アルストロメリアは、いろいろな品種が現在も続々と生み出されています。これは、ゴルドヴァと言う名前だそうです。
今日は、お久しぶり、古本屋めぐり。
ご近所のMさんと、Gさんと数ヶ月に一回。本を仕入れに、古本屋さんをめぐります。「ナビしてね。」というMさんの言葉に助手席にのりますが、Mさんが、完璧に地図をコピーしてきて、ルートも蛍光ペンでかいてあって、私もGさんもほとんど車に乗せてもらうだけ。
ブックオフ 久世橋 六地蔵、大久保、宇治小倉を朝9時半からまわります。
集合していると、次男からメール。「塾のかばんの中の、ファイル持ってきて」
「行きません。」といっていると、Mさんが、「大事なものだったら困るよ。届けたげるから、聞いてみたら。」といってくれました。
「無かったら、まずい。」と言う返信に、仕方ない。ファイルを取って、高校まで行って事務所に預けて、それから出発。
どうも初めにつまずいたのが悪かったのか、交差点を曲がったら、おまわりさんがたくさん並んでて、そのうち一人が手を上げたので止まると、「一時停止、止まってなかった。」と一言。
「えーっ!どこ?」と3人とも声をあげましたが、指差されて振り返るとありました。
「ショック~!」「二点減点、罰金7千円です。」「ウーン。」
それから、駐禁、速度違反、おまわりさんの話。こういうときは、話すしかありません。
親の介護、子どもの話、身体の話それぞれ、抱える出来事は違うけれど、今まで、話して支えあってきました。
「持ってるといやだから、すぐ、郵便局いってくるわ。」と帰るとすぐに、Mさんは元気に支払いに。
今日の収穫。楽譜、児童の音楽教育、上野千鶴子「おひとりさまの老後」、のだめカンタービレガイドブック。
失敗はすぐに話して友達と共有しよう。
満作の花。黄色い花が良く知られていますが、ピンクの満作もあります。一輪ずつ見ると、これが花?と言うような形をしていますが、集まるとやっぱりきれい。
土曜日は地元小学校で、「音楽であそぼう!」
五月って聞いて何を思い出す?
こいのぼり、かしわ餅、ちまき、パンジー、チューリップ、春の遠足、海遊館、動物園、いちご、菜の花、種まき。
この曲を聞くと、5月の風のような気がします、みんなはどう感じるかな?聞いてください。と演奏しました。「どうだったかな?これはモーツアルトのソナタD-durの一楽章です。」「あっ!あそこにあるよ。モーツアルト。」「赤い服着てる。」
「五月の風感じた。」
今日は、Yes Noゲーム。
「新らしいクラスになって友達ができた人?」
「女の先生だった人?」
「遠足のお弁当に好きなものが入っていた人?」
みんな、新しいクラスや、学年をさまざまに味わっているみたい、楽しい話、ちょっと困った話などいろいろ聞かせてくれました。
今日はチューリップのうたをメロディベルで演奏。
どの音をするか手を上げて決めてもらいましたが、譲り合う子どもが多く、気持ちよく決めることができました。初めての子どもも多く、後、少しのところで間違ったりしましたが、4回目には、ほぼ完璧に演奏できました。
好きな楽器を使っての演奏は、今回は木琴や鉄琴が大人気。
大きなマリンバ、ヴィヴラフォーンから、小さな箱木琴まで借り出して、楽しい演奏が出来ました。
これをすると、おかげさまで、季節を思い切り味わったような気がします。
フランネル草、ユーフォルピア、バゴパ、ラムズイヤー、ラミュウム、ヘラコリスムのバスケット。植物園で展示されていました。色とりどりのバスケットもいいですが、白のグラでィエーション。こういうのも、いい感じ。
暖かい一日でした。
作曲家や曲に込められた思いや、意図を探すのが演奏すると言うことだと思っています。
午後、児童会に行くと、1年生の何人かの子ども達は、しろつめくさの花束を持って帰ってきました。
運動場に出ると、大騒ぎしているので見ると、植え込みには、春の恒例、ケムシ。
男の子達がケムシを獲って木に乗せて、嫌がる女子を追いかけているのでした。
私の子どもの頃は、女子も虫だあそびましたが、今の子ども達は差が激しいので大変。かぶれたり、アレルギーのひどい子もいるので、冗談ではすまされません。
絶対にやめさせなくてはいけません。
「ケムシがでてきたね。見せて。」と棒の先のケムシに近づきます。
男の子は怒られると思ったのに私が静かにいうで、キョトンとして、おとなしくケムシを見せます。
「ふーん。これはイラガじゃないね。あまりきつくないけれど、触ったら、かぶれる人もいるからやめようか。」
「へーん。殺したら大丈夫。」と落としたと思ったら、木でつついて殺しました。
「殺したの、かわいそうに。ケムシにも命があるんだよ。」
