玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

常識、その中身が問題

2012-02-20 17:03:10 | 左様出尾蛇瑠
30年以上ぶりで本棚から小林秀雄の本を数冊だしてパラパラと読み返した。

「考えるヒント」の最初は-常識-である。

エドガー・ポーの「メールツェルの将棋差し」、十八世紀の中ごろハンガリーで将棋を差す自動人形が発明され連戦連勝大成功を収めた、なぜ、コンピュータもない時代に連戦連勝の人形がどうしてできたのか?その秘密をポーが解き明かすということからはじまる。

そこから小林は、将棋の神様同士が将棋をしたらどうなるか?という疑問をいだき、答えを出せないで悶々とする。
銀座で偶然合った中谷宇吉郎にこの問いをする。

中谷と小林の問答はとても刺激的なのだが、それは途中省略し結論をいうと「先手必勝になるか後手必勝になるか千日手になるか」となり手順を決める振り駒の勝負となる。神様であるから振り駒の結果も見通せるから、結局神様同士の勝負自体がなりたたないという結論、設定自体が不合理となって、二人は笑顔で別れる。

常識とは約束ごとの上に成り立つものである。

将棋差し人形は、勝負の前に人形の中を観客に見せて中は機械仕掛けしか無いことを見せて、常識の罠にはめるのである。

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人形の中には人が隠れているのだが、手順どおり扉を開けて機械仕掛けを見る段取りを踏んだだけで、人間の常識が働きだして、中に人はいないと思い込んでしまう習性を巧みに利用したものだった。

さて、この常識というトリックを長年かけて信じ込ませるのが義務教育としたら、どうでしょう?

民主主義という幻想、制度さえ整っていれば、まるでポンジスキームでも喜んで信じ込んで、さらに税金というおひねりまで喜んで差しだすのは、まさに常識の力の偉大さでもある。

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冒頭の写真は、2月18日に新宿花園神社で行われた岡潔「日本民族の危機」復刻出版記念講演会の一こま。

岡先生の話は、私たちの常識をはるかに超えるもので、理解するのも常識を一度脱ぎ捨ててかからないといけないようだ。本の内容は別の機会に紹介するとして、30年ライフワークとして岡潔先生の研究をされてきた横山賢二氏へのリンクをご紹介しておきます。

「情の哲学」とは何か?