玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

個性とは何か

2012-09-22 18:47:20 | 左様出尾蛇瑠
前回、河合先生の本から引用したので、今回も西洋と東洋(とくに日本)の決定的な違いをみていきましょう。

典型的で何度も河合先生の著書にでてくるのは東西での「私」すなわち「個性」がどのように確立されていくのか?

の違いについて。

・・ 以下 *1から引用。

学生時代に、私はフロイトの本を読んで興味をもちました。少しずつ学んでいる間に、英語ではego(日本語では「自我」と訳される)とされている語が、もともとフロイトの原典ではIch(I)と書かれていることを知り驚きました。 …

フトイトがIchとesと呼んだことは、フロイトの文章が英語に訳されるときに、egoとidとラテン語に置き換えられました。このことにより、人間が自分の心のことを考えるときに、相当に対象化することが可能になったということです。

このことにより、人間の心を「分析」することが可能になり、分析を通じて、人間の心のダイナミズムやその構造などを知ることができました。深層心理学の各学派はその結果として生じてきたものです。このような考えによって、神経症に対する理解がすすみ、心理療法がはってんしてきたのも事実です。

 「心」と「体」を分離して分析する。

・・

では人間が他と違い独自(ユニーク)な存在であるということはどういうことか?

英語で独自性とはindividuality=個性。これは、どんどん細切れに分けて行きもうこれ以上わけられない(in + divide)状態をいいます。

ヨーロッパの個人主義の考えかたですね。発想の根本に分けるということがあります。

西洋近代の個性とは、まずegoを確立することがその前提となります。他から自立し主体性と統合性をそなえた存在としてのegoを確立する。大人になるとは、自分のアイデンティティが確立できたときである。と考える。

そうして確立されたegoは、自分の主体的な判断と欲求にしたがい個性をのばしていく。

・・

では東洋ではどうか。仏教における人間とはで説明しますと、人間とはあくまで関係性のなかに存在しており、個人をとりだしても、それ自体に「自性」はなく、個別性をもちうるかは「性起」や「縁起」により説明されるのが東洋の考え方の特徴といっていいでしょう。

他との関系そのものに個性が見出されるという、まったく違った発想によるものです。

その典型的な例として、日本語にでは一人称単数の呼称が沢山あり、その場の人間関係によって使い分ける、という事実があります。

英語では、「I」だけですが、日本人は家庭にいる時、同性の友人と話す時、公的な場所ではなすとき、その場にあった異なる「I」を用います。これは、二人称の場合でも同じです。

・・

戦後日本の悲劇は、このようにまったく違う文化的な背景を無視して、

商業的に「個性がのさばる」西洋かぶれ教育を進めたことにあるようです。


引用文献
*1) ユング心理学と仏教、河合隼雄