「殺しても、お汁がついたり、毛が飛んで肌についたら、かぶれるからね。ひどい人は熱もでるんだよ。」
「ふーん。」
「おにごっこしたいんだったら、じゃんけんしよう。」
これで、この遊びは終わり。
この場合、子どもは、女子の関心をひきたいだけで、誰かを傷つけたいわけではありません。仲間を大切にしたいという子ども自身の中にある心を信じて話し、その方法で関心を引かなくても、仲間になれるとわかれば、もともと遊びたいだけなので、ほとんどの子どもは問題行動にこだわることなく、他の方法を選びます。
子どもの行動の裏の、感情や、建設的な意味を探すことが私の仕事だと思っています。それは、他の人から見ると、全く、音楽とは違うことをやっているとおもえるかもしれませんが、私にとっては、同じような作業に思えます。
フリージアはアヤメ科。南アフリカ原産ですが、オランダで品種改良が進み、150種類位あるそうです。ピンクや、紫など色もいろいろあるそうですが、ウィルスに弱いので、あまりみかけません。実家に咲いていたこれはアラジンと言う品種です。画像では届きませんが、香りがいいですね。
昨日は、午後から梅田でレッスンでした。
曲はクーラウのディベルティメントの6番。
コンサートに先生はお仕事中で、来られなかったのですが、気にかけてくださっていて、メールを下さったりしていました。
一度吹いたら、「デュオをやったから、音程のバランスがよくなったね。でも、これに満足したらだめだよ。死ぬ時にも満足できる演奏ができるかどうかわからない。常により良い演奏をめざすこと。」
「アンサンブルの時は、まず音程だったけれど、次は音色の幅をふやすんだよ。スケールを自然のまま吹いてみたり、同じ442HZでも、高い目、低い目で、スケールを吹いてみるんだよ。」
「ソノリテの音の連結をすること、それを曲の中に見つけて吹いてみる。どの音がどの音に向かっているのか探して、音の方向性をみつけること。」
死ぬまで探求。
楽しい音楽の時間は続きます。
ユキノシタ科、ヒメウツギ。花言葉は秘められた恋だそうです。名前どうり、奥ゆかしいかわいさです。
午前中、ボーンズ フォー ライフ。
人間は思考と、感情を持っていて、感情が動いた時に学ぶそうです。
つまり、感動した時に一番学ぶのです。
自分と誰かと向き合っている時に、身体が固くなって緊張している、ことに気付いたら、そのことに感動し、味わうことで脳は学べます。
でも、大概の人は、緊張を「何とかしよう」としたり、「緊張している自分は悪い」と裁いたり、「なぜこうなっているのか?」と分析したり、「こうなっているからこうなのだ」と評論したり・・・。
これはすべて思考です。
思考で解説すると、実際の感覚から外れていきます。
子どもが良く学ぶのは、発見に感動するからだそうです。
過去や未来の自分とつきあうのではなく、今の自分とつきあうことでしか、脳や身体は学ばないそうです。
科学者も、発見を良いとか、悪いとか、失敗とか成功と言う従来の定規を当ててみるのではなく、その起こった事象をただ興味深く観る。それが探求するということです。
この前のコンサートの前に、この講習で、緊張して初めはいいけれど途中で、疲れてしまって音がかすれてしまうので、心配。と相談すると、「それは、途中でそうなるのではなくて、初めから緊張する身体をしているから、それがたまってきてあふれるだけです。」と言われていました。
コンサートの吹き始め、やっぱり、前回の失敗が頭に浮かんで、また失敗するのではないか?と不安がむくむくわきあがってきました。
そこで、講師の言葉を思い出して「いやいや、先の話ではなく、今、緊張していないか?」と自分に問いかけました。すると、ほぼ2時間のコンサートの間中、リラックスし、後になるほど調子があがってきたのでした。
思考を働かせると、先の不安や、過去の失敗した自分につきあってしまい、家で毎日5,6時間吹きっぱなしでも大丈夫な自分を絶対に見ようとしない。外からは理性が吹き飛んでいるとしか、思えないのに、慣れ親しんだ「自分がうまくやれるはずがない。」という考えにしがみついている方が、理性を働かせているような気がしてしまうのです。
だから、自分を裁判にかけたり、評論したり、分析する思考はちょっと置いておいて、緊張している自分を興味深く観て、感動する。それが、自分を大切にする時間。
今の自分に添い、共感し、受け入れる。と言うことであり、心の世界では、自分にできなくて、相手にはできるというようなことは、まず無い。ということらしいのです。
そう思うと、私の場合、ほとんど思考して、言い訳することに時間を使っていたような気がします。今日は、そのことがわかって本当によかった!
