今日も ぺこぺこ

ジョリ夫婦&ぺこ。3匹とも、今日も元気に「ぺこっ」てます。

フランス、テレビ事情

2005-09-27 16:08:27 | Weblog
あんまり意味無いんだけど、さっきのじゃ書き足りない気持ちになってきたので続けて書くことにしました。

フランスのテレビってトーク系の番組が多くて、そのうち半分くらいは相当つまんない内容なんじゃないかって気がする。もともとフランス人は、テレビが存在する以前からコミック(劇場でやるやつ。日本で言うなら漫才か?)が好きで、そこには高度な言葉の芸術とも言える表現が盛り沢山で、アタマの良い人はより高度なものを見ては笑い、さほど教育の無い人は単純かつ愉快な内容で笑ってたんだと思う。けど、それが今はテレビでいとも簡単に視聴覚の刺激が得られるようになり、そしてつまりは堕落の一途を辿っているんじゃないかって気がする。
フランスのつまんなそうなトーク番組は傍から見てると、中途半端でつまんない芸人や俳優なんかの、いつも同じ顔ぶれ。

そんな中、わたしがフランスに来た当初は朝7時から9時まで「morning live」という番組をやっていて、コレをやってた人たちはまるでダチョウ倶楽部のようなノリでとにかく下品な内容の一発体当たりネタで笑わせてたんだけど、他のトーク番組では見られないストレートな笑いに、ついつい早起きしてはテレビのスイッチを入れていたのでした。(話してることが良くわかんないので視覚的に笑えるものを求めてたという理由もある。)しかしある時を境に彼らのうち1人が有名になってしまい、その番組はメンバー総入れ替えでタイトルも変わり、つまんなくなった。(またしても、堕落。)
「モーニング・ライブ」時代には、メガホン持って(時には半裸で)いろんな所へ駆け込んで行き(交差点から老人ホームまで)、そこで「モォーーーーニング・ラーーーーーイヴ 朝7時から9時までやってるよ!」と番組の宣伝をしてたのでした。時には警官と追いかけっこしながら。(笑)日本で目覚ましテレビなんてやってる時間に、フランスではそんな深夜番組みたいなモノを放送していたのでした。
そんな彼ら、オリンピックの時期にはチープにオリンピックを再現して見せたり、公園で「犬の散歩」ならぬ「ウサギの散歩」(with 皮を剥がされたウサギ肉! 笑)をしてみたり。とにかく、予算の少ない番組の中で何か奇抜なことをしようとがんばっていた彼ら。CDを出して(ここで番組終了)、映画を作って、そしてだんだんつまんなくなっていったのでした。

彼らのリーダー格だったミカエル・ヤング?(Michael Young)という人は、ピンで劇場に立ってます。例の番組後に「お尻出し芸人」として有名になった彼の芸なので、内容的にはその路線だと思うのですが、劇場で1時間半ほどの間それだけでは持たないと思うので、案外面白いことしゃべってるのかも。
この人の宣伝ポスターがけっこう面白くて。パリの街中にあるあの丸い広告塔に、巨大なスーツ姿の彼のポスター。スーツの上着の前をバン!と両手で開いてる。でもやっぱりズボンは下ろしてる・・・。でも腰の部分だけはお肌は見えず、全て骨。まるでレントゲン写真のよう。そしてその股間の部分には人間の指の骨?のようなモノが。。。(こういう感覚は、いかにもフランス的だという気がするのです。)
この人をTVで見てはワタシが「面白い」と言っていたので、なんと夫がその巨大なポスターを家に持ち帰ってきました。(1年以上前の話。)どうやって取って来たのかと言うと、たまたまポスターを交換してた現場に出くわしたので、おじさんに「そのポスター、捨てるならちょうだい」って言ってもらって来たらしいのです。コレ、ウチにいまだにあります・・・。

上品ぶってコムヅカシイ内容で笑って見せたって、つまんない時にはつまんない。時に笑いの原点として、体力勝負な内容を見るのもイイんじゃないかと思います。

で、その「モーニング・ライブ」の後続番組は何年も見ていなかったんだけど、先日たまたま見てみたら、なんと久々に「ズボン下ろし」をやっていた。
ジョギングしてる一般人の後ろからこっそり付いて行き、ズボンをガッと下ろす。ただそれだけの内容だけど、笑えます。(で、ちゃんとパンツは下ろさずズボンだけ下ろしてるので、これはこれでテクニックが必要なんじゃないかって気がします。)数人分を放映してて、一番最後のは、ズボン下ろされた人が怖い顔して怒ってくるヤツで、「隠しカメラ番組なんですよ」って言って慌ててフォローする“ズボンを下ろした”張本人。でもカメラがあるから何やっても許されるってわけじゃないよねぇ。(笑) その後、ぼこぼこにヤラレてしまったのかどうかは不明・・・。
でも久々にそういう路線のも見れて、ちょっと楽しかったです。(日本だとしょっちゅうこんなのやってるかもしれないけれど。)

そういえばMTVで体力勝負なことばっかりやってるお笑い番組やってたけど、アレは英国のだったと思う。(英語だったし。)
フランス人にももっとTVを面白くする努力をしてもらいたいなぁって思うのでした。


フランスのテレビでマツケンサンバ

2005-09-27 15:56:08 | Weblog
つい2日ほど前、テレビでいろんな番組?のダイジェストを流している中で、なんと日本の「マツケンサンバ」を見てしまった。。。(約5秒間ほど、ね。)
うっわ~!!これかぁ・・・ (←わたしの感想)
夏に帰国してたときに友達の1人が「オリちゃん、マツケンサンバって、知ってる?」って言ってて、実は密かにどんなのか見てみたかったのです。振り付けの人?が踊ってる画面とマツケンの画面が同時に見れるようになってたのが、ヒジョーに日本の番組っぽかったです。

以前は「culture pub」という番組があって、いろんな国のTV・CMを流しては、あーだこーだと言っててけっこう面白かったんですが、その中で日本のCMも時々登場してたので楽しかったんだけど、もうその番組終わっちゃって、楽しいサブカル番組が今は無いのです。日本だとそういうのけっこうあると思うけれど。
(フランスのテレビは、やたら政治番組や討論や、つまんないトーク番組が多すぎます。)

そーいえば「下妻物語」の映画宣伝もこっちのテレビでチラリと(これまた10秒ほど?)流してて、「日本の映画って・・・」てなことコメントされてたよ。
宣伝の中で“こう見えて意外とロマンチック”とかナンとか言ってたような気がするけど、画面ではハチャメチャでどうしようもないって感じ。でもなんだか野ばらなエキスを一瞬味わったような気がしました。(でも、あんまり見たいとは思わない・・・笑)

