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書評番外編 古代史妄想に対する活!

2011-01-10 17:55:05 | Weblog
最近、古代日本史に関する最近の情報をふまえた本がいくつかでている。

八幡和郎著「本当は謎がない「古代史」」(ソフトバンク新書)☆☆☆
 学説の記紀批判(津田史学)や、トンデモ学説に対して、記紀を素直によんでみれば、「謎」なんかひとつもないという立場からの一冊。痛快です(笑)。特に聖徳太子不存在説や藤原不比等陰謀論に対しては、私もまったく同感です。学者(トンデモ歴史研究家含む)は深読みしすぎです!
ただし、欠史八代は実在したとか、神武天皇実在説とか、会社創業者的思考?は単純素朴すぎて、素人の考察をでていません。論理の飛躍もおおいし。おーそのとおりと思うところもあれば、なんだやはり主観解釈かというがっかりもある。本来の意味での学者さん、研究者さんでもありませんし。
いたしかたありません。

大津透著「神話から歴史へ 天皇の歴史01」(講談社)☆☆☆☆
 講談社の天皇の歴史シリーズ第1巻。日本史を天皇との関係から考察する歴史研究書。第1巻は、天皇の古代史である。専門外歴史マニアのトンデモ学説が、跳梁跋扈するなか、今日の通説の到達点を理解できる安定感がある書。初心者向きではないが、古代史をかじったことのある人は、通説的見解の正確な理解ができると思う。こういった本をまっていたんですよ。トンデモ学説は、通説のつまみ食い的理解で、安易な通説批判しているので。もっとも、歴史学者の中では、古代史は分野下火らしい。考古学者の分野と化しているようだ。他方、天皇論は、政治思想論(右翼的なものから左翼的なものまで)、文化人類学、民俗学から考察はあっても、歴史学からの考察はほとんど最近なされない。政治論争にまきこまれたくないのでアンタッチャブルだとすると、残念なことだ。その分、中世史の研究が進み、その成果踏まえたシリーズになるらしい。宗教史、芸能史も予定されているし、今後のシリーズ刊行が期待される。

吉村武彦著「ヤマト王権」シリーズ日本古代史2(岩波新書)☆☆☆☆
 天皇の歴史01が堅苦しく、知識がないと読みにくいと思う方にはこちらのほうがよみやすい。
 考古学が、古墳の所在地を王権所在地とみることに批判的な視点はおもしろい。
最近の情報をふまえ、日本の古代の終焉を「推古朝」にみる。ほぼ通説的なまとめなので、通説的理解を手早く知るのは、こちらのほうがベター。


足立倫行著「激変! 日本古代史 卑弥呼から平城京まで」 (朝日新書)☆☆
 ジャーナリストが書いた古代史探求ルポ。発掘現場や研究者へのインタビューなどルポルタージュながらの視点で最近の古代史の謎にいどむ。聖徳太子不存在説の大山誠一説の信奉者なんだそうだが、大山説を知らない初心者は何のことかよくわからない。もう少し、一般読者を意識したかつ俯瞰的な視点での記述があるとよかった感じである。また、纒向遺跡=邪馬台国ブームに対して、現場は結構冷静だったりするのはおもしろい。騒いでいるのは一部のマスコミやトンデモ歴史マニアだけでしょうか。

まあ、日本古代史の現在の通説的見解だと、邪馬台国論争については、比定地はまだ定説がなく、3世紀後半から纒向遺跡の古墳時代が展開しており、畿内に邪馬台国があっても不思議ではない程度の可能性あり(考古学上は通説ともいわれるが。)。
邪馬台国とヤマト王権の関係は不明。

