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マンガ評論3「青青の時代」(1998-2000年 山岸凉子著)

2008-09-06 22:03:19 | Weblog
(ストーリー)
 大和(やまたい)連合国家の中軸である伊都国の王が亡くなり、後継者争いが勃発する。巫女王である日女子(ひみこ)は、自己の権力保持を図ろうと画策する。他方、かつて巫女王、聞こえ様の地位にあった姉日女(ひるめ)を、第4王子クチヒコが伊都国につれてきた。日女は気が狂っていたが、不思議な力を発揮する。日女の孫娘壱与(いよ)も、また不思議なことに遭遇する。この二人を忌み嫌う日女子、権力を握ろうとするクチヒコらの権謀術数に壱与は巻き込まれていく…

コミック 潮漫画文庫 全三巻

(評価)☆☆☆☆
タイトルは「あおのじだい」と読む。ヤマタイ国を舞台とした歴史コミック。冷徹な権力者として描かれる日女子、霊力を得る代わりに気がふれた日女、生きる強さと霊力を兼ね備えた少女壱与の3人の巫女をめぐる愛憎、権力闘争が描かれている。悪役であるがクチヒコは、一番現実的な人物であり、あっさり死んでしまうのはちょっと残念だ。「日出処の天子」に比べると物足りなさを感じるが、神の時代から人の時代の狭間のドラマをみごとにまとめている。文庫版第1巻の解説がおもしろいので、ぜひ一読を。
沖縄、琉球王朝で実在した聞得大君(きこえおおきみ)とその巫女団など、古代日本と沖縄の歴史を交錯させ新たな卑弥呼像をつくったのは、「ヤマタイカ」に通じるものがある。
ところで、ラスト、壱与が島に帰っていくけど、魏志倭人伝では卑弥呼の後を継いだとあるので、平和な島生活からまた混乱のヤマタイに連れ戻される運命がまっているのではないか。そんな書かれない物語の未来を想像しながら、ハッピーエンドのラストもよいなと思うこのごろ(ネタバレ)。
山岸凉子は、霊力、超能力をもつ異能の人物を描くとき、かならず、反面何かを失うという側面を与える。尋常ならざるものを得る者は、何かを失う。厩戸皇子は、超能力と権力を得るが、愛と未来を失う。しかし、本編の主人公壱与は、日常的な力と霊力を兼ね備えるが、霊力を封印する道を選び、シビとの人生を歩む。このシビは人々が忌み嫌う埋葬人クロヲトコであるが、生死の狭間にいながら、生きる者のために死者を見送る者。(これだけでも一つのテーマになりそうな話であり、実際、最近の映画で「おくりびと」(本木雅弘出演)というのがある。山岸凉子の原作ではありません、念のため。これは納棺師の物語。)
つまり、壱与は生きる世界を選んだのだ。権力でも神の世界でも死者の世界でもない。だからこそ、山岸作品にしてはめずらしいラストになったのであろう。

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