先週土曜日、つまり8月12日のことだった。
弟が川に行くというので私も気晴らしについていった。
遠かった。
一時間以上もかけて山の坂道を登った。
途中、何度かキャンプ中の人々を見かけた。皆、楽しそうだった。
弟はひとけのない場所を求めていた。目的地は以前にも何度か行ったことがあり人はいないはずだと弟は確信していた。
はたして目的地には人がいた。パンツ一丁の少年とその仲間たちであった。
私たちはひき返した。
人のいないポイントを求めてさまよった。
私たちは人を避けた。
別に見られてまずい取引をするわけでも腹がたるんでいるわけでもなかった。
ただ溺れたときに誰の助けも得られずそのまますんなり死んで逝けるからというつまらぬ理由からだった。
そんな些細なことのために、私たちはちまなこになって無人の場所を探した。
家で首を吊ったほうがずいぶんと簡単だったろう。
しかし私も弟も、夏なら川か海で水死体になるべきだ、という妙な価値観があった。水死体に憧れていたのである。
しばらくしてようやく人のいないポイントを見つけた。
私と弟は、人がきて自殺に失敗するかもしれないというネガティブな考えに怯えていた。だから一刻も早く溺れなければならないという脅迫観念に支配されていた。
二人で協力すれば一人を水死体に変えるのは簡単だと思った。
そこで私は、じゃんけんをして勝ったほうが負けたほうの協力を得て先に死ねる、というルールを提案した。
弟が承諾してじゃんけんが始まった。
海パン二人の熱いじゃんけん勝負は弟に軍配が上がった。私は彼の自殺の手伝いをするハメになった。
自分が水中にもぐるので上から押さえ付けてくれ、と弟は言った。私はうなずいた。
そうしているあいだにも時間は過ぎていき目撃される可能性が高まっていった。
兄貴、サンキュー。そう言って弟は川にもぐった。私は彼の体を押さえ付けようと腕を伸ばしかけた。
そのとき気づいた。
これは自殺の手伝いという前に殺人ではないか……。
私は恐ろしくなって伸ばしかけていた腕を戻した。
別にこれから死ぬのだから殺したところでどうとも思わない。しかし仮に殺人行為の途中で誰かに見つかって通報されたら自殺できないかもしれなかった。私はその可能性に恐怖したのだ。
沈んだままの弟を見て思った。
これはもしかしてどっちかが死んでどっちかが生きた状態で発見された場合、否応なく殺人犯扱いされてしまうのではないか。私も弟も自殺するような素振りを見せたことがなく遺書も用意していなかったので、他殺扱いされてもおかしくなかった。
つまりこれは先に死んだほうが有利なのだ。先に死ねば天国で、後に残されたほうは殺人犯として地獄を味わうという寸法である。天国か地獄か。これは究極の争いなのだ。
なかなか手伝ってくれない私に不審を感じた弟が水中から出てきた。
目が合う。
それで全てを悟ったのか、弟は目の色を変えた。
そこからは単なる自殺競争だった。どちらが先に死ねるか。私と弟は、文字通り最期のゴールを目指して争った。
水しぶきが同時に二つあがる。水面は一度静まり、しかしすぐに気泡でぶくぶくとなった。
が、しばらくして体に衝撃が走り私は水中から出てしまった。すでにもぐるのをやめていた弟のしわざだった。
兄貴、ずるいぜ。同時に水に入ったら軟弱な兄貴のほうが先に死ぬに決まってるじゃないか。
弟は凶悪な笑みを浮かべてそう言った。
私はちっ、と舌打ちした。
つまり普通に競争すれば私に分があるわけである。同時に自殺を始めてはいけなかった。
先に自殺するには相手を気絶させて行動不能にしておくのがよい。
そう考えたのが弟の凶悪な瞳から読み取れた。
まずい。そうなると普段体を鍛えている弟のほうが強いのだから私が不利である。
そう思ったときにはすでに弟の中段突きが私の腹をとらえようとしていた。私は昔ならった拳法の要領でそれを躱した。
二人は一度距離をとり、硬直した。
弟は身体能力に優れていたが瞬発力がいまひとつだった。私は身体能力に劣るが瞬発力と野生の勘には定評があった。
正直、組み手をしてどっちが勝つか、二人ともわからなかった。
相打ちではいけないのだ。その場合、よりダメージの多いほうが先に死んで勝ってしまう。いかに相手を傷つけずに気絶させるか、それがポイントだった。
私たちは動かなかった。時間が長く感じられた。
そのうちになにかが弟の体に止まって、また飛んでいった。
弟は、すぅっと気が抜けたように、後ろに、力なく倒れた。
私は、負けたのだ……。
そう確信して、私はその場から逃げた。逃げて逃げて逃げて逃げた……。
数日後。
私は運良く誰にも目撃されることなく家に帰りついていた。
弟の水死体が発見され、解剖結果も出た。
水を大量に飲み込んだことによる溺死と断定された。
体には石にぶつかってできた傷以外に外傷はなく、体内からはなんの毒も検出されなかった。
つまり、弟はあのとき虫の毒で倒れたわけではなかったのである。
あれは、演技だったのだ……。
私は、完敗を認めた。
天国で笑う弟の顔が、みえたような気がした。
弟が川に行くというので私も気晴らしについていった。
