今日も ぺこぺこ

ジョリ夫婦&ぺこ。3匹とも、今日も元気に「ぺこっ」てます。

ジャパン・レールパスの旅 -1-

2005-07-28 05:49:41 | Weblog

今回の帰国では、はじめて“ジャパン・レールパス”なるものを使って旅をすることにしました。これは日本のJR各線が乗り放題になる周遊券なのです。(のぞみは除外。)
日本人が欧州を旅する時には同様のユーレイルパスっていうのがあると思うんだけど、その日本版。わたしも在外日本人ってことで、ジャパン・レールパスが使用可能でした。
1週間用のパス交換券を買っていたので、旅もきっちり7日間で計画。新幹線や特急乗りまくり。しかし・・・最近“のぞみ”の本数が増えてるのね。帰国して時刻表を見てビックリ。これじゃレールパスも使い難いったら。。。

さて。旅の最初の目的地は福井。
大学時代の友人宅へ泊めてもらうことに。・・・いってきま~す♪
山陽新幹線で新大阪まで。新大阪で特急「雷鳥」に乗り換え。そして福井に到着。

友人宅は一軒家で、ご覧のとおりの庭付き、平屋。豪華版です。

夕食、どっか食べに出ようよってことになり、わたしたちのリクエストで焼き鳥屋さんへ連れて行ってもらいました。

実はワタシも、焼き鳥屋さんに行くのなんて・・・これで2回目くらい???
こんな調理場丸見えのお店で、しかも火がっ!! 夫は大興奮でした。(笑)

面白かったのが、この看板。 シルバーゾーンって・・・?

地元民である友人夫妻も???な顔してます。
皆でアレコレ話した末に、「なんかこれって、シカ飛び出し注意の看板みたいよねぇ」ってことになり、“老人が猛スピードで飛び出す危険性アリ”な地域ってこと?(苦笑)ってことで落ち着きました。真相やいかに・・・。
(老人率が高い地域だったのかしら?)


義父母、フランスへ帰国

2005-07-27 02:38:48 | Weblog

7月25日の早朝の便で、義父母はフランスへ向けて旅立っていきました。

広島空港から成田へ、そして成田でパリ行きへ乗り換えるのです。
写真左側のミニミニの飛行機の中に、義父母が乗っています。

義母が、飛行機の窓から写真を撮っていました。

こうして見ると、本当に日本は田んぼが多いですねぇ~。
フランスの夏は乾燥していて、水不足の所もけっこうあって、止水制限したりもしてます。だから、日本の夏の風景の緑色の豊かさに、義父母&夫は驚いていました。

さて、無事にフランスへ戻った義父母。
田舎でぺこの世話をしてくれました。
ぺこは、義父母がいない間は義妹夫婦のお世話になっていたんですが、忙しい彼らにはほとんど遊んでもらえなかったようで、義父が戻ってくると、義父にぴったりくっついていたそうです。よほど寂しかったんでしょうねえ。(だって、普段は義父ダイキライなんですから。苦笑)

ホラ、この義父の満足そうな顔っ!(パリでは絶対にこんなことできません。)


おやおやっ? ぺこがポケットに入ってしまいました。
「るるるるるん♪」という、ぺこの嬉しそうな声が聞こえてくるようです。


「きゅい~ぃ」 満足そうな、ぺこの顔っ! 義父もちょっと嬉しそう。

しかし、ちょっと義父が気を許した隙に・・・なんと、ぺこがTシャツの襟元から中へ入ってしまいました。(それまで義父は襟元を手で押さえつけて、ぺこが入れないようにしていたのでした。)
「うわっ! くすぐったい~!!」 義父、大慌て。

すると、ぺこはワキの下からひょっこり顔を出してきました。
「やってやったぞ!」というような、いかにも満足そうなぺこ。

こうして、義父とぺこはオトモダチになったのでした。
(しかしそれは長くは続かなかった・・・・・)


日本でフランス料理

2005-07-26 18:59:52 | Weblog

我が父の提案で、フランス人3人を連れて「フランス料理」を食べに行ってきました。
(ウチの父は何故か、彼らの旅の間に一度は洋風レストランへ連れて行きたがるのです。ウチの田舎にもイタリアンやフレンチがあるんだぞ!と自慢したいらしい・・・。)

さて、今回父が連れて行ってくれたのは、ウチから車でしばらく走ったところにある、けっこうな山の中(笑)のレストラン。父が通勤時にここの側を通るので、いつも気になっていたとのこと。お店の名前は「シェモワ Chez moi」。フランス語で“ウチ(わたしの家)”という意味です。

さて、本日のメニューは・・・↓です。

シェモワ・ランチにはなんと、“フランス産”ひな鳥が。(空輸品でしょうかね。)
しかし安いよね、この値段。さすが、田舎ならではです。

毎度メニューはわたしが翻訳・・・(汗)
めんどくさいのでかなり雑に説明してるんですけどねっ。

これは写真のコラージュで作られたデザート・メニューです。
チョコレート・ケーキやチーズ・ケーキ、チョコレート・ムース、はちみつのアイスクリームなどがありました。ケーキ類にははちみつのアイスが乗っかってるということで、ちょっとお得かも?
結局、6人中3人がシェモワ・ランチを注文。
わたしはガスパチョ目当てにスープ・ランチを注文。

全体的に量は沢山では無いけれど、全てを堪能できる量で、(お昼だし)胃に負担がかからなくってちょうど良い感じ。最後にコーヒーは付くし、しかもケーキはサービスだったし♪
お料理も美味しいし、何よりも気軽に立ち寄れる値段なのが嬉しいです。同郷のみんな、帰省した時にはぜひ行ってみてね~。場所は、電話して聞くべし。。。


実は、義母がちゃっかり厨房で働くシェフ(写真左)の写真を撮ってました。(汗)
そしたらお会計の時にシェフが出てきて少しお話をしました。
彼はフランスの3都市で修行をしていたらしく、フランス人が懐かしかったようです。久々にフランス人とフランス語を話せて満足そうな様子でした。とっても感じの良い方で、わたしが「フランス人が、飛行機に乗ってわざわざここまで“フランス産の鶏肉”を食べに来たんですよ」って言うと、笑ってました。

