霊(たま)の十日間5
疫幽儚(えきゆらはかな)の死んだ翌日。
健介は家を訪ねて、
「ハナちゃん、早く戻って来るといいですね。大丈夫、そのうちひょっこり帰って来ますよ」
と、愛想よく言った。
月の満ちる日までの数日。
健介は上機嫌でまた疫幽家を訪れた。
自分は儚(はかな)の体に入って大切なリハビリをするのだと、聞かされていたからだろう。
貞子に、儚の写真を見せた。
儚はもうすぐ帰って来るのだ。
なのに、
「……おばさん。すみません」
貞子は写真を見て涙を流した。
自分は何をやっているのだろう。
「いいかい健介。ハナちゃんのことはみんなには内緒だよ?」
鉋との約束を守るために、自分はもっと冷静にならなくてはならないと。
健介は気を引き締めた。
そして、満月の夜。
秋の夜長。もう真夜中だった。
外は冷えるので、霊は自分の部屋で眠りにつき、幽体となって石動家に向かっていた。
この状態の時、自分の知っている場所ならどこへでもほとんど瞬間的に移動することができる。
『やぁ、こんばんは』
何日かぶりに聞く声。
石動鉋(いするぎかんな)である。
『こんばんは。
健介くんの魂は?』
勝手に部屋を覗くと、彼はベッドの上で静かに横たわっていた。まるで死んでいるかのように。
『魂を半分にするのは激痛を伴うのでね、霊的麻酔を打っている。いま健介は仮死状態さ』
『自分の息子にそんな非人道的なことをなぜ平気で出来るのですか。安全は保証されていないのに』
『どうしてと言われてもね。私は健介の願いを叶えるだけさ』
最初は実験と言っていたくせに、何というか……彼は都合のいい物言いをした。
『はじめよう』
石動家の庭。
仮死状態の健介の体が浮遊してやって来た。
鉋の正面に降り立つ。青紫に光る魂がすうっと浮いて出る。
満月の月明かりが、より幻想的な光景に見せていた。
鉋は、刀身のない、桐(きり)の柄(つか)だけの刀を頭上に構え……、
「めーんッ!!」
魂の真ん中を、霊的な刃で斬り裂いた。
魂はきれいに真っ二つになった。
見事な太刀筋であった。
『ふう、うまく切れたよ。これで健介の記憶と自分が健介であるという自我の部分との二つに別けることができた。あとはハナちゃんに記憶だけの魂を与えて、自分は疫幽儚(えきゆらはかな)だっていう催眠をかければいい』
『ではお手並み拝見といきましょうか』
鉋は答えず、健介の自我の魂を元に戻し、健介の記憶の魂を儚の肉体の上に浮かべた。
…………
沈黙。
静寂が辺りを包み込む。
真剣な表情の石動鉋。
猫である霊(たま)の耳にさえ何も聞こえなくなりそうな静けさ。
聞こえるのは石動鉋の心音だけである。
ドクン……ドクン……
緊張の一瞬。
心音さえ、止まった。
瞬間。
「怨(おん)……!!」
莫大な霊力で無理矢理に魂を押し付けた。
夥(おびただ)しい量の霊力が発せられ、辺り一面が虹色に輝いた。
それも数瞬。
唐突に、視界が闇色に染まった。
気がつくと。
霊(たま)は自分の部屋にいた。
一瞬、夢を見ていたのかと思ったが、そうではない。
爆発的な霊力の放出に、吹き飛ばされたのである。
霊はふたたび幽体となって石動家に向かおうとした。
そこに、
『やぁ、すまないね。吹き飛ばすつもりはなかったんだが』
『別に構いませんが』
『きみはそっちの玄関で待機していてくれないか。ハナちゃんが戻ってくるのをそこで待っていて欲しい』
『わかりました』
疫幽家の玄関で、健介の記憶が入った儚が家に来るのを待つ。
しばらくして、儚の魂が霊の意識に入り込んで来た。
と同時に。
がら、がら、がら……と。
戸が開いて、リハビリ中の疫幽儚が入ってきた。
健介の魂半分を宿した儚が、ゆらりゆらりと頼りなく歩いてゆく。
死んだはずの儚が、動いているのだった。
すうっと。
儚の魂が霊の意識から抜けていく。
疫幽家の人間しか見えないあの場所で確かめるためだろう。
魂は違っても、肉体が儚であるため、中身が健介であっても見えるはずだ。
儚の魂の波長に合わせると、彼女の考えていることはすべてわかった。
しかし、先程のショックで頭が冴(さ)えない。
霊は疲労回復のために、とにかく眠ることにした。
動く死体に動揺している儚を放置して。
つづく
疫幽儚(えきゆらはかな)の死んだ翌日。