母、帰国

2005-09-25 06:11:11 | Weblog

ようやく母一行が帰国しました。
ホンモノのツアーガイドさんさながらに走り回り、非常に疲れました。
こんなこと毎日(しかも赤の他人相手に)やってるガイドさんってホントに大変なお仕事だな~ってつくづく思いました。
最後に「ハイ、ガイド料」と言って母にお小遣いをもらい、親孝行のつもりがいまだにスネカジリのワタシ。

パリ滞在中、我が夫の「就職祝い」にケーキを買いたいと言うので、たまたま(都合良く)近くにあったジェラール・ミュロにて購入。高かったけど、ウマかったっス。形もステキ。

今回、母とともにあちこち行ったので写真もいろいろあり、またしても記事が増えそう。まだ帰国の話も書き終えて無いって言うのに。
でもこのフランス地方旅行はけっこう良かったので、そのうちにUPするからみなさん楽しみに待っててね。
(大満潮のモン・サン・ミッシェルに行って泊まって来たよ!)


母の第五日目: パリ市内観光(シャンゼリゼ&凱旋門)

2005-09-20 05:39:12 | Weblog

「パリでは、凱旋門とエッフェル塔に行きたいわねぇ~」と言う母ご一行様を、念願どおり凱旋門へお連れしました。
凱旋門は文字通り「門」の形をしており、ここから四方八方に放射状に道が伸びているのです。その形を星に例えて、この場所のことを「エトワール(星)」とフランス人は呼んでいます。
この写真の左側(赤い二階建てバスが停車している所)にシャンゼリゼ大通りがあります。

凱旋門の足元へ行くには、地下道を通ります。(横断歩道は無いんですよ。)
で、足元から上を見上げて「ほほぉ~、けっこうスゴイ彫刻がしてあるのね~」なんて眺めた後で、上にのぼるのです。
ここは基本的には階段で上ることになっています。でも、こういう場所にでも身障者用のエレベーターはあります。(でも多分、普通に元気な人はなるべくなら使っちゃダメなんだと思うんですよね。)前回、ウチの母と叔母は「足が痛いって言ってよ~」と夫に頼んで、エレベーターの係りの人にそう話してもらって、2人だけズルしてラクチンで上ったのでした。でも「今回はズルしちゃダメだからね!」と言い聞かせてあったので、皆でがんばって徒歩で上りました。
狭い螺旋階段をぐるぐる上る、上る。どのくらい上るんでしょうか、途中何度も休憩しました。
そしてようやくてっぺんに到着っ!

上からの景色はこんな感じです。(シャンゼリゼ大通り側。)
先ほどの写真を撮った場所は、この写真の左下あたりです。


シャンゼリゼの見える場所から左の方へ移動してみると、モンマルトルの丘が見えます。
“丘”って言うだけあって、ちょっと盛り上がって見えるでしょ?

シャンゼリゼの見える場所から右の方へ移動すると、エッフェル塔が見えます。

こうして写真を数枚見ただけでも、“道が放射状に伸びている”のがわかるだろうと思います。

パリ市内にはいくつか「おのぼりスポット」があるんですが、凱旋門もそのうちの1つであり、なかなかオススメの場所でもあります。
その他で言えば、エッフェル塔、ノートルダム寺院、サクレクール寺院などが知られていますが、他にもあるそうです。

シャンゼリゼと言えば? ルイ・ヴィトン!
普段絶対行かないこのお店ですが、今回のメンバーの中で「娘に買って来てって頼まれてるから」という人が約一名いたので、使命感を持って出向いたのです。
もちろん、他の人たち(特にウチの母とワタシと、母の友人の1人)はブランド物など興味すら無いのですが、「まぁ話のタネに行ってみようかしらね」と、結局皆揃って行くことに。

シャンゼリゼのルイ・ヴィトン本店を、道路を隔てて向かい側から撮影しました。
しかし、わたしはこの時まで全く知らなかったんですが・・・、当時このお店は改装中だったのです。(今はもう工事が終わって新装オープンしたそうですが。)
お店の前に着いて「閉まってる!」と思って一瞬ビビッたものの、ちゃんと日本語で「移転しています」と丁寧に移転先の説明が書かれていました。

移転先へ行く道すがら、いろんな有名店の横を通り過ぎつつ、「ルイ・ヴィトンって、ルイビトンじゃなくってルイ・ヴゥイトンなのよホントはね。」って説明をしてみた。(“ビトン”と言われてもフランス人にはサッパリ?なのです。覚えられなくっても、せめてそれが“間違いである”ということくらいは知っておいてもらいたいもの。)

そのヴィトンに到着。入り口を颯爽と入ってみたものの、そんなお店には一度も行ったことが無いもんだから、お目当ての「横長の財布と小銭入れ」をどうやって探したら良いのかもわからず。
「わからない時には、誰かに聞いてみよう!」(←わたしのモットー)
ということで、こういう高級店なのだからその辺の店員さんをひっ捕まえてはいけないと思い、入り口の受付らしき女性に尋ねてみた。すると、「こちらで少々お待ちいただければ、係りの者が来ますので」と言われた。待っていたら、肩に折りたたまれたオレンジ色の大きなショールをかけた男性が現れた。この人が売り場まで連れて行ってくれるのか~と思って付いて行ったら、なんと、「こちらの列で10分ほどお待ちいただければ、商品をご案内する者が来ますので」と言われた。(上品なやり方ではあるが、ある意味たらい回しにされたワケなのです。)
待たされた場所にはカタログがあり、日本語の解説も付いていた。これであらかじめ選んでおけってことね。(しかも、この列にはかなりの日本人が待っていた・・・。)
本当に10分くらい待ったところで東洋人の店員さんがやって来た。そして無言で(しかし丁寧な態度で)わたしたちを店内の一角にあるテーブルへ連れて行った。日本人なら日本語を話すだろうに、と思っていたら、その店員さんは(後でわかったのだけど)台湾人だったのです。
最初はたどたどしい日本語で、わたしたちが何を欲しがっているのかを聞いてきた。ヴィトンのシリーズ名など全く無知な5人なのだから、モノグラムだの何だのと言われてもチンプンカンプンなのです。でもなんとか「こんなのじゃなくって、こんな感じで・・・」って展示品を指差しては説明し、その度に店員さんはうなずき、およそ見当をつけた商品を走って持って来てくれたのです。(その回数、約5回ほど・・・。)
「日本で売っていないモノってあるんでしょうか?」というワガママな質問に対しても、「シン・セイ・ヒン!」という魔法の言葉(笑)を使う彼、なかなかの売り込み上手。そして値段の説明になると、とたんに流暢な日本語になってきた。(毎回同じこと言ってるからでしょうね。笑)
「こちらの商品はですね、○○ユーロになります。(電卓をはじく。)日本円で約○○円、免税で・・・(また電卓をはじく。)○○円になります。」
免税手続きの説明も、至って流暢。しかも早口です。