そんなこんなで、義父母の旅はそろそろオワリ~。


畑はおもしろい

2005-07-26 18:57:28 | Weblog

畑に興味ある人って、わたしのお友達の間にどのくらいいるのかな?
そういうワタシ自身は「家庭菜園」程度に興味があります。
義父母や夫も多少そういうのに興味はあるみたいなんですが、実際にやってみようとはあまり思っていない様子。しかし、この夏日本でちょっとしたショックが義父母に・・・。

上の写真、これ何だかわかりますか?
実はこれ、大豆です。枝豆の。
田舎のひいおばーちゃんの家へ行った時、そこのおばあさんが畑をやっているので、いろいろ見せてもらったんです。

これがその家の居間から見える眺めです。すっごい田舎でしょ?
夏でもクーラー無しでなんとか過ごせる涼しさです。(標高が高いから、とか言ってます。笑)

上の枝豆の写真も、そしてこの写真も、義母の撮影。
なすびくらいフランスにだってあるんだけど、こーんなに細長いのは無いんです。で、珍しかったみたい。


そしてコレは、おなじみの青じそ(大葉)ですね。
でもシソもフランスには無いので・・・(パチリ)

これを見たフランス人は大抵、「おーてぃーぃ」と言うでしょう。見た目がそういう名前の雑草に似ているからなんです。しかしですね、この雑草、その名も「セイヨウイラクサ」と言われていまして、触るとイガイガ痛痒くなって大変!な雑草なのです。欧州の田舎に行くとわんさか生えてるので要注意なんです。そんな危険な草に似たものを日本では重宝して植えているのでフランス人には不思議なようです。が、在仏日本人には「わ~、シソかな?」なんて言ってセイヨウイラクサに触りたい衝動が沸き起こるので、とっても危険。

これらの他にも、ヤマイモ、サトイモ、アスパラガス、トウモロコシ、スイカなど。田んぼもね。(ピーマンは?って聞いたら「嫌いだから作らん」と、一言・・・。)
果樹も沢山ありました。プルーンがたわわに青黒い実をつけていたので「もうすぐ食べれるんじゃない?」と言うと、「ここからが長いんよ」とおじさんが言う。熟れたように見えてから、さらにかなりの時間待たなければ食べられるようにはならないらしい。(ここんちのおじさん、絶対毎日触りに行ってるに違いない・・・)
この家では、おばあさんが自分で作れる農作物は大抵全部作っていて、いつもとりたて野菜を食べさせてくれるのです。


実は我が父も、家庭菜園に目覚めていました。
狭い土地を父が耕し、上記のおばあさんの知恵を借り、あれこれ作っているのです。

これは父が作った枝豆。抜きたてを湯がいて食べたらすっごく甘くて美味しかったです。黒豆の枝豆(←最高!)も作っていましたが、写真のは普通の枝豆。


これは大根。夏大根なので辛くて食べられないって言うんで、まびき菜を炒めて食べました。
フランスにはラディッシュくらいしか無いので、大根の葉の大きさを見てビックリの義父。根っこはもっと大きくなるよ~ん。


そして↓コレ。何だかわかりますか?

正解は、サトイモです。この大きな葉の下に、あの小さな芋が埋まっているのです。ちなみに、右側にチラッと写ってる朝顔みたいなのはヤマイモだそうです。(ワタシも知らなかった・・・。)

退職してから家庭菜園に目覚めた父。毎日、クワを担いで畑まで・・・車で行っているそうです。(徒歩5分ほどの距離なのに~。) しかしここ2年のうちにすごく種類が増えててビックリ。家の庭にはトマトもキュウリも沢山なっていたし、なすびもピーマンも少しずつなってた。
う~ん、わたしもやりたいぞ~! でも太陽不足なんだなーーーーーっ(悲)

そうそう、義父母の話。
日本で山ほど「塩茹での枝豆」を食べて、ものすごく気に入ってしまったようで、「これ、ウチでも育つかしら?」と言う義母。
義父母の家は、地盤が岩盤なので畑を作るにはまず、土を沢山買ってきて入れなければなりません。大仕事なのです。「枝豆だけなら(根が横に張るので)プランターでも育つんじゃない?」とウチの母が言っていました。さて、来年義父母は枝豆を植えるのでしょうか???
去年のクリスマス・プレゼントにいちごの鉢植えを義父母にあげたら、春になって次々と実をつけるいちごに感動した様子。家庭菜園の道へハマるのも時間の問題・・・?


宅急便&郵便

2005-07-25 18:25:28 | Weblog

日本に到着してすぐ、成田で国内線の飛行機へ乗り継ぐ前に、宅急便で余分な荷物を実家に送りました。
その時、義母がまたしても写真を撮ってました。
(何も、こんな所を写真に撮らなくても・・・)

で、このワタシのすぐ右横に、この後若い女の子2人が来たのでした。
宅急便の受付のおじさんに「伝票を書いてね」って言われて、戸惑う彼女たち。いまどき宅急便の伝票の書き方も知らないような日本人はいないだろうって思って放っておいたら、なんと、彼女たちは韓国からの旅行客なのでした。
2人で韓国語であれこれ相談してます。(「どうする?」とか言ってたんでしょうか。)
英語で「英語は話せる?」と聞いてみました。(どうやら英語はダメな様子。)
何度かジェスチャーも交えながら「この荷物、どこに送りたいの?」と聞いてみたところ、わたしの英語が通じたのか通じなかったのか、「コリア」と1人の女の子が答えたのです。
えっ・・・?まさか、韓国に荷物を送りたいってこと?
それじゃ普通の伝票じゃダメじゃん。国際便じゃないと。
で、宅急便のおじさんに「彼女たち、韓国に送りたいみたいですよ」って伝えると、おじさんが(日本語だけど)親切丁寧に「キミ達ね、韓国へは国際便になるから、向かい側のあちらのお店でお願いしますね。」って言って、向かいのお店へ案内してあげていました。
そして、韓国語でわたしに何か言って、頭を下げて彼女たちは向かいのお店へ行きました。(ありがとうって言ってたのかな。)
(最近は韓国人の旅行者が多いみたいね。韓国語で解説した紙とか用意しておいてあげたらいいのに。)

