー・マフィン」です。
レシピどおりに作ったんですが・・・なんか、すんごい色になっちゃった。
これが本当の姿なんでしょうか?(謎)
そして、オーブンから出した時に、生地がマフィン・カップからだらだら~と流れ出て
焼きあがっていて、この色ですから、かな~りおどろおどろしかったんです。
(流れ出た部分を切り取ってから撮影してます。)
でも味は美味しいんですけどねっ!ねっ!(笑)
お次は、きれいにしたプチ・コン水槽です。
掃除直後なのでちょっと水が白濁してます。(翌日には透明になります。)
スイスイーとね。プチ・コンも気持ち良さそうです。
ちなみにサザエさんは・・・水草の中にぼちゃっと落としたので、そのへんでウロウロしてると
思われます。
いろいろご心配おかけしましたが、月曜に病院に行き、それで全て終了。
ひと段落つきました。
その経緯については、近いうちにまたあちらに書きますね。
とりあえず、全て無事終わったことをご報告します。
ほんと、ご心配おかけしました~。
ところで、写真はオークションに出品中の羽根ペンで書いた文字・・・です。
カリグラフィー習ったわけじゃないので、そういうのではなく、普通のわたしの字なので
あまりキレイじゃないけれど・・・、なんかこういう感じで手紙とか書くのって、よろしいん
じゃないかと思いますね。
なんていうか、書き味が金属製のペン先とはまた違うんですね。ペン軸の重さも非常に
軽いのも特徴的。
この羽根ペンのパッケージには、「ヴィクトル・ユーゴーやアレクサンドル・デュマといった
文豪たちも、金属製のペン先の登場にもかかわらず、この水鳥の羽根のペンを愛用した」
と書いてあります。何か理由があるのでしょうか・・・。
手元にインクが無くって、でも見本として何か書いて載せたくって、あろうことか・・・
ウチにあった「版画えのぐ」など水で溶いてインク代わりにしちゃいました。(汗)
なのでなんだかビミョーな感じ。乾いたらマットな黒色になってるし・・・。
セピア色のインクなんかが、いいかもしれませんね。
早くお返事したいのですが、なかなか・・・。もうちょっと待っててくださいね。
今日は、ちょっと心の洗われるお話です。
昨日、梱包材を買いに出た際に、ふいに思い立って近所の教会へ立ち寄りました。
正確には、その、一度も入ったことのない地味な教会の前を通り過ぎ、
そこが「聖女リタ」のための教会であることを突然に思い出し、思い切って
入ってみたのでした。
クリシー大通りにあるその教会、教会というよりはむしろ「○○会館」
という名前が相応しいような外観で、入り口脇には聖女リタを描いた絵
が飾ってあります。
聖女リタは“絶望した女性、もしくは娼婦のための聖女”とされている、と
以前から聞いていたのですが、実際はどんな方なのでしょうか。
十字架から放たれる光の当たった彼女の額には、トゲが刺さっています。
教会内に入ると大きなステンドグラスが1枚あり、それもまた聖女リタの
肖像となっており、額に小さな赤い傷跡が描かれていました。
額に傷を受けた、聖女リタ。聖母マリアに次いでの人気だそうです。
なぜ彼女がここまで慕われるのでしょうか。
家に戻って検索をしてみたところ、彼女の人生はとても苦しく悲しい
ことの連続であったが、常に神を信じて祈りを忘れないでいて、そして
その願いはかなえられ続けたから・・・という感じの内容が出てきました。
(気になる方は、ぜひ検索して調べてみてくださいね。いろいろな方が
サイトで書かれています。)
教会を出て目的のお店に向けて歩きながら、ふとわたしの額にも傷跡が
あったことを思い出しました。
聖女リタとおなじく、ちょうど額の真ん中です。
わたしも彼女のように、常に人を恨むことなく、現状をあるがままに
受け入れ、そして信じる気持ちを忘れないでいたい・・・そう思いました。
聖女リタにささげる祈りのことば(フランス語)
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聖女リタに関する簡単なお話と、日本語の祈りのことばが載ってるサイトです。
もうちょっと詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。
「聖女の条件―万能の聖母マリアと不可能の聖女リタ」
竹下節子著 2310円
(聖女リタに関する話が載っている本です。いつか読んでみたいです。)
報告記事を先ほどUPしました。
週末はなんだか調子悪く過ごし、なかなか報告記事が書けずにいました・・。
でも、おかげさまで、精神的には大丈夫です。
全部片付くまでまだ時間がかかるけど、少しずつ、元通りになっていきます。
遅くなりましたが、報告です。
結局、婦人科の先生も「胎児(胎芽)がまったく成長していないのだから・・・」と
いうことで「胎児(胎芽)死亡」と判断。
子宮内容物を薬によって排出させることになり、週末はその薬を飲んで
いました。
この辺りの流れは、前回の時とほぼ同じです。
ただし今回は・・・この薬があんまり効果無く、いまだに排出どころか
血の1滴も下りては来ず。
その代わり、副作用は去年の時よりキツかった。
下腹の腹痛も来ず、血も出てこない。
子宮の中に留まっているものは、このまま自然に「流産」という形で
排出されるのを待つ以外の方法としては、再びの投薬、もしくは「そうは術」
と呼ばれる簡単な手術によるしかなさそう。
やはり薬でサッと出すほうが、体にとっても負担が少なくてイイんですけどね。
ところでこの薬、前回の時と同じ薬だったので、てっきり、婦人科用の
「流産を起こさせる薬」なのだとばかり思っていましたが、今回わかったの
ですが、実は全く違う目的の薬なのだとか。
当初の目的どおり妊婦が使用した際に、すぐさま流産が起こってしまった
ことを利用しての、裏ワザ的使い方、なのだそうで。
(だから今回は失敗だったのか???)
副作用だけ受けて、丸損なワタシ。