接客態度はまるっきり日本のデパートなどと同じです。高級店だから当然なのかもしれませんが、日本人のお客を相手にしようという努力もあるんだと思います。

お買い得商品と楽しい体験を持って店を出たわたしたちは、再びシャンゼリゼへ戻り、「どこかで休もうか」ということになったので、ベルティヨンのアイスクリームが食べられるカフェのテラスにて、夕暮れ近いシャンゼリゼを眺めながらアイス&シャーベットを楽しんだのでした。


母の第四日目: お城見学の後で

2005-09-19 06:13:18 | Weblog

ヴィランドリー城見学の後、途中いくつかのお城の前を通り過ぎながら帰ったのですが、義父が「ちょっと時間あるから、景色の良い所へ寄ってくか?」って。
何かな~?と思ったら、ソーミュール城の脇にある高台へ連れて行ってくれたのでした。(上の写真の景色。写ってませんが、このまま左側へ向くとお城が大きく見えるのです。)

目の前を横切っているのがロワール川。
この川に沿うようにして、大小数え切れないくらいのお城が並んでいるわけなんですが、なぜこの川沿いに建てられたのでしょうか?素朴な疑問です。
義父がそっと教えてくれました。
「ここらへんは冬は寒いけどね、川の近くは比較的暖かいからね。」
なるほど~。風光明媚だとか交通の便が良いとか、そういう意味以外にも重要な要素があったのですね。

ようやく家に着いて、さぁ、ごはんだ~!
今夜はアーティショー(アーティチョーク)です。

これはアザミの仲間の花のツボミなんですが、この緑色のウロコのようなのを剥がし、その根元にある柔らかい部分だけを歯でしごいて食べます。
食べてる姿は皆こんな感じ↓です。(笑) で、緑の部分は捨てます。

これじゃああんまり食べるところ無いじゃん。とお思いの方、実はこの先があるんです。緑の部分を食べつくすと、この右側のように、中から白い部分が出てきます。この白い部分は将来的にピンクの花びらになる部分であり、白い糸の集合体のような感じで食べられません。ここをボコッとまるごと剥ぎ取ってやると、ガクの部分?(花の付け根の芯の部分?)だけが残ります。ここをガッポリ食べるのです。これはけっこう食べごたえあります。(どら焼きくらいのサイズでしょうか。)
アーティショーとは関係無いですが、左に写ってるのはメロン。フランスでメロンと言うと普通はコレです。日本の夕張メロンみたいに中がオレンジ色してます。これで1玉2ユーロぐらいです。安いでしょ。しかも甘くて美味しいんですから。

毎日ご馳走食べて、美味しいワイン飲んで、あ~シアワセ!って言ってる主婦ご一行様。だって「料理せずに食べるだけだなんて、シアワセね~」ってそればかり言ってるんですから。(笑)

ところで、義父母の家にはヘンなモノがよく置いてあります。いや、隠してある、と言うほうが正しいか?
コレ何だと思いますか? そう、例のロシアの人形みたいに入れ子になってるヤツです。でもデザイン的に考えてみても、ロシア系じゃないんだけれど・・・???(出身地はどこ?)

義父母宅の食堂のテーブル脇にある豪華な食器棚の片隅に、そういう「ヘンなモノ」は置いてあるのです。今回たまたまわたしがこの“頭でっかちオヤジ”を目にして「何~?これ」って言うところから始まり、中を開けてみると別のお人形さんが出てきたので、あ、なるほど・・・と。
で、次々に開けていって、4つ目を開けかけたところで「もう次は無いだろう」って思ったんだけど、5つ目が出てきた。「もう無いよねぇ~」と言いつつ開けると、また出てきた!(かなり驚き。そして皆笑う。)
そして「もう絶対無いよね、この次は。」と言いつつも、開けてみたら・・・なんと開いたのです。そして中からは薄っぺらい物体が出現。
「ナンダコリャ!?」(一同爆笑)
写真では良く見えないので拡大しておきました。ちゃんと顔も描いてあるんですよ。芸が細かいです。
もう、わたしは笑えて笑えて、泣き崩れてしまいましたよ。(苦笑)

そうして忙しかった地方旅行も終わったのでした。
翌日は朝早くからTGV(新幹線)でパリへ向かうのです。


母の第四日目: ヴィランドリー城(続-2)

2005-09-19 05:04:56 | Weblog

ここからは、お庭見学のスタート!
屋上から降りて庭の脇の小道を進むと、上の写真のような眺め。
庭の花がグッと近くに見え、お城全体の姿を良く眺める(楽しむ)ことができます。このお城の「イチオシ見学地点」がこのお庭っていうのが実感できます。
(この赤・白・ピンクの色鮮やかなお花は、どうやらベゴニヤのようです。)


こちらは雰囲気がガラリと変わって、とってもシック。
手前に見えるのが運河の壁と、ぶどう棚です。
階段を下りてぶどう棚をくぐると、お庭の中を歩けます。

ぶどう棚にはぶどうが沢山なっていました。時期も9月とあって、ぶどうは収穫期です。すかさず“ぶどう好き”の義母が数粒“盗み食い”をしてました。「おなか痛くなっても知らないよ~!」とわたしは最初は言ってたものの、「意外と甘いわよ」と笑いながら答える義母の言葉に誘われて、実はわたしも1粒味見してしまいました・・・。(腹痛のバチは当たらなかったので、きっと多目に見てもらえたのでしょう。苦笑)

先ほどのシックな側から見ると、ますますシックな印象が強いことを発見。(隣の色とりどりのお庭が、木に隠されているからです。)
う~ん、フランス式庭園、奥が深い・・・。(実は最初バカにしてました。すみません・・・。)この紫色のきれいな花は、ラベンダーセージでしょうか、ラベンダーではありませんでした。
お城の石葺きの屋根(アードワーズ)の灰色と、空の色と、この薄紫色の花の色がとっても良く似合っていて、これぞフランスの色!って感じ。(いや、昔見た「フランス伝統色」っていう色見本帳がこんな色調だったもので・・・。)