韓国に宅急便というものがあるのかどうかわかりませんが、フランスには日本の宅急便のようなものは無いので、フランス人はまず驚きます。そして実際にそのサービスを見て、さらに驚きます。(そして値段にもっと驚きます・・・。)冷凍品も送ることができるというのに一番驚いていました。

そしてこの写真。
これは、祝日に小包を送ろうと思って郵便局に行ったら(当然)閉まっていたので、横の「夜間休日受付窓口」にて呼び出しボタンを押して待っているところなんです。

日本ではごく当たり前のこの光景。しかし、フランス人にはとっても不思議。
まず「郵便局本体が閉まっているのに、なぜこんな小さい窓だけ開けて営業しているのか?なぜ彼は休みじゃないのか?」という疑問。
さらに、切手を買うだけではなく、荷物を送ったりもできることにビックリしてました。
(ちなみに、それなりに大きな郵便局のATMでは、外国のキャッシュカードで日本円が引き出せるので、それもビックリしてました。)

そして後日、友人へ小包を送りに郵便局へ行った時のこと。
ウチにあった箱のサイズが微妙に大きすぎて中身がガタガタ音をたてるので、郵便局で売ってる箱を買おうかな?と思って、ガムテープせずに箱を持って行きました。そして受付で事情を話し、郵便局の箱を2サイズ見せてもらって中に入れてみました。すると、小さいほうじゃ小さすぎ、大きいほうじゃ大きすぎ、どちらにしてもうまく入らないことが判明。で、結局は自分の用意してた箱を使うことに。でもわたしはガムテープを持参していなかったので「すみませんが、閉じておいていただけますか?」とお願いしました。受付の局員さんは快く引き受けてくれました。
で、お金を払って「お願いします」と言って去り行くわたしに向かって夫が「あの箱、フタを閉じないで渡しちゃって大丈夫なの??」と。
確かにコレはフランスではできないことです。そんなことして、中身が万一盗まれていたとしたら、送り主の過失になりますからね。でも日本では「信用」で物事がまわっているので、こういうのも当たり前のようにあるんですよね。
あの時夫は日本人のことを「なんてスバラシイ人たちなんだろう」と思っていたのか、それとも「なんてアホなやつらなんだ」と思っていたのか・・・。

とにかく、日本の宅急便&郵便は、フランス人にとっては驚きの世界のようです。(日本の郵便・宅急便が高いって言うけど、フランスだってけっこう高いのに。加えてサービス悪いのがフランスです。)


錦帯橋

2005-07-25 17:47:56 | Weblog

義父母とウチの両親と、夫とわたしとで、山口県の錦帯橋(きんたいきょう)へ行ってきました。

でも、肝心の“観光”をする前に腹ごしらえを・・・ということで、宮島桟橋前の「うえの」で名物“あなごめし”を食べてから行くことに。
ここは人気店なので行列覚悟。今回も1時間ほど待ってようやく順番がきました。(夫とは2度、義父母とは1度一緒に来てるんですが、いつも「おいしい!」って言うので今回また来てしまったんです。)

これは、「あなごめし(並)」です。確か1500円だったかな。(上、特上となると、あなごの数がそれぞれ増えていくそうです。)小さいお味噌汁と漬物が付いていますが、メインの穴子飯だけで、待った甲斐あった!と心底思えるほど十分満たされます。美味しさのヒミツは、「地の穴子を使い」、「炊き立てのごはんとともに」「焼きたての穴子を乗せて出す」ところにあります。(もちろん秘伝のタレも。)炊きたてゴハンの上に、ジュッと焼かれた穴子がのってて、もうこれ以上求めるものは無いといったところ。
一度、ローカルニュースでのレポートを見たことがあるんですが、この店の厨房には一升炊きの炊飯器が5個並んでいて、それぞれ15分ごとにセットされていて、それが開店と同時に次々と炊き上がり、常に炊き立てを提供できるようにしているんだそうです。あなごめしの入ってる器も、漆器で味のあるものです。
ここではお弁当も買えるんですが、一度だけお弁当も食べたんですが、店内で食べるほうが断然美味しいと思いました。

宮島方面へ行くことのある人、要チェックのお店ですぞ!
詳しくは、ネットで検索などしてみてください。
http://www.jalan.net/kanko/SPT_134011.html

おっと・・・。あなごめしを熱く語ってしまったので、肝心の錦帯橋が・・・。
錦帯橋は、広島県と山口県の境に近い、山口県岩国市にあります。
橋は木造。このような流線型の盛り上がりが5つ連なる形をしています。50年来の傷みにより架け替え工事が行われたばかりで、とてもきれいでした。

遠くから見る姿もきれいなんですが、近くによって、橋の裏面を下から見てみるのもなかなかのものです。木組みの技術のすごさに圧巻されます。

日本って橋だらけの国ですが、現代は鉄骨とセメントでできた橋ですよね。でもこの橋は、300年近く前に作られた木造の橋で、以来、修復や架け替えが行われているものの、常に木造。
フランス人3人組は発する言葉もなく、ただびっくりして橋を見つめ、へぇ~とかほぉ~とか言いながら写真を撮り続けていました。
橋の下では、地元の子たちが水遊びをしていたり、釣り人が鮎つりでしょうか、何か魚を釣っていました。橋の上から下を見下ろすと、川面にキラキラ光る魚が沢山。

日本の建造物は木造が多いですが、木でできているがために老朽や焼失などが必ずついてまわる問題。しかし、それがゆえに、再建する技術も磨かれてきたのかな?って思います。

↓に錦帯橋についての情報があります。
http://www.iwakuni-kanko.com/


フランス人にとって珍しいもの

2005-07-24 21:27:38 | Weblog
フランス人にとって珍しいもの、それは「セミ」です。

フランスでも南部に行けばセミはいるんですが、パリは北部に位置しているため、パリではセミどころか蚊も少ないんです。(パリに住み始めて4年目になりますが、蚊に刺された記憶の無いワタシ・・・)

