今日も ぺこぺこ

ジョリ夫婦&ぺこ。3匹とも、今日も元気に「ぺこっ」てます。

第二回・「体外受精」開催 (2)

2008-04-16 19:06:45 | FIV紀行(07-08)

トランスファーから12日後(3月6日)に、血液検査をする。
結果は、ポジティヴ。
ホルモンの数値は85mUI

この後、2~3日置きに2度、ホルモンの数値上昇を確かめるために同じ血液検査をする。
 3月8日: 230mUI
 3月11日: 1200mUI
ホルモンが順調に上昇しているので、血液検査が週に1度になる。

 3月17日: 7300mUI ← この頃から、つわりがはじまってくる。
 3月25日: 54600mUI ← この頃から、つわりがひどくなってくる。

●トランスファーから34日目、3月28日、初めてのエコー検査をする。
胎芽の心拍・心音を確認。正常に妊娠。胎芽のサイズ13mm。
「順調」との言葉をいただく。
(そしてこの後、順調につわりもひどくなり、嘔吐などの生活に…)

エコー検査の日に知らされたのだが、トランスファーで体に入れた受精卵は、受精後3日目に冷凍したものだったのだそう。
なので、この日、胎芽の日数が「+3日」とカルテに書き加えられていた。

飲み薬は中止、膣剤は10日間使用した後に中止となる。


第二回・「体外受精」開催 (1)

2008-04-16 18:53:25 | FIV紀行(07-08)

2月に、2度目のトランスファーを行いました。

●サイクル(生理開始から数えて)13日目にエコー検査と採血。

●医師の指示で、サイクル17日目に血液検査と注射。(排卵誘発剤と思われる)

●サイクル20日目にトランスファー実行と決まる。

トランスファー当日は、前回どおりごく簡単に事が運ぶ。
前回と違ったのは、今回使用した受精卵が12月に採取・作成されたものの「冷凍」品で、それを解凍して使ったということのみ。
しかし、これにより、夫の同席が求められた。
(妻の意思だけでは法律上、行えないらしい。)

冷凍されていた受精卵から2個を解凍して、2個とも生きていたので2個お腹に入れてもらった。
両方とも無事に成長すれば二卵性の双子になってしまう。が、片方が着床しない、もしくは両方とも着床しない場合もあるので、夫婦間の話し合いの結果、2個解凍してもらうように事前に意思を告げていた。

おなかに受精卵を入れてもらった後、クリニックを後にする。

施術後からしばらくの間、錠剤の服用と膣剤を使用する。(ホルモンらしい。)


第一回・「体外受精」開催 (2)

2007-12-25 22:21:21 | FIV紀行(07-08)

翌日、日曜日だというのにクリニックの女性から電話が入った。
「受精卵、6個作成できました。」と告げられる。

●12月11日。受精卵をお腹に戻す。
フランスでは、これを「トランスファー」と言う。
日本では胚移植(ET)と言うらしい。
受精卵をお腹に入れるだけなので、私一人で事足りるので一人で行くことに。
(夫は仕事があるので。)

特に「飲まず食わずで」という指示もなく、ただ普通に病院に行く。
待合室にて、採卵の時に一緒にいたカップル3組に遭遇。どの人たちも夫婦揃って
来ている。一人で来ているのはウチだけだった…。

普通の診察室で医師(ドクター・ドゥアー)と会って話をする。
受精卵6個は良好であることを告げられ、今回使わないぶんは冷凍保存して次回に
使用できると言われた。
そして「今回は何個お腹に入れますか?」と聞かれて驚いた。
そんな(一応)大事な質問を、夫のいない場で聞くんですか?
(事前に言っておいてくださいよ!)
仕方ないので一人で判断。
「今回は、1個にします。」と答える。

医師が看護婦さんに告げ、受精卵の入った試験管が1本だけ運ばれてくる。
小さな診察室の中にある婦人科用の診察台の上に開脚で横たわり、下から受精卵
を棒状の器具でそっと挿入。
あぁ、これでもう終わったのか。と思って起き上がろうとしたら、
「あ、横になったままでいてください。」と言われる。
(そういう事も、はじめる前に言っておいてくださいよ!)