ようやく最後になって、先ほどから気になり続けていたお庭に到着。
例のキャベツ?のあるお庭です。

こうして見てるぶんにはキレイなお庭なんですが・・・
実は、コレは「菜園」なんです。

ホラ、こうして見るとわかるでしょう?
中央のオレンジ色の実はトマトなんですよ。その奥の紫色のは葉牡丹。
右側手前にチラホラと葉が写ってるのは、低く仕立てられたリンゴの木。左側の高さのある木の葉もこれと似てますが、多分こちらは洋ナシだろうと思います。その洋ナシだろうと思われる木の足元にある銀葉系の植物は、カレープランツ(カレーの香りのするハーブ)です。他にも沢山の野菜やハーブ、果樹が植えられていました。
こんな沢山の植物を、これほどまでキレイに保とうとするのは大変な仕事だろうな~と思っていたら・・・

先ほどからチラホラと見え隠れしていたこの服装の方々が、お庭の手入れをしていらっしゃったのでした。
植物の健康管理はもちろん、背丈を管理したり、花がらを摘み、果実が実ると採集する。一年中、仕事は山のようにあると思います。

お城と庭園見学が終り、出口の両脇にある売店へ。
ここで発見したことがひとつ。実は、右側の売店はお土産売り場なのですが、左側の売店はなんと、お花の苗やら園芸用品を売っているお店なのでした。お城&庭園見学ですっかりお花の魅力に感化された時、「ラベンダーの苗でも買って帰ろうかしら?」なんて思うのも自然の流れですよね。
海外旅行者である母ご一行様にはそんなモノは買えないのですが、お土産売り場の方にも実は独特なお土産品が。
なんと、お城で作られた作物を利用したジャムなどを売ってるのです。

ジャムは4種類ほどありましたが、一番変わってるだろうと思うコレを買ってみました。「Potiron a la vanille(カボチャ&バニラ)」のジャムです。
「カボチャ!?」と我が夫は変な顔をしましたが、パンプキン・スープって甘いでしょ?パンプキン・パイってのもあるでしょ?そう考えるとジャムにしても美味しいんじゃないかって気がするんです。(まだ味見してないんですけどね。)色もすごくキレイです。
で、このラベルに「Les jardins de Villandry(ヴィランドリーのお庭)」と書いてありますが、 jardin という単語は、単に日本語で言う「庭(=観賞用の庭園)」の意味だけではなく、実は「菜園(食用野菜を育てる場所)」という意味でも使われているのです。(正確には jardin potager と言うようですが。)
フランス人が「ウチの“ジャルダン”でトマト育ててるのよ」って言う場合、お庭の真ん中にトマトが植えてあるのではなく、お庭の一角で家庭菜園してるってことですね。
お城にこのように食用の野菜や果物を植えていることは案外多くて、中世の戦乱期にはこれで兵糧攻めに遭ってもしばらくの間は暮せるようにしていたらしいのですが、このヴィランドリー城はその戦乱期後の平和な時期のスタイルのお城なので、単に城主の趣味なのでしょうね。

母たち日本人組みだけではなく、義父母も感動したヴィランドリーのお城でした。


母の第四日目: ヴィランドリー城(続-1)

2005-09-19 04:36:20 | Weblog

城内見学開始。これはお城の2階の窓から見た、庭園の眺めです。
このように見事にデザインされているのがフランス式庭園の特徴。

他の部屋の窓からも外を見てみましたが、こちらはまた違ったお庭です。キャベツとかもあるような・・・?


これはお城の廊下。何ってことはない普通の廊下なんですが、なんだかやけに気に入ったので写真に撮ってみました。(写ってるおじさんは普通の観光客の人です。)
お城って、城主の趣味が明らかに反映されてますが、このお城の持ち主はけっこうシックな趣味の方だったようです。

これは子ども部屋。かわいいでしょ~?
どのお部屋もギラギラした重苦しい感じがしなくて、とってもステキなお城です。

それと、古いお城へ行っていつも思うのは、「昔のフランス人は背が低かった」ってことです。日本人も昔は低かったと思いますが、昔のフランス人は多分男性で165cm~170cm程度だったんじゃないかと思います。部屋の天井は高いんですが、ベッドのサイズ(頭から足先までの長さ)が現代人用にしてはちょっと短い?っていう点でそれを感じるんです。

多くの部屋の床は寄木張りでとてもきれいでした。けっこう複雑に組んである部屋もありました。そして何よりこのお城の館内には変わった絵が沢山あるのに驚きました。宗教絵画が多いのは、城主の趣味と信仰心によって往々にしてあることですが、とても気になったのは、「病気の女」「小人症の男」「気の狂った人」といった絵が8枚程集められた小部屋です。この絵どこかで見たことあるような・・・と思っているんですが、どうしても思い出せません。

螺旋階段を上って、お城の屋上へ出ました。

自分が出てきた方を振り返ると、こんなかわいい三角屋根でした。横にある煙突3本もかわいいので、パチリ。
なんだかムーミン屋敷みたいでしょ?(お城にはこういうデザインがよく使われてるんですが、各地で見るたびに写真撮ってるような気がします・・・)

これは屋上からの庭園の眺めです。
写真右側を縦断しているのは運河?で、奥に大きな人工池があるのです。この運河には白鳥もいました。そして運河のほとりにはブドウ棚が。(フランスで棚作りのブドウって珍しい気がするんですが。)

こうして見ると、フランス式庭園の美しさがわかりますよね。
やっぱり高い場所から見ないとね・・・

これは先ほどの庭をずっと右方向にたどって見ていった場所です。
窓越しに見てキャベツが見えた場所です。ここはお花と一緒に変わったものが植えられてるようなんですが・・・・・・?(つづく)


母の第四日目: ヴィランドリー城

2005-09-19 03:18:55 | Weblog

ロワール川の周辺には、大小さまざま、沢山のお城が残っています。
今回母ご一行様に「ロワールのお城をひとつ見たい」とリクエストされていたので、わたしが選び出したお城は・・・ヴィランドリー城でした。このお城はガイドブックによると、すばらしいフランス式庭園があるとのこと。イングリッシュガーデンが根強い人気だけれど、フランスに来るんだからフランス式庭園を見なきゃね。それに女性ばかりの旅なのでお花を楽しむのもいいだろうと。そんな理由から選んでみたのでした。

今回の旅は、希望だけ述べて後は義父に計画を練りこんでもらったので、細かい部分は聞かされていませんでした。当日ミニバスに乗って出発した後で、「ちょっとだけ時間あるんだけど、この近くの古い教会に寄ってく?」と義父が。なんでもけっこうキレイなんだそうで、観光客がこれを見に来ると言うのです。
というわけで、お城の前にまずは鄙びた場所の教会を見ることに。