ウチの実家の周囲でも、庭でも、わんわんとセミが鳴いていました。大合唱です。
最初それとわからず、フランス人3人組は「何の音だ?」と不思議に思っていたそうです。
ある日ウチの母が、部屋に迷い込んで来たセミを帽子で捕まえてそのまま台所のテーブルの上に置いておいたところ、我が夫が「なんでこんな所に帽子が置きっぱなしなんだ?」と思って帽子をよけたんだそうです。その下から出てきたのがこのセミ。うわっ!!と驚く夫。なにやら台所が騒がしいので行ってみたら、皆でセミを見ているところでした。
このセミは大人しくてぜんぜん動きませんでした。それでも、夫などはやたら怖がり、近寄ろうとはしませんでした。(笑) で、結局母が外の木に止めてやってました。

ウチの庭をあちこち探してようやくセミの抜け出た穴と、ぬけがらを発見。それを見せて、「セミはこうして8年間くらい地中で過ごし、そうして地上に出てからはわずか1週間か10日で死ぬのよ。だからセミを殺しちゃかわいそうなのよ。」と説明した。
しかし、義父はとっても疑いの目でわたしを見ている。「8年も地下にいるだなんてウソだ」とでも言うように。そして、息子(=我が夫)に「絶対違う」みたいなこと言ってるのです。
それを二日間もうだうだ話していたので、結局夫が仏語サイトで検索。そして発見したページにはなんと、「フランスには14年も地中で過ごすセミがいる」と書いてあったのです。これには義父も脱帽。(笑)
でも、14年間も、地中で一体何を考えて生きてるんでしょうね?


---- 蛇足 ----
生き物大好きなわたしなので、けっこういろんな生き物について広く浅くの知識はあるのですが、フランスの生き物については未開の分野なのです。
フランス人にとって珍しいものは「セミ」ですが、日本人のわたしにとって珍しい、というか一度見てみたいと思うのは、「光る虫」です。
ホタルの話をしていた時、フランスにはホタルのようなのは居ないけれどミミズみたいなのが夜に光るよ、と夫が言っていたのです。う~ん・・・ナゾだ!!!
で、まだそれを見るチャンスには恵まれていないのでした。

ごめいわく

2005-07-24 20:11:47 | Weblog
平和記念資料館の前で少し工事をしていて、その現場にあった立て看板。
なぜか夫が撮ってました。
面白かったから撮ったそうです。

フランスでは、頭を下げてお願いしてくれる人なんていないんですよ。
「工事中なんだから、どいた!どいた!」と押し出されるくらいのもんです。
でも、日本だったら看板のおじさんでさえも頭を下げてくれてる・・・。
律儀で親切ですねぇ。


フランス人の視点から見た日本、でした。

広島の夏

2005-07-24 19:32:26 | Weblog

やはり、ここを訪れないわけにはいきません。

前回義父母が日本へ来たのは年末・年始。資料館見学をしようと思ってここまで来たのに“閉館中”で残念な思いをしたので、今回こそはと再びやって来たのでした。
今年は、被爆60周年ですね。


まず平和大通りを横切り、資料館へ向けて進んでいったところ、このように花の手入れをしている人たちの姿が。義母はこういうのに関心があるようで、前回も清掃のおばさんの写真とか撮ってましたが、今回も。でもその写真に偶然にも平和のモニュメントが写ってたのでここに載せることにしました。写真奥に、アーチのようなのが並んでますよね。これはフランス人作家が作ったそうで、今年を記念して作ったのかな?よくわかりませんが・・・ニュースでもやってました。いろんな言語で「平和」って書いてあるんです。(エッフェル塔の近くにも似たようなのがあるから、作者が同じなのかも。)
この写真を撮ったのは7月後半。式典へ向けて、花や芝生の手入れも念入りに行われていたようです。

資料館へ入ります。入館料は1人50円でした。この金額を、どう見るのか。
純粋に資料館の維持・運営費用ということなのでしょうか。タダ同然の値段なので、何度でも訪れたい人は何度でも来てね、ってことでしょうね。
わたしは多分、小学校以来じゃないかと思います。来館したのはすでに遠い記憶の底・・・。今回は、イヤホンのガイドを装着してしっかり見学することにしました。

このような立体展示がしてありました。(義母撮影)
今は背の高いビルが立ち並ぶ広島の街ですが、昔はこのように一般家屋が並ぶ住宅地だったようです。(写真の左側が北側。)
写真左に2本の川の分岐点があるんですが、そこが原子爆弾投下目標地点だったそうです。上空から見てわかりやすいんでしょうね。
「原爆投下後」のほうの写真左上の隅に、少し大きめの建物が写っていますが、これが焼け残った原爆ドーム。このドームの上空にて爆弾は炸裂。投下目標地点のすぐ近くであることがわかると思います。(このドームは、もともとは市の産業会館だったそうです。)


これは原子爆弾が破壊した場所を示す地図です。
赤い範囲が「全壊・全焼地域」で、淡いベージュの地域が全・半壊地域、そして緑色の部分が山です。
現在の広島の地図は↓です。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.23.31.807&el=132.27.22.093&la=1&fi=1&sc=4

原爆ドームのすぐ南手にある橋から、北側を写した写真です。

「年々、ドームが小さくなりますねぇ」と、誰かがそう話したというのをテレビで見ました。(被爆者の方の話だったかもしれません。)
広島では今、ある変化がおきているのです。それは、「平和学習の停止」。
わたしたちが子供の頃には、毎年夏には「平和学習」、そして夏休みに「平和登校日」というのがあり、8月6日(地域によっては5日)に学校で戦争と平和について学んだのです。それがもう行われていない。
広島県の小学生を対象に、「原爆が投下されたのはいつ?」というアンケートを行ったところ、正確に答えられた子どもは2割にすぎないという結果が出たそうです。
日時を丸覚えするのが大事なことではありませんが、わたしたちは毎年それを聞いて育ってきたので、自然に頭に残っていることなのです。それが、今の子供達の頭に入っていないというのはつまり、そういう教育がされていないという証明。今の時代のやり方で良いので、平和について考える機会を、年に一度でも良いので持つということが大事なんじゃないかと思うのですが。
背の高いビルに原爆ドームがうずもれていくように見える今、ドームが崩れる恐れがあると言われて取り壊しを求める意見もあるそうなんですが、いくら保存の努力をしても現実として、いつかは崩れてしまう建物。肝心なのは、人々の心の中に平和を求める気持ちを建設することではないかと思うんですが・・・(これ以上言うと政治的な方面に触れるので。現場もいろいろ難しいらしいです。)