遠かった。
一時間以上もかけて山の坂道を登った。
途中、何度かキャンプ中の人々を見かけた。皆、楽しそうだった。
弟はひとけのない場所を求めていた。目的地は以前にも何度か行ったことがあり人はいないはずだと弟は確信していた。
はたして目的地には人がいた。パンツ一丁の少年とその仲間たちであった。
私たちはひき返した。
人のいないポイントを求めてさまよった。
私たちは人を避けた。
別に見られてまずい取引をするわけでも腹がたるんでいるわけでもなかった。
ただ溺れたときに誰の助けも得られずそのまますんなり死んで逝けるからというつまらぬ理由からだった。
そんな些細なことのために、私たちはちまなこになって無人の場所を探した。
家で首を吊ったほうがずいぶんと簡単だったろう。
しかし私も弟も、夏なら川か海で水死体になるべきだ、という妙な価値観があった。水死体に憧れていたのである。
しばらくしてようやく人のいないポイントを見つけた。
私と弟は、人がきて自殺に失敗するかもしれないというネガティブな考えに怯えていた。だから一刻も早く溺れなければならないという脅迫観念に支配されていた。
二人で協力すれば一人を水死体に変えるのは簡単だと思った。
そこで私は、じゃんけんをして勝ったほうが負けたほうの協力を得て先に死ねる、というルールを提案した。
弟が承諾してじゃんけんが始まった。
海パン二人の熱いじゃんけん勝負は弟に軍配が上がった。私は彼の自殺の手伝いをするハメになった。
自分が水中にもぐるので上から押さえ付けてくれ、と弟は言った。私はうなずいた。
そうしているあいだにも時間は過ぎていき目撃される可能性が高まっていった。
兄貴、サンキュー。そう言って弟は川にもぐった。私は彼の体を押さえ付けようと腕を伸ばしかけた。
そのとき気づいた。
これは自殺の手伝いという前に殺人ではないか……。
私は恐ろしくなって伸ばしかけていた腕を戻した。
別にこれから死ぬのだから殺したところでどうとも思わない。しかし仮に殺人行為の途中で誰かに見つかって通報されたら自殺できないかもしれなかった。私はその可能性に恐怖したのだ。
沈んだままの弟を見て思った。
これはもしかしてどっちかが死んでどっちかが生きた状態で発見された場合、否応なく殺人犯扱いされてしまうのではないか。私も弟も自殺するような素振りを見せたことがなく遺書も用意していなかったので、他殺扱いされてもおかしくなかった。
つまりこれは先に死んだほうが有利なのだ。先に死ねば天国で、後に残されたほうは殺人犯として地獄を味わうという寸法である。天国か地獄か。これは究極の争いなのだ。
なかなか手伝ってくれない私に不審を感じた弟が水中から出てきた。
目が合う。
それで全てを悟ったのか、弟は目の色を変えた。
そこからは単なる自殺競争だった。どちらが先に死ねるか。私と弟は、文字通り最期のゴールを目指して争った。
水しぶきが同時に二つあがる。水面は一度静まり、しかしすぐに気泡でぶくぶくとなった。
が、しばらくして体に衝撃が走り私は水中から出てしまった。すでにもぐるのをやめていた弟のしわざだった。
兄貴、ずるいぜ。同時に水に入ったら軟弱な兄貴のほうが先に死ぬに決まってるじゃないか。
弟は凶悪な笑みを浮かべてそう言った。
私はちっ、と舌打ちした。
つまり普通に競争すれば私に分があるわけである。同時に自殺を始めてはいけなかった。
先に自殺するには相手を気絶させて行動不能にしておくのがよい。
そう考えたのが弟の凶悪な瞳から読み取れた。
まずい。そうなると普段体を鍛えている弟のほうが強いのだから私が不利である。
そう思ったときにはすでに弟の中段突きが私の腹をとらえようとしていた。私は昔ならった拳法の要領でそれを躱した。
二人は一度距離をとり、硬直した。
弟は身体能力に優れていたが瞬発力がいまひとつだった。私は身体能力に劣るが瞬発力と野生の勘には定評があった。
正直、組み手をしてどっちが勝つか、二人ともわからなかった。
相打ちではいけないのだ。その場合、よりダメージの多いほうが先に死んで勝ってしまう。いかに相手を傷つけずに気絶させるか、それがポイントだった。
私たちは動かなかった。時間が長く感じられた。
そのうちになにかが弟の体に止まって、また飛んでいった。
弟は、すぅっと気が抜けたように、後ろに、力なく倒れた。
私は、負けたのだ……。
そう確信して、私はその場から逃げた。逃げて逃げて逃げて逃げた……。
数日後。
私は運良く誰にも目撃されることなく家に帰りついていた。
弟の水死体が発見され、解剖結果も出た。
水を大量に飲み込んだことによる溺死と断定された。
体には石にぶつかってできた傷以外に外傷はなく、体内からはなんの毒も検出されなかった。
つまり、弟はあのとき虫の毒で倒れたわけではなかったのである。
あれは、演技だったのだ……。
私は、完敗を認めた。
天国で笑う弟の顔が、みえたような気がした。
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