で、中で撮った写真が上の写真です。
確か10世紀くらいに建てられた教会で・・・って説明が書いてあったと思います。この彫刻ももしかしたら古いものかもしれません。ナントカのピエタって題名が付いてたような・・・。(曖昧なことばかりでスミマセン。)ピエタとは、聖母マリアが息子であるイエスの死を嘆いているこの構図のことです。
わたしは、こういった素朴な感じの彫刻や絵が好きです。特に中世やそれ以前のものにそういった雰囲気のものが多いです。(ルネッサンスの前ってことですね。)

教会内部全体が、近年に表面が削り取られたように磨かれているのがやけに気になりました。そして奥の方へ入って行って上を見上げると、その理由がなんとなく判明。

実は、昔はこのように彩色されていたのでしょうね。しかし保存状態やら何らかの理由によって、削り取ることになったのでしょう。石組みの間に残されている色が、かつてその場所が彩色されていたことをうかがわせます。

この教会の壁にはパネルが展示してあり、10分ごとに写された写真が。何だろう?と思って見てみたら、夏至の日の○時○分ちょうどに、教会入り口から正面へ向けて光が入る、と書いてありました。

さてさて。 教会を後にし、目的のお城へゴー!
原発の横を通って(!?)車を走らせ、お昼前にはお城へ着きました。

これがヴィランドリー城です!

でも、まずは腹ごしらえを・・・ということで、お城の入り口脇にあるレストランへ直行しました。
お料理も美味しかったんだけど、今回ぜひとも紹介したいのがデザート。

コーヒーとデザートの“味見”セットということだったので注文してみたら、こんなのが出て来ました。真ん中にあるのはエスプレッソ・コーヒーで、その周囲をぐるりと取り囲むのは、このお店のミニ・デザートたち。
順に説明しますと、
左の黒いのが「チョコケーキ」、その右のが「クッキー&チョコムース」、その右が「フィナンシエ」、その右のグラス入りのが「クレーム・ブリュレのラベンダー風味」、その下のが「ティラミスの○○酒風味」、で一番手前のが「いちごといちじくのコンポット」です。
最初の3つは普通の味なので紹介は省略するとして、わたしが一番感動したのは「クレーム・ブリュレのラベンダー風味」です。このサイズで出てくる時点ですでに感動!なんですが、甘さも抑えてあるし、なんといってもほのかなラベンダーの香りが上品なこと。(ラベンダーの花水が入れてあるのですね。)義母もわたしと同感のようで、「ラベンダーの香りがするわね~」と言って食べてたのですが、義父は「え?そうか?ふむ・・・ そうか・・・??」と、納得いかない顔してました。(苦笑)
ティラミスは、斜め横にあるミニグラスの中に入ってるリキュールを垂らして召し上がれということだったので、そうしてみたんですが、普通に美味しいかなって感じでした。オレンジ・ゼストと一緒に食べると美味しい、ってくらいで。
コンポットもけっこう普通の味。でもここでウチの母が素晴らしい発見。
「このお酒ね、ティラミスじゃなくってこの赤いのに入れてみたら美味しかったよ。」と。ふ~む、なるほど。コンポットがあまりに平凡な味なので、リキュールを入れるととたんに香り高く変身するのです。(3倍くらい美味しくなる感じです。)
「コレ、単品で頼むと絶対ティラミスにリキュールがついて、コンポットには付かないんよねぇ。」
そう思うと、お店の人に母の発見を教えてあげたいような・・・。(笑)
(ちなみにこのテーブルマット、これから見学するお城のお庭のデザインになっていました。)

ウェイターのお兄さんは観光客慣れしているなかなかのハンサムさんでした。ウチの母はお店の人とすぐ写真を撮りたがるので、(忙しそうにしてると言うのに)お願いすると快く一緒に写ってくれました。
いきなり「写真撮らせて」じゃ悪いから、せめて何か一言・・・と思って「あなたがあんまりハンサムだから、ってウチの母がね。」って言うと、ウェイターさんはそれにも慣れっこなようで、「ハンサムなことぐらい、よ~く知ってますよ」って。ありゃりゃ。

さて、ゴハンも食べたことだし、お城見学といきますか。

城館内入り口の矢印を辿っていくと、こんな場所に着きました。

きれいですね~。でもなぜにカボチャ?
(どうやら、このお城で採れた野菜をこうして並べて飾りつけしてるようです。)

カボチャのある場所は、全体的にはこんな感じでした。コの字型にこのような建物でぐるりと囲まれた中庭になっています。

では、これから中を見学・・・(つづく)


母の第三日目: アンジェ市郊外

2005-09-18 05:54:41 | Weblog

第二日目はブルターニュ地方のサン・マロ市にて昼食にムール貝を食べ、この旅行の第二の目的地である「夫の実家」へ行きました。(夫の実家については、このブログの5月16日から21日までのところに書いてます。よって、詳しい説明はここでは省略します。今回写真撮ってないし・・・。)

さて、この写真、一体何だと思います?
実はこれ、ロバに車をつけてるんです。(馬車ならぬ、ロバ車?)
(言っときますが、これは決してフランスの田舎の普通の風景じゃないんですよ!たまたまペットとしてロバを飼ってるだけですから。そしてロバをペットとして飼う人もそう多くはありませんから・・・。)

ロバのアヴァンは走るのが大好き。でも、いくらおうちのお庭が広いとはいえ、ロバが走るにはちょっと難しい。せいぜい「歩く」程度です。なので、義父が車(ロバ車)の支度をしはじめると、アヴァンは鼻を鳴らしてうれしそうにします。
「やったぁ!走れるぞ~っ」(←アヴァンの心の声・・・?)
でも、これって、お客さんがある時くらいしかやらないので、年に1回程度。なので義父は毎回つなぎ方を忘れてしまってます。今回も、あ~でもない、こ~でもないって義母とやり合いながら(苦笑)、結局30分近くかかってようやくセッティング完了。アヴァンは待ちきれずに暴れようとするし。大変でした。

義父母の家はちょっとした高台にあるので、林の小道へ出るには坂を下ります。下り坂はさすがにアヴァンも大人しかったけど、平坦な道に出たとたん、走りたい心がうずいた様子。義父がそれを敏感に察知したのでわたしに「トロットさせてもいいかい?」って。(タカタッタカタッと走らせることです。)けっこうなスピードが出るので、義父は日本人たちが怖がらないかと心配してわたしに聞いてきたのです。
「いいよ、大丈夫よ」と軽く答えるわたし。(笑)
すると急にすごいスピードでアヴァンは走り出しました。(義父が手綱をゆるめたからです。)
「ひぇ~~~っ!!」(←乗ってる日本人たちの声。)
これが上の写真の状態です。わたしは走ってロバより先に行ってから撮影しました。(後ろでバテてるのはウチの母です・・・。)


空き地にて、アヴァンの方向転換。そして乗ってる人のメンバー交代。だって還暦記念旅行ですから、あまり走ると皆心臓が危ないですからね。(苦笑)


実はわたしも乗ってみました。手綱は横で義父が持っています。普通は滅多に見れない(?)ロバのおしりをパチリ。けっこうセクシーでしょ?(ちなみに女の子です。)

近所の林を走り、そしてロワール川のほとりまで行って、家に戻りました。合計30分くらいの散歩・・・というかランニング?でした。

さ、明日はお城を見に行くぞ!