昔の広島の子供たち。こうして勉強を続けていたのでした。

たくさんの写真や展示資料を見、解説を(イヤホンで)聞きました。
フランス人はヒロシマについてはわたしたちほど知りませんが、アウシュビッツの話に触れる機会が多いので、何かと義父母はそれと比較して資料を見ていたようです。(フランスからも、沢山のユダヤ教徒が運ばれていったそうです。)

今回の見学でわたしが一番驚いたのは、原爆後遺症についての展示。
ケロイドというものは、焼けて皮膚がただれたものだと勘違いしていましたが、実は、熱線で焼かれた後で皮膚が再生する際に遺伝子の異常が起き、普通ならばほぼ正常の皮膚が再生されるところが、膨れ上がった異常な皮膚が再生され続けるようになる、それをケロイドと言うそうです。つまり、火傷の跡の皮膚とは(遺伝子の異常という意味で)根本的に違うのです。
そして、同じく遺伝子の異常としては「血管の通った爪」の展示がありました。熱線で焼かれてはがれ落ちてしまった爪。その後から生えてきた爪は分厚く盛り上がり、長く伸び続け、ある時それが折れたら多量の血が出たんだそうです。その、折れた爪が展示してありました。(これも遺伝子の異常ということです。)

この写真は、資料館の窓から公園側を写したものです。(義母撮影)

式典のために、きれいに芝生が刈られています。
Uの字を逆にしたようなモニュメントを屋根にする形にして、その下には黒い石の箱があり、中に被爆者名簿が入っています。(毎年8月6日、これに名前が加えられるのです。)
モニュメントの前に立つと、その向こうの池の先には「平和のともしび」が、そしてさらに遠くに原爆ドームが見えます。

名簿の納まっている黒い石の箱の正面には、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」という文字が刻まれているのですが、この夏、これに傷をつける事件が起こりました。犯人は捕まり、事情聴取で「“過ち”という表現が気に食わないからやった」と述べたそうです。

資料館の中の売店で、一冊の本を買いました。
   「ヒロシマ・ノート」 大江健三郎
最近読み始めたところなんですが、60年代にヒロシマについて書かれた大江氏のエッセイです。「あれから18年」と書かれています。ほんの、20年ほど前に爆弾が落ちたんだという昔。その時すでに広島の街は変わりすぎていたように、このエッセイを読みながら、広島の街を思い浮かべてはそう思うのです。
60年も経ってしまったから変わったんじゃない。
60年という年数が変えたのは、確実なる「被爆者の減数」かもしれません。
そういうわたしの祖母も、あの時あそこにいたんですが。多くを語ることもなく、今は病院で死を待つのみです。
「ヒロシマ・ノート」の冒頭には、多くを語りたく無い被爆者の意見が書かれています。声高に叫ぶことだけが平和運動なのか?という疑問を昔から持っていたわたしに、最も皮膚感覚で訴えてくる文章が、ここにあるように思えます。

今年の式典にも、例年のごとく多数の参加者があり、いまだに多くの「被爆者」の方々の参加者も。しかし被爆者の多くは高齢で、このほんの1時間ほどの式典への参加はとても大変なんだそうです。
昨夜読んだ「ヒロシマ・ノート」のページに、60年代当時の第9回原水禁大会前の平和行進の行われた時の様子について詳しく書かれているのですが、行進の後で院長と一緒に病室をおとずれた大江氏が見たのは、動けぬ体の老被爆者でした。彼もあの行進に対して、窓から手を振りたかったんじゃないか。と直感的にそう思ったと、大江氏は書いていました。

ヒロシマについて知りたい方は、こちらを見てみてくださいね。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/




(ごめんね、今回笑える話じゃなくって・・・)


ぶどう園、見学

2005-07-23 23:12:53 | Weblog

我が実家のある市では、ぶどうの栽培も盛んに行われています。
それで、ぶどう生産の本場(?)であるフランス人に「日本のぶどう」を見せるために、ぶどう園に連れて行きました。

ここはウチの母がお中元やお遣い物でお世話になっているぶどう園。
「ちょっと畑を見せていただけたら・・・」と母が頼むと、ぶどう園のおかみさんは快く引き受けてくださいました。

↑ぶどうの袋を取りはずし、大きな粒のぶどうの作り方を話してくれるおかみさん。
垂れ下がった房の下半分にしか粒がついていないのが、わかりますか?

ぶどうの房の上半分の粒を、全部手で取り除いて、下半分だけを育てるんだそうです。それが「粒の肥大化」の方法。
粒の数を減らしてやれば、一粒あたりのサイズが大きくできるってワケですよね。とっても勉強になりました。

ところで、フランスのぶどう畑は日本のような棚作りではなく、株を低く仕立てていて、毎年枝を切っては株の部分だけを残して越冬させるんです。ぶどうの木の育て方も日仏間で差がありますね。
ちなみに、こちらのぶどう園のぶどうの木は60年くらいのものだそうです。
最近は沢山品種を増やしていってるそうです。

成人男性がちょっと頭をかがめるくらいの高さの日本のぶどう棚の下を歩いてみて、フランス人3人組はまたしても感嘆の声を上げます。
「おぉ~っ」
所変われば、ぶどうの育て方も変わる。「違い」を楽しむって、いいですね。