記紀の資料価値は津田左右吉の批判的考察(皇国史観否定)から出発。
すなわち、記紀の成立した時代、政治背景から資料価値を吟味すること。なお、津田の方法論も推論の部分もあり、必ずしもすべて現在の通説的見解が津田史学を支持するわけではない。
最近では、「文学史」の観点から、「日本書紀」と「古事記」をわけて考察する学者もいる。
最初の天皇は、崇神天皇。神武天皇及び欠史八代は後世に造作された可能性がある(和風諡号の名称の不自然さ、父子相続の不自然さ)。
景行天皇から神功皇后まで非実在説(7世紀の天皇の称号である「タラシヒコ」が和風諡号でもちいられている。)。
雄略天皇は、稲荷山古墳の鉄剣のいう「ワカタケルの大王」同時代的資料ではじめて裏付けられる天皇。倭の五王の「武」に比定する。
継体天皇は、王朝簒奪とまではいえないが、婿入りにより皇位継承の正当化をはかる。
王朝交代論については否定的。
以降は、おおよそ記紀の史実性を肯定して良い。

といったところでしょうか。
こういったモザイク的なことしかいいようがないのが日本古代史なので、学者さんは本気で研究したがらず、トンデモ学説が跳梁跋扈するのです。







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3 コメント

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Unknown (むらかみからむ)
2011-01-15 00:05:34
どうしていまの古代日本史の大学の先生は 物語 古事記&日本書記を信じるのでしょうか?たしかに 記紀 読むとおもろいですよね。
ボクもほんとのことだったらいいなあなんて憧れたこともあったですよ。しかし それは所詮 人の書いた物語だからおもしろいのですよね。で、麻痺させられますね。
でも、物語を真実だと思うことはおかしい。現代でも たかが100年まえのことでさへ わかったものじゃない。自分のじいさんのじいさんのじいさん 名前言える人 愛子様だけでしょ。
700年ごろに 600年のことわかるわけがない。ましてや4.5.6世紀のことなんて。いくらでもぶっ飛んで そして架空の人物やできごと なんぼでも 創造できるよね。。。。。

3世紀の日本はきっとまだ 卑弥呼や豊与さまをふくめ はじめ人間ギャートルズの世界だったに違いない。
4世紀もくれになって初めて支配者がまず南加羅からやってきた。箸墓は はじめに 半島からきて奈良県を支配した大王 崇神サンの墓だったのですね。卑弥呼の墓であるはずがない。
そして記紀では重要視されてないけど尾張も物部や息長もあなどれないですね。この人たちは 崇神様のなかまで きっと 5世紀を支配していたのでしょう。
5世紀の倭の5王さんたちはその崇神王朝そのものだったのですね。で、応神こと昆支さんは その初代王朝に 百済からきてムコ入りした 愛子様のご先祖だったのですね。この推理はすごい。。。
そのお母さん神功皇后は日本史のなかで僕の大好きなヒロインでしたが 架空の人物。卑弥呼や豊与との関係疑ってたのに なんも関係なく 本当に残念です。。。
で、さらに わかたけるなんてかっこいいので ヒーローだった雄略さまも 架空の人でした。考えてみれば大悪党ブレツがいそうにないのに そのじいさんユウリャクもいないよなあ。
6世紀の初期の大山古墳はその昆史さんの弟 継体の墓。これで 記紀の言う 5世紀の河内王朝10人天皇ぶっとびました。そして 彼もまた 崇神王朝へムコ入りしてたなんて。
そして その兄弟のあととり合戦が 6.7世紀の間  極めておもしろく 続行されてたなんて。 鋭すぎる推理に しびれてしびれて。なかなかついていけません。。
  欽明天皇は はじめ日本書記読んだときあんまりおもしろくなく 重要人物でなかったけど 昆支の子供だったとは。だからその子供が大王多いわけですね。
ところで昔の最高札(=一万円札)なんだったのでしょうかね?聖徳太子は馬子で用明大王 でそしてアメノタリシホコで応神の孫だったのですね。彼が隠れたヒーロだ。
ボクは小学校の修学旅行は法隆寺でしたが 校長先生は嘘を教えてくれていたんですよね。悲しいですよ。聖徳天皇だったんだ。で、貝タコ姫こそ 日本史のヒロインだ。
でで、7世紀 中大兄王子はそのご先祖の兄弟のあととり合戦で 最終勝利者だったのですね。しかも、その兄さんが 天武天皇だったなんて。いいですねえ。楽しいですよね。感動しますよね。