母の第一日目(続-2): モン・サン・ミッシェル

2005-09-17 18:27:37 | Weblog

これじゃ通れないじゃないの、どうしよう???
とっさにアタマの中で、男性の数を数えます。(夫、義父、義弟・・・3人。)
そして女性の数を数えます。(日本人5人、義母、そして妊婦の義妹・・・7人。)
「1人2往復はしてもらわないと・・・(←おぶってね。)」なんてことをアタマの中で考えていたら、ふと名案がっ!
「こんな観光地で、まだ人ごみで溢れかえってると言うのに、島から出る手段が無いなんてことは無い!絶対何か他に方法があるハズ!」
 “迷った時は、人に尋ねよう”
島の観光局はもう閉まってる時間でしたが、その近くにまだ人が居たので聞いてみました。「ほかに外へ出る方法って無いんですか?」
その女性は親切にも、「あっち側に抜け道がありますよ。そこから駐車場へ出られます。」と教えてくれた。最初、それは観光局の女性なんだろうと思っていたんだけど、実はトイレから出てきた普通の人でした。(そこがたまたま公衆トイレだったのです。笑)

教えてもらった方へ歩いて行くと、確かに、洞穴のような抜け道が・・・
そしてご覧の通り、駐車場へと抜け出ることができました!

ほらね、桟橋が水浸しでしょ?
でもなんで人は敢えてココを通ろうとするんだろう???(おかげでいらぬ心配をしてしまったではないかっ!)

ところで、「門の所に○時○分に集合ねっ」と言って自由行動にしたのに、フランス人組みはまだやって来ない。これから夕食へ行くのに、予約の時間に間に合わなかったらどうするのよ。(イライラしてると、だんだんムカついてきた。)
よ~し、一杯食わせてやろうっ!

夫とその家族を探して城壁へ上がる場所の近くをうろうろしてたら、上から降りてきた夫が「さっきまでみんな上に居たのに。どこ探してたの?」なんて暢気に言い出す。(よし、計画決行!)
「ねぇ、こっち来てみてよ!入り口が水浸しで外に出られなくなってるんだから!」と演技タップリに言ってみせた。そして、疑うヒマも与えず、島の入り口へと引っ張って行った。
最初は信じてなかった彼らも、現場を見るとさすがに顔が青くなってきていた。
「どうするんだよ~???」って顔を、皆がしている。(周りの観光客の一部も同じことを言ってた。笑)
そこで散々困らせた後で、「じつはねぇ~! 抜け道があるのよっ」と言った。
皆、“ヤラレター!”って。 ふふふっ(笑)

そして車に乗って、レストランへ向かったのでした。

島に続く道を対岸まで行った場所ギリギリのところにレストランはあり、確かに電話で聞いてたとおり、島がよく見える店でした。ぐっと握りこぶしを目の前に突き出してみて、そのこぶしのサイズくらいのモン・サン・ミッシェルと、だんだん暗くなる景色を眺めながらの夕食。そのうちに、島がライトアップされました。


これは、レストランの帰りに島周辺の駐車場で撮影したものです。

この時は、よく食べよく飲み、満足満足でした。
(わたしと義父はウワサの「モン・サン・ミッシェルの羊肉」を食べ、他の人たちは魚介の盛り合わせを食べました。)

さて、翌朝。
朝8時に朝食を食べに行こう!という話になっていたので、8時前には支度をしておくように、と言い渡して寝たのですが、皆ちゃんとそのとおり起きていたので、一番眺めの良い、母たちが寝ていた部屋へ皆で集合。そして朝の景色を眺めました。

朝もやが出ています。
わたしたちが泊まったのは、一軒家みたいな感じのホテル。小さな家をいくつも所有してる人がホテルをやっていて、中には6部屋くらいホテルの部屋があるのです。写真でなんとなく見える三角屋根も、ホテルだったり、レストランだったり、お土産屋さんだったり。

早く起きたので、朝食までちょっと時間があったので、島の門までお散歩しました。

朝8時くらいの様子です。海水がいっぱ~い。
(どうやら、夜と朝の2度、満潮があったようです。)

近くで見ると、こんな感じ・・・

そして朝食を食べて、ブルターニュを通過し、次の目的地である義父母の家へ向かったのでした。


母の第一日目(続-1): モン・サン・ミッシェル

2005-09-17 18:07:49 | Weblog

母達の旅行の一番の目的地であった、モン・サン・ミッシェルに到着っ!
(島内のホテルに泊まり、夕食は対岸のレストランへ行く予定にしていました。)
今回は「年に2度の大満潮」とあって、すっごい量の観光客が押し寄せて来てました。一体何のために?それはですねぇ・・・潮の高さが最高潮に達した時、島が完全に海に囲まれたように見える、その景色を眺めに皆この日ここへ来るのです。わたしたちは敢えて狙って来たわけではなかったのですが、たまたま、母たちの旅行日程から割り出してみたら、運良く(もしくは運悪く?)バッチリ当たってたのでした。(おかげで宿探しに苦労しました・・・)


さて、この景色。一度この島へ行ったことのある人ならなんとなく思い出せるハズ。これは島の城壁から、島へ通じる道の方を見た景色です。本来ならば、浜辺のように見える場所(実はアスファルト)は駐車場として利用されているので、ここも車がよく停まってる場所であるハズなんですが、大満潮とあって、このように波が押し寄せて来ています。(夕方7時くらいだったかな?)

これは先ほどの写真からもう少し右側へ移動してから撮影したものです。
“島へ続く道”は、弓なりにずーっと右奥へと伸びており、その先が対岸になります。道の一番島寄りの場所が駐車場になっています。これは「島内宿泊者専用駐車場」であることが今回はじめてわかりました。だって、わたしたちのように島に泊まるお客が大満潮の時に「駐車場ってどうなるんですか!?」って心配するじゃないですか。でもそのあたり、ちゃんとうまく考えてあるんですねぇ。(ちゃんと交通整理の人がいて、島内宿泊者かどうか聞いてました。)
こんなにいる見物客の大半は日帰り客で、夜になると去っていってました。

さて、わたしたちはこれから対岸のレストランでお食事~なのです。
楽しみ~っ
でもちょっと待ってよ、こんなに水浸しで、外へ出れるのかしら???


