玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

正しい歴史認識

2012-04-05 21:19:28 | 左様出尾蛇瑠
「見聞広く、事実に行わたり候を、学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候」(荻生徂徠)

シナや南朝鮮が歴史を捏造すると憤慨する。しかるに、昭和史を捏造してきたのはGHQ占領政策が原因だというのは間違いだったことを知れば、歴史を捏造してきたのは日本人左翼であり右翼だったことに行きつく。

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すこし長いが、中川八洋氏の「山本五十六の大罪」、八章「社会主義化を国是とした昭和日本」から引用し、1925年以降の日本人の様子が如何なるものであったかを確認いたしましょう。

昭和(1926年12月25日~1989年1月7日)前期史は、歴史の生き証人が他界するに従い、徹底的に歪曲され、捏造が常態となり、偽りの歴史の横行となった。
歴史の真実は、どかに拉致され還ってこない。このことは、「昭和前期(1926~1945)とは、社会主義思想が日本人の頭をレイプ・占領し、”日本の共産化”がダイナミックに指向されていた時代」なのだが、1945年からの昭和後期に入ると、この歴史的事実がすっぽりと消されたこと一つとってもあきらかだろう。


歴史捏造の一つとして、「治安維持法が社会主義思想を弾圧したから、社会主義思想など戦前の日本にはなかった」などとの、真っ赤な嘘すらある。治安維持法は、コミンテルン(=実態てきにはソ連共産党国際部)の命令に従った天皇制廃止などの革命運動をする”団体”(コミンテルン日本支部=日本共産党)を取り締まったが、社会主義思想・共産主義思想の”思想”は全面的に放置した。

このため、1925年の治安維持法と時期を同じくして、マルクスやレーニンの翻訳本が爆発的に大量出版された。第一の理由は、同年のソ連との国交回復によって、大使館という情報謀略工作基地を得たソ連が、すぐに日本の出版界や学界を牛耳り支配したからである。第二の理由は、日本の知的水準や嗜好とよほど馬が合ったのか、猫も杓子もマルクスやレーニンに飛びついたからである。それらの著作にたいする日本の需要は世界一だった。

しかも、1929年の米国での株の大暴落による世界恐慌で、翌1930年から日本では、神話「ソ連型の計画経済のみが日本経済を救済する」が絶対的に信仰された。
だから、ソ連型計画経済を概説した著作は大人気で、官界でも陸軍でも、学界と同じく、大量に読まれた。ソ連型計画経済を美化する、嘘八百のトンデモ本が、一流の学者の執筆において洪水のように出版された。
1930年以降の日本では、学界/官界/陸軍/出版・雑誌界は、社会主義・共産主義一色(赤色)に染まり、ソ連を「理想の国」と看做すのが国民的コンセンサスとなった

資本主義を罵り、軽蔑し、嘲笑し、唾棄する。それが基本風潮であった。資本主義堅持の米国は「時代錯誤」「経済は衰退し縮小する」「アジアの市場に手を出すのは、米国の経済が行き詰ったから」などと、中傷における矮小で歪なイメージの中で、強大な潜在力をもつ米国の経済力を極端に過小評価した。

美人女優の岡田嘉子が、1938年1月、雪原の樺太からソ連に亡命し人生を棒に振った珍事件も、岡田がコミュニストであったとはいえ、この「ソ連=地上のパラダイス」を煽りまくるマスメディアの犠牲者だった。

戦前日本に、社会主義・共産主義を否定する論評や理論は、一握りの例外を除き存在しなかった。日本は、”赤い岡田嘉子”と同レベルの知の欠如において、国を上げてソ連のような共産国になりたいとばかり、岡田の亡命より半年前の1937年七月、ソ連軍に日本侵攻・占領してもらうべく、大東亜戦争という亡国の大戦争を開始した。

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いわゆる、右翼という方々が太平洋戦争をアジアを欧米の植民地から解放するという意味で大東亜戦争と言えというのは歴史認識がまったく逆だということに気がついていないことでした。

大東亜戦争は自衛のための戦争では無く、亜細亜を赤化し、日本をソ連に献上するための戦争だったんですから。