このまましばらく横になっていてくださいね。」と言って、一旦医師は部屋を出る。
しばらくって…どのくらいなんだろう?
こういうヒマな時間のために本を持ち歩いているのだけれど、カバンは診察台の下
にあり、手さえ届かない。。。あらかじめこうなるとわかっていたら、背中の下にでも
本を挟んでおくんだったのに。

結局、30分くらい横になっていただろうか?
(その間、ずっと窓から空を見上げたりしていた…暇、暇、暇。)

医師が再び部屋に入ってきて、もう起きていいですよと言い、今後の流れについて
手早く説明を受ける。
12月24日に血液検査で妊娠しているかどうかを調べる。
それまでの間、毎日「経膣薬」と「経口薬」を使用。

採卵後3日目くらいから、お腹にものすごい量の水が溜まってきた
こちらのサイトを見てみると、体外受精のリスクのページに
「腹水がたまると、胃痛、悪心、嘔吐、重度体重増加、息切れ、尿の量が減るなどの
症状が生じる」とある。
「重度体重増加」以外の全ての副作用を一度に体験した私。。。
お腹はみごとに妊娠7ヶ月目?と思えるサイズにまで膨れ上がる。しかもパンパン。
コリコリに。中に空気ではなく水が溜まっているのがはっきりわかる。
胃が悪く、ちょっとキリキリする感じ。胸がもやもや。ちょっと動くだけで息切れ、呼吸
がしんどい。トイレに頻繁に行くが、出る尿の量は比較的少ない。(嘔吐は10日、
仕事中に体験済み。。。)

この時点で、続けていた薬は2種のみ。
どちらも妊娠を助ける作用のある薬らしいので使用を止めるわけにはいかず。
(この時は、服用している薬のせいでお腹に水が溜まっていたと思い込んでいた。)

トランスファーから1週間くらい、お腹がものすごく膨れたままで過ごす。
ものすごく重い体で、朝から晩まで仕事をがんばる。(週7日出勤…。)

8日目くらいから、なんとなくお腹が少し小さくなってきた感じがしてくる。
ようやく薬の副作用が消えてきたのだろうか?と思う。

●トランスファーから13日目の12月24日、血液検査をして妊娠しているかどうかを
調べる。
この時すでに、おなかはかなり小さくなってきていて、重くしんどかった体もだんだん
軽く感じてきていた。(それに伴い、悪い予感も…)
夕方結果が出て、妊娠していないことが判る。

トランスファーをした日に医師から、「血液検査の結果が陰性なら、すぐに月経が
きますから、服用している薬を止めてください。」と言われていたので、薬を止める。
12月27日、月経がある。

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仕事が忙しい時期に重なってしまい…それでもがんばったのに、うまくいかなくて
ものすごくガッカリしてしまった。
今回は本当に、自分たちで努力したりがんばったりしてもどうにもならない事がある
というのを思い知らされた。がんばれば何とかなるものなら、次はさらにがんばる
ことができるだろう。だが、これはそうはいかない。どんなにがんばりたくても、がん
ばる術が無い。じゃあ、一体どうすれば良いのだろうか…
そんな思いに暮れながら、悲しくクリスマスを過ごす。


第一回・「体外受精」開催 (1)

2007-12-25 21:01:32 | FIV紀行(07-08)

ようやく、待ちに待った施術の開始。
いや、別に体外受精をしたくてたまらなかったのではなく、一歩前へ進みたかったのです。
何となく、どちらかの能力に問題があるのではないかとずっと思っていて、それが
当たっていたので、そのまま自然妊娠の可能性を求めてがんばっても、どうせまた
流産するのがオチでしょう、という考えがどうしてもついてまわって…。とてもポジティヴ
にはなれないのです。

●11月13日、「生理サイクル2日目」
FIVは、まず採卵のための排卵誘発剤からはじめる。
サイクル2日目から10日間、錠剤を服用。
●11月26日、麻酔科の医師と面談。(全身麻酔を受けるため)
●11月27日、血液検査。自宅で皮下注射の開始。(医師の指示があるまで注射を続ける)
この皮下注射はペンのような形をしていて、非常に使いやすい。
ペン軸をまわし、医師に指示された容量を指定してからペン先の針をお腹に刺して
押すだけ。針が非常に細いので、刺した時の痛みは特に感じない。
●12月1日、もう1種類、皮下注射が増える。(計1日2本。医師の指示があるまで続ける)
●12月3日、血液検査。経膣エコー。
●12月6日、血液検査。午後に結果が出て、医師から今までの注射をやめる指示を
受ける。また別の種類の皮下注射を、指定された時間に打つ。

ここまでは特にストレスも無く、日々の注射もちょっとチクリとするだけなので普通に
がんばれる。

●12月8日、FIV当日。(ドクター・ドゥアーによる施術。)
朝早くからクリニックに行き、精液と卵子を取る。
(私は「飲まず食わず」で行く。)
病室のシャワーで腰から下を消毒の石鹸液で洗い、全裸の上に不織布のぺらぺら
の服(?)を着て、錠剤をのまされ、待つ。
時間が来て、私は手術室のような場所にて卵子の採取。
夫はその間に精子の採取。

は、手首から麻酔の注射を入れられて完全に眠った中での採卵。
目覚めたらもう終わっていた。病室にて回復を待つ。
はその間に、2度も精液採取をしていたらしい。
どうも結果が思わしくないらしく…。(活きの良い精子の量が足りないらしい。)