そして 以上の事実を 物語記紀のなかから 極めて論理的に推理され 拾い上げた探偵さんこそ 石渡信一郎教授です。異端児あつかいは それこそ日本古代史学会の不幸です。
石渡教授は真の歴史研究者です。 飛鳥は アスカラ【大東加羅】 の ラが 落ちたものだなんて。すじが通ってます!。極上の推理ですよね。在野の歴史家ではもったいない!
石渡教授はもうお年みたいですね。東大か京大は 石渡教授を古代史の教授に ただちに推挙すべきです。そして、国は 古代史ノーベル賞(もしくは国民栄誉賞)を 先生にさしあげるべきです。
税金で お勉強している国立大学の古代史研究の先生は 今からでも遅くありません。自家出版された先生の本 『日本古代王朝の成立と百済』を すぐにでも購入され よく読まれ 
その本を学生にも購入させ 石渡学説を中心にして 講義をすべきです。どうして 古代史学会(本当はすぐに解散すべきです)が 先生の説と向き合おうとしないのでしょうか? 
センタ試験で日本史選択した自分が悲しいです。真実でないことをマークシートして 大学入試で通る国は 日本の国立大学だけでしょうね。税金の無駄使いです。
山川出版の日本史の教科書すきだったんですけどね 本当に悲しいです。3世紀から8世紀の内容を書き直せ。創造作文はもういいですよ。。。。。。

でで、以上のことを 普及に努めておられる 林順治先生も偉大です。『アマテラス誕生』を図書館で 読んでよかった。読んでいなかったら僕は麻痺したままで ウソを信じたままでしたから。
関さん森さん石黒さんの歴史本もおもろいですが 石渡&林コンビのほうが 絶対に楽しい。それは 理論的な推理を伴った頭を使う真実追究だから。あまりにに天才的な発見であり 
最初は なにをいっているのか こんがらがって わけわからなかった。ウソつけ。変な人たちだなあと思いましたよ。無理もないですね。最初に記紀という創造作文を読んで麻痺させられているから。。

で、マスコミももっともっと先生たちの説をみんなに紹介すべきです。真実は真実。物語は物語。その区別くらい小学生でもできます。先生の説が真実であればあるほど 天皇さんの価値は上がります。
記紀は それはそれで 物語としては 極めて価値あるものです。そして 事実をまげて創造作文し広めることができるたのは征服者 王様すなわち天皇様だけだからです。
だから、天皇様は偉大なのです。アマテラスさまをつくることができたのですから。そして だから アマテラスさんの子孫でいいのですよね 愛子様。。
で、日本語は半島からきた言葉だったのですね。われわれの先祖は1600年前に民族大移動した大陸からきた人たちだったのですね。日本民族はゲルマン民族と同じ行動をしたのですね。
では、新羅に出されたのでしょうか。追い出されて 実はいいところに住んでるなんて われわれのご先祖様はえらいとおもいませか?出されたのではなく きっと新羅を置いてきたのですね。

40代が 実は16代程度だった。それでも それはそれでいいじゃないですか。ねえ愛子様 じいさんのじいさんのじいさんのじいさんのほんとのことが知りたいよね !!!
古代史は真実を追求するおもしろい学問ですよね。創造作文して書き直した人たちがいたのですから また書き直されて 当然です。みなさん真実を追求する 林先生&石渡教授を応援しましょう。
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古代史妄想ですか? (mactiger104)
2011-01-15 00:55:39
古代史妄想のコピペは勘弁して下さいな。
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家康が知っていた倭国年号 (いしやま)
2014-01-14 16:48:50
安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て30年ほど滞在し、作ったのが「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。スペイン国王からはメキシコに帰る難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。
戦国時代直後までの古代史のタイムカプセル、倭国年号が522年善記から大宝まで記載され其の後に慶雲以後の大倭年号が続きます。明治以後にはこの歴史認識は失われてしまったようです。日本大文典の倭国年号の存在は、ウィキなどにも記載されていません。ついでに
倉西裕子著 『「記紀」はいかにして成立したか』 続日本紀記載の720年「日本紀」は普通古代史専門家はこれを「日本書紀」と読み替える前提ですが、理由無く読み替えられない、別物という論証がされています。
宜しくお願いします。
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