ところで、義母がこんな写真も撮ってました。

実はコレ、ぶどう棚の下に植わっていたカボチャ・・・。
ちゃっかり家庭菜園も兼ねてました(笑)
フランスのカボチャはオレンジ色の皮をしてるので、義母には珍しかったのかも。

ぶどうの箱詰め作業所には、こんな写真が。

ここに写ってるの以外にも、もっと種類があったように思います。
随分前から「種無しぶどう」ばかりが人気ですが、最近では「皮ごと食べられる」というのが売りなんだそうで、そういう品種も増やしていってるんだとか。

義母は大のぶどう好き。試食させてもらった時も、義母は大喜びでした。で、皮ごと食べる品種じゃないのに、皮ごと食べちゃう義母。(フランスでは、皮も種も全部食べる人、けっこういるみたい。)
ぶどう園のおかみさんが、義母が皮を取らずに食べてるのを見てビックリ。
「義母は、種も食べるんですよ」ってワタシが言うと、さらにビックリして笑ってました。


さんざん見せていただいて、その上おもちまでいただいてしまいました。
(コレ、おかみさんの手作り。「ちょうど蒸し上がった所だったから」って。とっても美味しかったです。)

ぶどうを買いに行ったつもりが散々お世話をかけてしまいました。(7月下旬だったので、ぶどう園が忙しくなる前の時期でちょうど良かったです。)
義父母&夫には楽しんでもらえたようで、何よりでした。

義母の感想:「フランスにはこんな美味しいぶどうは無いわよ。しかも大きいし!」
確かに、フランスのぶどうは粒が小さめ。粒の大きいものはイタリア産らしいです。味も、日本のほうが美味しいような気がします。
もしかしたら、フランスではぶどうは主に「ワイン用」であって、食用(くだもの)としてはさほど力を入れて生産していないのかも?


ちょっと息抜きに・・・

2005-07-22 23:05:51 | Weblog
旅の話ばかりもナンなんで、ちょっと息抜きに他の話題も。
(って、相変わらず帰国中の話ではあるんですが。)

この写真、日本人には“おなじみ”ですよねぇ。
ゴクミとアレジ。
でもフランス人の夫には「なぜアレジの写真がこんな所に!?」と不思議だったようで、思わずパチリ。

(ちなみに、わたしの誕生日はゴクミと一緒です・・・)

旅の思い出

2005-07-21 18:41:50 | Weblog
旅に出るとつい、貝殻やら小石などを拾って帰って来てしまいます。
でもそれって後で置き場に困ることってありませんか?
わたしはこんな風に、アルバムに貼れない思い出の品々を額縁にまとめることにしています。


安い額を買ってきて、ガラスを抜き、裏板の上に直接ボンドで貝殻などを貼り付けていくんです。拾った場所や時期なども紙に書いて貼っておきます。葉っぱなどは、押し花にしてアルバムに貼ることも。

貝殻も石も、そして植物も、いわばその土地の「顔」。
場所によってそれぞれ違います。どこでも同じってわけじゃありません。
竜串のペンションの下の浜には真っ黒い小石ばかりが転がっていました。でもちょっと車で移動すると、浜の色が全く違ったりするんです。

今回は去年と同じ場所「竜串・見残し」へ旅行したので、前回とは違って“壊れた貝殻”を拾ってみました。これだと貝の内側の構造がよくわかるから。
そして今回なぜかウニの殻をたくさん見つけることができたので、持ち帰る時に割れてしまった殻も貼り付けてみました。殻の内側と外側の模様も、じっくり見ると意外にキレイなのです。

一番下に一列に並べている小石は、高知の「桂浜(かつらはま)」のものです。
20年ほど前までは、このような、いろんな色の石で浜が作られていたんですが、今はもう、ただの砂だらけの浜になってしまってました。
ようやく集めたきれいな石を、色の順番に並べて貼り付けてみました。
  緑、黄緑、黄土色、茶色、小豆色、赤紫、青灰色、灰色、白黒、白
このように並んでいます。

竜串の浜で拾った流木も、こうして見ると、なんとなく・・・ぺこの背中に似ているような・・・?

瀬戸大橋

2005-07-21 17:56:50 | Weblog

行きは「しまなみ海道」でしたが、帰りは瀬戸大橋を通りました。
瀬戸大橋を知らない人はいないと思いますが、通ったことの無い人のために。
「意外と長いんですよ。」


この写真が橋の全景。
右手奥に見えるのが四国、左下の隅っこから右上に向けて伸びているのが岡山県です。本州と四国を繋ぐこの橋、本当にこうして繋がってるんですよ。

瀬戸大橋は一本の橋なんですが、あまりに長いため、(当然)何本もの「足」があります。しかし、流れのある海の中に足を埋め込む作業はとても大変で、この橋の建築作業の中で一番難しかった作業がその基礎工事だったんだそうです。瀬戸内海には無数の小島がありますが、その島々を上手く利用してこの橋は建てられました。足の多くは島の上に作られ、1箇所のみ、やむをえず海中に作られたそうです。(以上、母談。←TVでやってたそうです。)

そんなウンチクは、実際に橋の下に立ってみると頭の隅っこへと消え去ってしまうほど、この橋はとてつもなく大きいのです。
例によって、フランス人3人組は「おぉ~~っ!!」と声を上げていました。
最近フランスにも大きな橋が架かったんですが、そのニュースを見てフランス人がどよめいている時にもわたしはビックリしていなかった、その理由が今回の日本の旅で彼らにも判ったんじゃないかと思います。
「橋の技術は日本のほうが上だろう。」

(海の上の橋だけではなく、山と山をつなぐ陸橋もかなり背の高いものをいくつも通ったので、それに対しても夫&義父母は驚いていました。日本はどこも橋だらけ。起伏の多い日本と比べると、フランスは平坦な所が多いですからね。)


橋の中央の島に休憩所があり、そこが橋の見学スポットとなっています。

ここがその島。(上に見えるのが橋です。高速道路じゃないですよ。)
このようにして、ここから橋の両端を眺めます。
あ、でもわたしたち、下を向いて一体何をしてるんでしょうか・・・?
実は、電車の時刻表を見ているんです。

瀬戸大橋は、車だけではなく電車も通ってるんですよ。
これで岡山県から高知県まで行けるんです。
トラックの下を走る電車が見えますか?
(時刻表は、この「電車の通過」を眺めるために設置されているのです。)

上の写真で電車が見えなかった人のために・・・

これならわかるでしょう?