麻酔がまだなんとなく効いている中、病室にてしばらく待たされる。
腹痛がして気になるが、施術の後なので仕方が無い。(痛み止めの薬を渡される。)
夫は再度呼び出され、3度目の精液採取(!)
後で夫から聞かされたのだが、私からは卵子10個が取れたらしい。
なので、10個ぶんの受精卵作成のために沢山の良質な精子が必要だったらしく、
夫はさんざん搾り取られたようだ。

ベッドの上で1時間くらい待たされた頃だったか、医師(ドクター・ドゥアー)が来て
話をした。受精卵を作成し、3日後にお腹に戻すらしい。
仕事が忙しいのでこの後すぐに仕事に出てよいかと聞いてみると、驚かれた。
(通常、丸一日の休暇が取れるように医師の診断書が出るらしい。)
アルバイトなので診断書があろうが無かろうが関係ない。とにかく仕事に出ても
いいですか?と聞くと、「体調が良さそうなら、まぁ、いいでしょう。」と。
病室は二人部屋だったのでお隣に女性がいたが、こちらはかなり調子が悪そう。
麻酔が効きすぎたのか、ふらふらして立つのも大変な様子。それと比べると私は
元気なもので、すたすた立ってトイレにも平気で行けてしまう。腹痛だって、ガマン
できる範囲。
経膣薬、抗生物質、痛み止めなどを処方される。

結局、朝7時半にクリニックに入り、午後1時頃に出た。
帰宅し、しばらく休んでから、午後4時半頃から仕事に出る。

12月10日、嘔吐する。
(11日に医師に聞いたところ、原因は抗生物質の薬とわかる。11日から抗生物質
は服用を止める。)

 第一回・「体外受精」開催 (2) につづく・・・


不妊治療専門医と歩む

2007-11-12 20:31:19 | FIV紀行(07-08)

5月31日、不妊治療専門医のドクター・ドゥアーの所で初診を受ける。
凱旋門まで徒歩5分という立地のアパートの1室にて開業の医師。
ドクター・ドゥアーはかつて St Vincent de Paul の不妊治療科の責任者を務めていた
らしい。国保のチェックを受けずに自ら「100%払い戻し」を決める権限のある数少ない
専門医。(通常、国保で「100%払い戻し」を受ける場合は、国保に書類を送って審査
をしてもらう必要があるが、判断の権限を持っている医師の場合は「100%払い戻し」
というハンコを書類にバン!と押すだけで、ノーチェックで通る。)

これまでの経緯を話し、子宮鏡検査などでも異常が無いところまでは調べたことも告げ、
先の指示を仰ぐ。さっそくドクターは、双方に数枚の処方箋を出した。

私の検査:血液検査(ホルモンなどの検査)
夫の検査:精液による検査(精液検査抗精子抗体検査マイコプラズマ感染症のテストなど)
 ☆男性のための検査はこちらを参考にしてみてください。(左側にあるメニューに
 複数の検査の名前があるのでクリックして見てください。)

●7月20日、検査結果持参でドクター・ドゥアーと面談。
私のほうは問題なし。
夫のほうは、精子の数と運動能力に少々問題あり。
(しかし体外受精をするには十分な量があるとわかる。)
夫のほうだけ処方箋をもらう。

夫の検査生殖器の検査(エコー)遺伝子検査
(陰嚢を触診と、直腸から器具を挿入してのエコーだったらしい。)
結果は特に問題無し。

夫の医師面談
夫一人だけが専門医と面談に行った。
遺伝子検査の結果を判断する医師らしいのだけど。たっぷり1時間以上もお説教
を聞かされて戻ってきた。
その話の内容とは、
「特に問題は無いねぇ。」
「こういった場合ね、環境汚染が悪かったりするんだよね。身の回りにある化学物質や
食品の添加物など。」
とにかくBIOが良い。そういう方面の新興宗教の人かと思うほど、かなりのお説教を
聞かされまくったらしい。

●10月12日、ようやく再びドクター・ドゥアーとの面談。
夫の検査結果を持って行く。
もう一度、精子の検査をしてみようということになる。

対外に放出される精子は、実は2ヶ月も前に体内で作られていると教わる。
ヴァカンス時期でリラックスした環境の中で作られた元気な精子が約2ヵ月後に出て
くるらしい。

夫の検査精液検査

●11月12日、結果を持ってドクター・ドゥアーのところに行く。
夫の精液検査の結果は以前よりも悪くなっていた……。
運動している精子の量が少ないらしい。
それでも、体外受精が可能なだけの量はあるとのことで、体外受精に踏み切ることに。
すぐに投薬をはじめる。