うわっ!!! なんじゃこりゃ~!?!?!?
これは島の入り口なんです。ホラ、みんなここを通って島へ入ったでしょう?(ねぇ、来たことあるみなさん!)

ほら、こんな感じで桟橋みたいなのがあって・・・普通はここを通って島へ出入りするんですよねぇ。でも今日は、コレじゃあ通れないじゃないのっ!!
足まくり上げて裸足で通ってるよ・・・
長靴のおじさんは、悠々としかも自慢げに通り過ぎて行くし。
「困ったなぁ・・・・・・」
夫も夫の家族もまだ城壁の上で暢気に海を眺めている様子。
わたしたち日本人組みだけが、てんこ盛りの悩みを抱えたまま、呆然と、押し寄せる海水を眺めていたのでした。

(続く)


母の第一日目: シャルトル

2005-09-17 17:11:37 | Weblog

「還暦記念旅行」ということで、我が母(あと数ヶ月で還暦)と、その友人2名(すでに還暦+来月還暦)と、人数あわせに母のイトコ(母より10歳年下)も入れて、女4名のフランス旅行となりました。
計画は、地方旅行は義父母にお願いし、パリ旅行はわたしが立てました。

そして今日からいきなり地方旅行の開始。シャルトルからスタートです。

今回の旅の大きな目的は「モン・サン・ミッシェル」です。母を含め、参加メンバー全員が行きたいという場所。最初はバス・ツアーで(4人だけで)行ってくれば?とわたしは言ってたんですが、義父にこの件を話したところ「料金やたら高いじゃないか!こんなの、レンタカー代のほうが安いのに」って言って、運転手を買って出てくれたのです。(バス事故もあったしね。)
それで9人乗りの車での旅行となったんですが、パリからモン・サン・ミッシェルまで車で5時間も走るだけってのは勿体無いからという理由で、途中シャルトルへ寄ることにしたのです。

シャルトル大聖堂はステンドグラスの青色の美しさで有名ですが、この大聖堂のほかの部分をはじめ、この街にはたくさん目を楽しませてくれるところがありました。(それは実際に行ってみなければわからないことでした。)


シャルトル大聖堂(ノートルダム)の入り口外観。
外側だけでも見ごたえ十分です。建物の角っこには天使の形をした日時計もありました。周囲をぐるっと回ってじっくり見たかったのですが、「シャルトル滞在時間2時間、昼食の時間を含めて」というノルマがあったので、泣く泣く早足での見学となりました。(そうしなければ、その日のうちにモン・サン・ミッシェルへ着けないんです。)

大聖堂内は静かでした。ひっそりとした、青色の多いステンドグラスが目立ちます。前回わたしがここを訪れたのは15年ほど前、小雨の降る悪天候の中、大聖堂内は薄暗く、ステンドグラスもどんよりした色に見えたのを思い出しました。今日は運良く快晴!

堂内を進むと、こんな像がありました。確か、「柱の聖母マリア」とかいう名前がついてました。近くでゆっくり見たかったのですが、お祈りをしていらっしゃる方の邪魔になりそうだったので、遠くからそ~っと・・・。

一番奥のあたりに、こんなものがありました。

聖母マリアのベールだそうです。
こんな解説が横にありました。

読んでみました。適当でない訳になってる部分もあるかもしれませんが、大体こんな意味になります。↓

  この聖遺物箱の内容物は、聖母マリアが被っていたと
  讃え伝えられるベールです。
  パレスチナから来たこのベールは、かつてコンスタンチノープル帝国
  の宝物として守られていたものです。
  女帝イレーヌはこれをシャルルマーニュに贈りました。
  この聖遺物は、876年からシャルトル大聖堂にあります。

日本語のガイドブックによると、「イエス誕生時にまとっていたとされる絹布」とあります。


堂内の回廊には、こんな感じでビッシリと細かいレリーフが施されており、わたしは何よりコレに感動したのです。(15年前も、そうでした。)もっとゆっくり時間をかけて見たかったな・・・。

正午にレストランに予約を入れていたので、足早に大聖堂を出て店に向かいました。
途中でこんなお店の前を通りました。こちらもレストラン。でも予約してた店ではありません。

シャルトルの街には、こんな建物がたくさん残っていました。それらの多くは買い取られてレストランなんかになっているようでした。
わたしたちが予約してたお店も、この写真のような雰囲気の建物でした。クレープ屋さんだったので、ギャレット(そば粉のクレープ)とシードル(りんごの発泡酒)で食事をし、デザートにはクレープを。これからノルマンディー、ブルターニュに行く気満々!といった感じのメニューですね。(笑)

昼食後、レストランを出た時の眺めが一番上の写真です。遠くに見えるのが大聖堂。
ここで結婚式のカップル2組に遭遇しました。かわいい街並みをバックに記念撮影中でした。この日は土曜日。週末は結婚式に出くわす確立が高いのです。
街の中では市場が立っていました。あ~、もっと時間があればな~。
シャルトルの街は、お散歩するのにも良さそうだし、週末ならば市場も立つので、今度は週末1泊旅行で来たいな~と、後ろ髪引かれる思いで街を出たのでした。


母を空港へお迎え

2005-09-16 16:27:28 | Weblog
母ご一行様がド・ゴール空港へ到着するので、皆で迎えに行きました。
翌日からすぐ地方旅行に出るので、義父が9人乗りの車を借りてパリまで来てくれていたのです。なのでついでにこの車で空港まで迎えに行くことに。

母には事前にフライトナンバーを聞いていたので、家を出る直前に空港サイトで調べ、30分遅れで到着とわかりました。CDG2、到着ターミナルはF。
JAL-AF機はいつもFに着くんだろう、とこの時は思っていました。

いざ空港に着き、9人乗りの大きな車を停める場所探し。
ド・ゴール空港2はおっき~ぃので、駐車するのにも迷子になるんじゃないかと慌てましたよ。何度もグルグル回り、ようやくFに一番近そうな場所に停めることが出来てヤレヤレで、到着ゲートへ行くべく徒歩で移動。到着機を表示するモニタを見て母の便を捜してみると・・・無い。アレ???
おかしい。おかしい。おかしい!
あちこちの画面を見て、ようやく判明したのが「Fではなく、Cに到着するらしい」ということ。
で、Cへと走るようにして急いで行きました。(もう母の便は着陸していたのです。)