今回の四国の旅、暑い中を車でひたすら走りましたが、車窓の景色もきれいで満足なものになりました。
運転手さん(我が父)にひたすら感謝です。。。


新宮で茶園見学

2005-07-20 06:49:21 | Weblog

朝早く高知市内を後にし、一路「新宮」へ。
本来ならば新宮も通過してすぐ瀬戸大橋を渡れば良いのですが、義母の「お茶の木ってどんなんだろう?」という言葉を聞き逃さなかったワタシ。今回の旅の行程でどこか、お茶の産地は無いのか?とネットで探して見つけたのでした。お茶の産地ならば、(時期ハズレであっても)お茶の木くらい見れるはず。
そう、お茶のシーズンは夏前なので、7月中頃はもう全ての作業が終わっている時期なのです。

また例のごとく、半拉致状態で新宮へ連れてこられたフランス人3人組み。
ものすご~い山の中の駐車場で車を止める我が父を不審に思いながらも、「昼食を食べる」と言うので、黙ってついて来る。真相を知っているのは、日本人3人組のみ。
しかし、昼食を食べるより前にまずお茶室に行ってしまった。(昼食には時間が早かったのでね。)

「霧の森」という、いろんな施設が集まった場所の中にこの茶室もあった。
お庭も茶室も造りが良くて、庭の手入れもまずまず行き届いててきれいでした。
お茶&お菓子を人数分頼んで茶室に入る。
お茶をいただく前に「写真を撮るから」と言うと、義母がかしこまって正座しようとする。義父もがんばってみたけど、どうにもヒザが言うことを聞かないらしく、断念してあぐらをかいていた。義母はがんばって、写真撮影の間だけなんとか正座できていた。それ以外の時には「女座り(横座り?)」を教えてあげた。そうしないと義母も、どうしていいのかわからなくって、あぐらをかいてしまうから・・・。(汗)

お抹茶の味、フランス人の舌にはどうなのか?苦すぎやしないのか?と日本人組は心配していたんだけど、案ずるより産むが易し。3人とも「セ・ボン!」と言っていたのでした。「やっぱり、エスプレッソで苦いのには慣れてるからかもね」と言うウチの両親の言葉に、納得。

お昼ごはんは「霧の森」にあるレストランにて、茶ソバを食べました。
お箸はかなり上手に使えるようになっていた義父母ですが、さすがにザルそばは難易度が高すぎたようで、腱鞘炎になりかけ状態で奮闘してました。思うように動いてくれない手と戦い、時に爆笑しながら。

お昼ごはんの後、ようやく目的の「お茶の木」を見に出発。
ここで初めて義父母に「お茶の木を見るためにここに寄ったのよ」と言うと、またしてもひどく感激された。海が好きな義母のために海辺の宿を取り、竜串の岩場を見たいという義母を連れて行き、そしてお茶の木まで見せるって言うんだから。
ところで、来る途中でお茶畑らしい所は見なかったけど、ホントにこの辺にあるの?とちょっと心配になってきた。が、父は何か心当たりがあるらしい顔をして「すぐちょっと行ったところにね・・・」なんて言っている。怪しい。

そして車に乗って本当にすぐちょっと(ほんの数分)行った所で急にお茶畑が見えてきた。
「コレコレ!これがお茶の畑よ!」と興奮してわたしが説明を始めたら、父が急に車を寄せる。そして「ここを見せてもらったらいいよ。」と言い出す。

道路から続く細い坂道を上がる途中、両脇が茶畑で、正面にお茶屋さんのお宅かな?と思える建物、そして左側には工場が。お茶の木の葉っぱはさすがにもう固そうな葉ばかりで、それでもちらほらと黄緑色のみずみずしい色をした新芽も顔を覗かせてはいました。茶畑の側でさんざん写真を撮らせてもらっていたら、父が急に「ちょっと、ご主人に挨拶して来よう」と言って、すたすたと上がっていくではありませんか。怪しい、やたら知りすぎてる・・・。

お茶屋さんの事務所かな?と思えるような所に上がりこみ、父が「フランス人を連れてきました~」なんて言ってる。そんな、都合よく上がりこんでもいいんだろうか?なんてどぎまぎしてるワタシを無視して、父と茶園のご主人は仲良く話をしている。そしてご主人が自らお茶を入れてくれた。しかも、3種類も。お茶の説明をわたしが(つたない)フランス語で訳して説明していると、義父母も真剣にご主人の言う話に耳を傾けていて、お茶の味に「セ・ボン!セ・トレ・ボン!」と。ご主人もノリノリになってきたのか、1煎目、2煎目・・・と入れてくれたので合計で9杯くらいお茶を飲んだことになる。ついでにお茶羊羹もいただいて、至れり尽せりのサービス。

あんまりお茶が美味しかったので、お茶の葉購入。
その後、なんと工場を見学させてもらえると言うので、お言葉に甘えて見せていただいた。

↑写真右側に見える、丸くて下にブラシみたいな毛が生えている機械は「茶揉み機」なのでした。これで、丸く、やわらかく揉むのだそうです。

↑この機械は、お茶の葉と茎をより分ける機械。
茎の部分は茎茶になるそうです。この行程で出る「カス」の部分は静電気で吸い寄せられ、写真右側の機械に吸い込まれるそうです。

思わぬ工場見学までできて、お茶園に寄ったのは大正解でした。
でもご主人が相当な話し好きなのか、話が終わらなくって最後には困ってしまいました。実は、わたしたちみんな、トイレに行きたくなったのです。
さっき9杯もお茶を飲んだし、その前に昼食時にもお茶を飲んでたし、さらにその前にはお抹茶も。利尿作用がキョーレツに効き始めたのかもしれません。皆が皆、そろいも揃って膀胱はちきれそうな状態に。
お礼を言って、お別れを・・・となるとご主人がお茶の木についての話を再びはじめる。そしてまたお礼を言って、お別れを・・・となるとご主人がさらにまたお茶の木の話を。これが数回繰り返された後で、ようやく帰れることになった。で、さきほどの「霧の森」の駐車場にあったトイレに皆で直行!(笑)