健介は家を訪ねて、
「ハナちゃん、早く戻って来るといいですね。大丈夫、そのうちひょっこり帰って来ますよ」
と、愛想よく言った。
月の満ちる日までの数日。
健介は上機嫌でまた疫幽家を訪れた。
自分は儚(はかな)の体に入って大切なリハビリをするのだと、聞かされていたからだろう。
貞子に、儚の写真を見せた。
儚はもうすぐ帰って来るのだ。
なのに、
「……おばさん。すみません」
貞子は写真を見て涙を流した。
自分は何をやっているのだろう。
「いいかい健介。ハナちゃんのことはみんなには内緒だよ?」
鉋との約束を守るために、自分はもっと冷静にならなくてはならないと。
健介は気を引き締めた。
そして、満月の夜。
秋の夜長。もう真夜中だった。
外は冷えるので、霊は自分の部屋で眠りにつき、幽体となって石動家に向かっていた。
この状態の時、自分の知っている場所ならどこへでもほとんど瞬間的に移動することができる。
『やぁ、こんばんは』
何日かぶりに聞く声。
石動鉋(いするぎかんな)である。
『こんばんは。
健介くんの魂は?』
勝手に部屋を覗くと、彼はベッドの上で静かに横たわっていた。まるで死んでいるかのように。
『魂を半分にするのは激痛を伴うのでね、霊的麻酔を打っている。いま健介は仮死状態さ』
『自分の息子にそんな非人道的なことをなぜ平気で出来るのですか。安全は保証されていないのに』
『どうしてと言われてもね。私は健介の願いを叶えるだけさ』
最初は実験と言っていたくせに、何というか……彼は都合のいい物言いをした。
『はじめよう』
石動家の庭。
仮死状態の健介の体が浮遊してやって来た。
鉋の正面に降り立つ。青紫に光る魂がすうっと浮いて出る。
満月の月明かりが、より幻想的な光景に見せていた。
鉋は、刀身のない、桐(きり)の柄(つか)だけの刀を頭上に構え……、
「めーんッ!!」
魂の真ん中を、霊的な刃で斬り裂いた。
魂はきれいに真っ二つになった。
見事な太刀筋であった。
『ふう、うまく切れたよ。これで健介の記憶と自分が健介であるという自我の部分との二つに別けることができた。あとはハナちゃんに記憶だけの魂を与えて、自分は疫幽儚(えきゆらはかな)だっていう催眠をかければいい』
『ではお手並み拝見といきましょうか』
鉋は答えず、健介の自我の魂を元に戻し、健介の記憶の魂を儚の肉体の上に浮かべた。
…………
沈黙。
静寂が辺りを包み込む。
真剣な表情の石動鉋。
猫である霊(たま)の耳にさえ何も聞こえなくなりそうな静けさ。
聞こえるのは石動鉋の心音だけである。
ドクン……ドクン……
緊張の一瞬。
心音さえ、止まった。
瞬間。
「怨(おん)……!!」
莫大な霊力で無理矢理に魂を押し付けた。
夥(おびただ)しい量の霊力が発せられ、辺り一面が虹色に輝いた。
それも数瞬。
唐突に、視界が闇色に染まった。
気がつくと。
霊(たま)は自分の部屋にいた。
一瞬、夢を見ていたのかと思ったが、そうではない。
爆発的な霊力の放出に、吹き飛ばされたのである。
霊はふたたび幽体となって石動家に向かおうとした。
そこに、
『やぁ、すまないね。吹き飛ばすつもりはなかったんだが』
『別に構いませんが』
『きみはそっちの玄関で待機していてくれないか。ハナちゃんが戻ってくるのをそこで待っていて欲しい』
『わかりました』
疫幽家の玄関で、健介の記憶が入った儚が家に来るのを待つ。
しばらくして、儚の魂が霊の意識に入り込んで来た。
と同時に。
がら、がら、がら……と。
戸が開いて、リハビリ中の疫幽儚が入ってきた。
健介の魂半分を宿した儚が、ゆらりゆらりと頼りなく歩いてゆく。
死んだはずの儚が、動いているのだった。
すうっと。
儚の魂が霊の意識から抜けていく。
疫幽家の人間しか見えないあの場所で確かめるためだろう。
魂は違っても、肉体が儚であるため、中身が健介であっても見えるはずだ。
儚の魂の波長に合わせると、彼女の考えていることはすべてわかった。
しかし、先程のショックで頭が冴(さ)えない。
霊は疲労回復のために、とにかく眠ることにした。
動く死体に動揺している儚を放置して。
つづく
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