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ここまでの道のりが、本当にほんとぅーーーに長かったです…かなり疲れ果てました。
自然に妊娠できるだろうと思っていたのになかなか妊娠せず、2度も流産。
そして、これは絶対にどちらか(もしくは双方)に問題があるのだろうと思うも、
なかなか検査をするにまで至らず。ようやく精子検査をしてみて、夫のほうに少し
問題があることが判る。(ここまでの時間、もっと短縮できないのか!?と、非常に
苛立つ。)
当事者である私がいくら望んでも、すぐには検査はしてもらえない。
あくまで、処方箋を出すのは医師であり、私たち「患者」はそれを待たなければ
ならない。
自分の体なのに、自分で思うようにできないのは非常につらい。
努力では解決できないことがあるということを痛感。


はじまり ~ 病院にて

2007-01-03 19:21:22 | FIV紀行(07-08)

このカテゴリでは、私がパリで「不妊治療専門医」にかかって不妊治療をする経緯
について書きます。在仏の方、どうぞ参考にしてみてください。
タイトルのFIVとは「Fecondation In Vitro(体外受精)」の略称で、日本ではIVFと
略されています。

2006年の9月に2度目の流産をし、はじめての「そうは術」を病院で行う

それからというもの、精神的にも萎え萎えで、全く妊娠に対してやる気が出ず。
再度妊娠してもどうせまた流産をするだろうという諦めの気持ちと恐怖感とがあって。
どうしても、まず双方の体と生殖能力のテストをしたくなったので、夫に話し、私の
かかりつけの医師に相談して「不妊治療」をやっている病院を紹介してもらった。
Hopital St Vincent de Paul  (Paris)
ここに1月はじめから通うことに。

●1月3日、初診の日に過去の経緯を話し、不妊治療を開始する方向で決まる。
医師はとても良い人だったが、パリの古い病院だけあって、中は迷宮のようでも
あり、また病院(産科救急)の悪夢蘇える。。。
ひとまず夫婦ともに検査の処方箋をもらう。

私の検査:血液検査(ホルモン、細菌の存在などの検査)
夫の検査:血液検査、精子検査(クラミジア感染症や細菌などの検査)

●1月25日、私は病院にて子宮鏡検査をする。
この検査は子宮の中を観察するためのもので、子宮内に生理食塩水を充満させて
内視鏡で目視確認をするというもの。この、生食水を入れるのがとっても痛い!!
(麻酔とか無し。)非常に痛い!!でも通常は15分以下の作業らしいので、ガマン
します。
ただ、私の場合は、カメラの誤作動(レンズカバーに血液が入って画像が見えなく
なってしまった)によって、生食水を入れた状態でしばらくカメラの調整のため待た
され、ウンウンうなって半泣きになりながら、再びカメラを挿入されるのを待って
いた。若い看護婦さんが気の毒そうな顔をしてこちらを見ていたが・・・。(生食水を
入れる管などを下から挿入するため、あちこち傷がついて出血します。)
産みの苦しみのことを考えると、このくらいの痛みなどガマンだ!!と気合を入れて
真剣になんとかがんばり抜き、検査終了。子宮の入り口辺りにポリープがあるので
切りますね~(チョッキン!)と切られて痛かった。
検査が終わってすぐ、医師から「全く問題無し(健全)」と告げられる。

●2月21日、検査後はじめての問診。
検査結果を見せて、特に問題は無いと言われる。
(あんなに苦労した子宮鏡検査、結果の紙を病院側が無くしたらしく、もらえず。口頭で
「検査したお医者さんは問題ないと言ってました」と答えてパス。そんなんでいいのか??)
私の子宮の奇形でもないし、双方に感染症などの疑いも無いので、ヒューナーテストを
することに。

●2月26日、ヒューナーテスト(性交後テスト)をする。
これはフランス語では「Test de Huhner」と呼ばれている。
(私も夫も、「test de Une heure」と聞き間違えてしまった…恥)
ヒューナーテストとは、性交をした翌日に検査機関にて頸管粘液を採取して行われる検査。
☆詳しい検査内容と判断方法については、上のピンクの文字の「ヒューナーテスト」を
クリックして見てください。

●3月、ヒューナーテストの結果を持って再び病院へ。
検査の結果は「不良」だったので、さらに検査を続けることになるはずでしたが、ここで
医師から進言が。実は日本びいきなお医者さんで、自分のいる病院が全てにおいて
スローペースなことを認めているので、自分の先輩で独立して働いている不妊治療
専門医を紹介してくれるとのこと。そちらで治療したほうが早く事が運ぶでしょうから、と。
先日の子宮鏡検査の結果の紙を無くされて腹が立っていたので、医師の進言どおりに
することに。(病院とは縁を切る。)
さっそくその医師のところで予約を取る。