この後、瀬戸大橋を渡って本州へ。


あの怪しかった父の行動の真相が、瀬戸大橋へ向かう車の中で判明しました。
実は、父は「下見」に来ていたそうなのです、この茶園に。そしてご主人ともすでに会っていたのでした。(←修学旅行で慣れてるんです。。。)
だからあんなに親切に工場見学までしてもらえたんだ~。

これはさすがにフランス人3人組には言えない・・・
ウチの父がここまでしていたとわかれば、今後は「○○が見てみたい」なんて怖くて言えなくなるだろうから。
しかし・・・ウチの父、ちょっとやりすぎじゃないかと思うワタシ。
(退職して、あまりにヒマになりすぎてるのかもしれない・・・)


高知・桂浜

2005-07-20 06:26:17 | Weblog

高知市内の宿は、皇族御用達のなかなか立派な和風ホテルでした。

写真中央に見えるのは、路面電車の電停です。(なんだか広島市内みたい・・・。)
そしてその電停の後ろに見えるのが宿泊したホテル、城西館。
玄関を入ると広いロビーに「女将」がお出迎えをしていて、ウチの両親に気さくに話しかけてきました。フランス人側はこれが誰なのかわからなかったようで、「着物を着てる」「けっこうな御年の女性で」「きさくに話しかけてくる」ときたらやっぱり女将でしょう、というのも日本ならではのことでしょうから。このホテルのパトロンなんだと説明しました。で、そういう説明をしたのよ、ということを(父がチェックインしてる間にヒマだったから)母に話すと、「え!?今のが女将??」と驚く母。つい1分ほど前まで話していた女性がそれとわかっていなかったとは・・・。「どうりで、やたら愛想良く話しかけてくるはずだわ。」

高知と言えば、尾長鶏。尾羽根が数メートルもある鶏。
尾長鶏の剥製がロビーにあったので、ぐるぐる巻きにしてある尾羽根を指差し、フランス人組みに説明をしたら驚かれた。不思議の国、ジャポン!
「長鳴き鶏っていうのも、あるよね。」と母が横からちょっかいを出す。

ホテルの展望風呂と同じ階にある「湯上り休憩室」から高知城の夜景が楽しめると言うんで、夕食後に皆で上がってみた。すると、妙なリモコンが・・・
なんと、スイッチ・オンで高知城のライトアップの光が変えられるっていうリモコンでした。実際やってみたら、スイッチ・オンで自分の右側(ホテル本館?の屋上)に設置されてる巨大なサーチライトのスイッチが入り、高知城めがけて光のビームが発射されました。でも、驚くほどの変化はナシ。
一体何が変化するんだろう?と思ってオン・オフを繰り返してみてようやくわかったんですが、オンの状態でようやく、城の石垣までくっきり見えるのでした。(オフの状態だと、城の建物部分だけが置物のようにぽっこり浮かんで見える。)な~んだ。

湯上り休憩室というだけあって、お水とお茶のサービスがあり、そして定番のマッサージチェアも。
最初これをバカにしてたフランス人3人が、面白がってこれに寝そべり、さらにはスイッチを入れていた。すると・・・・
「あぁぁぁああぁぁああああぁぁぁっっっ!!!」(←義母)
と奇声を発しているではありませんか。(しかも艶っぽい。笑)
その後で、義父もチャレンジ。
「おぉぉっ うふうふっ あぁぁぁっ !!!」(←義父)
義父と義母の奇声が交互に聞こえてきます。なんかこれはヤバいんでは?(笑)ウチの両親も爆笑です。
我が夫もチャレンジ。そして大爆笑してました。

続けてウチの母も挑戦。母は座高が低すぎたのか、肩揉みの部分が頭に直撃になり、ひどい連打を頭蓋骨に喰らっていました。(苦笑)←高さ調整をしていなかった。
いろんな「失敗例」を見た後で、わたしも夫に促されてやってみることに。
高さを調整し、スイッチ・オン。
ぐいぃぃぃぃぃいいいん  ぐいぃぃぃぃぃいいいん  ぐいぃぃぃぃぃいいいん
なんだ、気持ちいいではないか!!
そしてわたしは「じゃ、部屋に戻るよっ」て言われるまで、全身の疲れを揉みほぐしたのでした。

翌朝早く、高知市南部にある桂浜に向かいました。
高知といえば、「闘犬」と「尾長鶏」・・・あれ?
桂浜のおみやげ物屋さんのところでは「長尾鶏(ながおどり)」って書いてある。カセットテープで延々流れてる観光案内でも、しきりに「ながおどり」って言ってるし。これが正式名称なのかな?
闘犬と聞いて、顔をしかめるフランス人組み。確かにねぇ。これってアジア圏の文化でしょうか?何かと動物を戦わせて楽しむよね。

さて、桂浜。

この、わたしたちの後ろに見える砂浜のことなんですが・・・
昔は「五色の砂」で知られていた砂浜なのに、近年激しく波に洗われたのか、今では白黒の何の特徴も無い砂浜になっていました。わたしが子供の頃に来た時には、ここでいろんな色の小石を集めて遊んだんだけどなぁ。
浜に出るまでの道に、小石の袋詰めを屋台で売ってるおばちゃんが居ました。こうして売り物になるなんてね。実際落ちてないんだから、記念に買って帰る人もいるのかも。

一番上に乗せた砂浜の写真が、反対側から同じ浜を見た眺めです。
この写真に写ってる大きな岩の近くにかろうじて少しだけ、いろんな色の小石が転がっていました。
フランス人組みには、「昔は、この砂浜一面がこんなきれいな小石で埋め尽くされていたんだけどね」っていう説明だけをして。

そして次の目的地、新宮へ向かって高速を走りました。