ようやくターミナルCの到着ゲートへ。ぱたぱたと音を立てながら変わる掲示板を見ると、そこに母の便のナンバーが書かれていました。
Terminal C「17:15 OSAKA AF291 JL5051 ARRIVE」
あ~、間違いなくココだ。(ホッ・・・)
それから待つこと20分、ようやく母たちが出てきました。

よ~く考えてみると、共同運航便には2つフライトナンバーがあるんですよね。
今回はJALとAFの共同運航だったので、JALは常にFに着くけど、AFが着くターミナルは沢山あるのでCにまわされることもあるってことなんですね。(母からはJALのナンバーしか聞いてなかったので、まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした。)
母たちが出てきた後で、義父と夫は駐車場へ走って行きました。(車を取りに。)到着ゲートの正面まで車を回そうということなんですが、これまた「一般車両は一時停車も2分以内に」と書かれていたらしく、母たちが来る前にココに一時停車させておくわけにもいかなかったんです。
待つこと15分以上、ようやく義父と夫が車で来てくれました。

空港へお迎えに行く場合は、早め早めの行動が肝心だなぁ~とつくづく思いました。

母、上陸

2005-09-15 18:26:24 | Weblog
明日(16日)から10日ほどの間、ワタシの母が友人たちを連れてフランスへやって来る予定です。事故とか予定の急変とか無ければね。
今回の旅は「高校時代からの友人たちと、還暦記念旅行」ということだそうです。というわけで、参加メンバー3人は60歳前後。(なぜか人数合わせで母のイトコが還暦じゃないのに入ってますが。)
そんな4人が4人とも家族に「高齢者」を抱えていて、いつ弔事が入るかわかんないっていうんで、皆ドキドキ。
「お願いだから、旅行直前にコロッと逝かないでね・・・」と皆が皆、思っているそうです。(苦笑)

さて、そんな母たちを迎えるわたしたちフランス側は・・・
義父がレンタカーの支度をして待っていてくれます。(←8人乗りで、あちこち連れて行ってくれるのです♪)
義母は美味しい料理の準備をしながら待ってくれています。
わたしはパリ観光案内の下準備をしながら(しもべとなる時の来るのを)待っています・・・(汗)
そして、夫はぺこに「ばーちゃんが来るよ、ばーちゃんが。」って言いながら、部屋の掃除をして待っています。

というワケで、しばらくブログの更新はできなくなりそうです。あしからず・・・

魚を食べよう!

2005-09-14 23:27:50 | Weblog
今日は朝からテレビで「オメガ3(トロワ)」という物質についての議論がされていました。多分、日本で言う「ドコサヘキサエン酸」のことだと思うんですが・・・。お魚の油なんかに含まれていて、これを摂取すると集中力が増すとかナンとか、効能などもドコサヘキサエン酸の話にそっくりなので。
なんで今頃こんな話題を?と思って夫とニュースを聞いていたら、どうやらこのオメガ3の錠剤を学校で子どもに飲ませる案を奨励している人がいるらしくって、それに冠する議論でした。

「決定的に足りないのだから、子どもの頃からサプリで補う方が良い」という案と、「サプリなんかで補うのではなく、食品から摂取すれば良いのではないか」という案のぶつかり合い。
ここで気になるのが、フランス国民の性格的な問題です。
日本人ならば、某番組で「青魚を食べると血液サラサラ、アタマも良くなる!」とやれば翌日から魚屋さんが大繁盛ってことになると思うんだけど、フランス人はそれでもやっぱり魚が嫌いだとか、調理や食べるのが(小骨があるから)が面倒だとか言って、結局お手軽なサプリに頼ろうって流れになってしまうのかも。日本人のことを神経質だとか、食べ物や飲み物にあれこれ栄養添加して!って冷笑しておきながら、今やフランスの牛乳やら何やら、ビタミン強化だのオメガ3だの書いてあるほうが売れ行きが良いらしいんだから・・・。

夫の友達に、学校給食の会社で働いてる人がいるんだけど、彼女の話では「(生徒の親は)子どもにステーキ食べさせろとか言うけれど、毎日そんなのばっかり出す予算なんて無いくせに。それにステーキなんて一枚ずつグラムが違うのに、それを“こっちのステーキはこっちのよりも○g少ないですね”なんて重箱の隅つっつくようなこと言って・・・!!」と。やたら頻繁に、査定が入るらしいのです。ステーキは一枚一枚ビミョーに重さが違って当たり前なんだという事実は、実際に料理をしたことのある人なら判る事だと思うけど。(あ、ちょっと脱線・・・)
学校給食が「ステーキ&フライドポテト(野菜はどこだ???)」なんていう、日本だと信じられないような内容なんだから、サプリ与えとけばいいんじゃない?なんていう案が出てくるのも納得。しかし決定的に飢えて困っている国の子への緊急対策とかならまだしも、一般の食べ物から摂取できるものを何故?って思ってしまいます。それはきっと、「魚なんてキライ~」って言う子どもたちがあまりに多いからじゃないかな?って気がしなくもない。そしてそれは子どもに限らず、案外大人にも多いんじゃないかと・・・。

日本のスーパーの魚売り場では「さかなさかなさかな~、さかな~を~たべ~るとぉ~♪あたまあたまあたま~、あたま~が~よく~なるぅ~♪」って曲が流れてて、かなり洗脳的な感じですが(笑)でも少なくとも、そうやって食品から自然に栄養摂取するという基本方針を保つためには良いんじゃないかと思います。

フランスではごく最近になって、毎日5品目だか10品目だかの野菜を食べましょうって言い始めたみたいなんだけど。フランス人って栄養に関しての認識があまりに甘すぎる気がする。
そういうワタシもかなり甘くはあるけれど・・・、でも、野菜をたくさん食べよう!とか、意識して魚を食べよう!とか、油モノは食べ過ぎないように・・・とかいうことを少しは考えて生活してる。

今年、フランスの学校から「ジュースやお菓子の自販機」が撤廃されることになったそうです。ということは、それまでは平然と存在してたってこと???学校でコーラ飲んだりスニッカーズなんかバリバリ食べてる子が沢山いたってことですね。信じられない・・・。
夫が「昔、一時期、コンデンスミルクのチューブを子どもに持たせてたことがあったよ。」というこれまた信じられないことを言ってました。学校で休憩時間に子どもたちがコンデンスミルクのチューブをちゅ~ちゅ~吸ってたんだって。“カルシウム補給”という理由だったらしい・・・。確かにカルシウムは取れるかもしれないけれど、糖分の問題はどうなのよ???
フランスには家庭科の授業とか、無いのかなぁ~。

朝からずっとオメガ3の討論を見てたので、今日は魚屋さんへ寄ってサバを買ってきて食べました。これでちょっとは補給できたかしら・・・?