エルンスト テオドール アマデウス ホフマン(1766-1822年)プロイセン王国ケーニヒスベルク生まれ、プロイセン王国ベルリン没
作家で作曲、法律家、画家など、多才で、ロマン派を代表する幻想文学の奇才の生涯をイメージして描いた幻想物語です。
初演時の第二幕のイラスト1881年
「若い女の子がギターと一緒に踊り歌い、横では中年の女性が、その汚い口から卑猥な言葉を発しながら、いやらしい動きで踊る……その動きに合わせてサラバンドも激しさを増す……」
1583年にはスペインフェリペ2世によって禁止令が出るほどでした。
そうして入ってきたサラバンドは17世紀フランスでは、ゆったりとした遅いテンポで演奏されるようになりました。
一方、ラ・フォリアという舞曲は、15世紀末、イベリア半島由来の踊りで、三拍子。
フォリアという意味は「狂気」「常軌を逸した」というスペイン語で、かつては速いテンポで演奏されたことを暗示していますが、時代が下るに連れてゆっくりしたテンポで演奏されるようになります。
17世紀、イタリアに入り大流行しました。変奏曲方式で、フォリアの和声進行を取り入れ、コレルリ、マレー、リュリ、スカルラッティ、ヴィヴルディなど多くの作曲家が残しています。
フォリアは、短音階で進行する。音名で表すと、イ短調の場合、A-E-A-G-C-G-A-Eという調子である。
サラバンドは
ゲオルグ フリードリヒ ヘンデル(1685-1759年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領ハレ生まれ、グレートブリテン王国イングランド ロンドン没
は、その両方を兼ねたサラバンドを書いています。
ハープシコード組曲第2集HWV437第4曲がそうですが、そこにはフォリア、スペイン風の舞曲とあります。ゆっくりした、荘厳な曲になっています。
ラッパと太鼓(行進曲) Trompette et Tambour (Marche)
お人形(子守歌) La Poupee (Berceuse)
こま(即興曲) La Toupie (Impromptu)
小さな旦那様、小さな奥様(二重奏) Petit mari, petite femme! (Duo)
舞踏会(ギャロップ) Le Bal (Galop)
パリのオデオン座で初演されました。
1869年、ビゼーは師匠の娘で上流階級ジュヌヴィエーヴ アレヴィ
と結婚。
息子のジャック
が生まれています。おそらくこの曲はこの子のために書かれたのではないかと思われます。
その前に、ビゼー家の女中マリ レーテルとビゼーの間にはジャンという息子がいました。
彼は1875年ビゼーの死後も、従兄弟として暮らしました。また、彼の母はビゼー家の奉公人として雇われて暮らしました。
なんだかなあ~。