デルフィニウムはキンポウゲ科。イングリッシュガーデンがブームで、最近品種改良が進んでいます。いろんな品種がどんどん開発されているそうです。これは、八重咲きのオーロラブルーです。
今日は、子育てサロン。先月、ピアノ合わせでお休みしてしまいましたが、スタッフのみんながしっかりフォロー。ここのボランティアスタッフは、本当に質が高いと自負しています。
手遊びや、お歌、読み聞かせも、みんなが出来ますが、そういうことではありません。
大事なのは、お母さんや子ども達が、リラックスしていられる空気、場つくり。
何でも話せる雰囲気。
そういう場をつくることを目指しています。
相互尊重、守秘義務など、毎回掲示し、スタッフも心得を読んでから望みます。
今日のような、雨天だと、参加者が無いだろうと思っていても、やっぱり、3組の親子が来てくれました。
「必要とされていることが、わかった。」と終わってから、スタッフの一人が言いました。
子ども達が、地域のおばちゃんたちに見守られながら遊び。お母さん達が、それを、一緒に見ながら、お茶を飲んで、おばちゃんたちと世間話をする。同じ子育て仲間を見つける。情報交換する。
それだけのことが、難しいことがあるのです。
ものがあって、環境が整って、人も大勢いて、それでも、不安で、寂しいことがあるのです。一人ではないと言う事を、ここに来て知って欲しいです。
暖かく迎えられるように、みんなで、いろいろ考えて待っています。
この小さな花の花壇は宿根ネメシアです。水生植物園に行って花の写真のストックがたくさんあってうれしいです。
連休の前半に受講したSTEP TEEN。
民主的な親のためのトレーニング。
10章3日間に渡る講習の中味を簡単には、総括できませんが、
親子関係がテーマですが、相互尊重と、平等の精神にもとづいた民主的な人間関係とは、どういうものであるか?ということを、学びます。民主憲法発布60余年を経ても、使いこなしている人は少なく。モデルとなる人もなく。
2度受講していて、その後もいろいろ学んでいるにも関わらず、実践は難しく、民主主義とは、相変わらず、新しい考え方であるということを、実感しました。
暴力に支配されるのは、いやだ。住む場所や着るものを決められたり、考えを押し付けられたり、意見をいえなかったりするのもいや。
あれもいや、これもいや。では、YESの生き方は?
「どのように行動し、生活するか?」は、「これはしない。」というだけでは生まれません。
そういう意味で自分を省みれば、ほとんど「いや」で過ごしていることに気付きます。
子どもが友達に暴力を奮うのはいや。では、どうするのか?
言葉による問題解決とは?
暴力はなぜいけないのか?
自分は、怖いと思っている相手と対峙して、言葉を持っているのか?
力の差があるように思える相手との、話し合いはどうすればはじまるのか?
どちらにも組しない立ち位置は?
一方的に非があるように思える場合は?
あらゆる場面で待ったなしで始まる人間関係で、いつも民主的に話あうことが出来るには、まだまだ訓練が足りません。
そのことがわかった3日間でした。
植物園の入り口に咲いていたアイスランドポピー。この色彩と、紙をクシュクシュとしたような花びらが、ポップな感じ。私はこの花を見ると1970年代頃のファッションを思い出します。ホットパンツに、大きな帽子。原色。
今朝は、児童会室会議。
毎日のように顔をあわせていても、話をゆっくりすることはほとんどできません。
単なる業務連絡から、大人だっていろいろ困っていたり、一人では解決できない疑問を持っていたり、共有して考えることはとても大切です。
子どもはみんな違います。同じ子どもだって日によって、時間によって違います。
言葉掛けや、態度。関係の持ち方。いろいろな人のやり方を知っておくことは、本当に役立ちます。
人のやり方のあら捜しや、重箱の隅をつついても、何にもでてきません。
それより、いい所を探して、いただいた方が、絶対お得。
真似してみると、相手の考えていたことがわかったりして、共感力も高まり、その人との関係もよくなります。みんなの仕事のレベルも上がり、結果的に職場の環境もよくなり、楽に仕事ができるようになります。明日からまたがんばろう。
こどもの日の今日は、両親を連れて有田の日帰り温泉へ。もう何年も家族で通っている名も無い岩場の近くにあります。温泉の前に、国道を離れてこんなトンネル。カメラで撮ったらこんな感じにうつってしまいましたが、周りの壁は土の上を直接コンクリで塗り固めたような、ボコボコ。車は絶対に対抗できません。
他にも、海側の道ががっくりと半分崩れた道路などを抜けていくと・・・。
その岩場はありますが、場所は秘密。その先に栖原海岸。
潮が引いて、とても静か。数人のお客と、地元の主婦らしき人が、牡蠣を岩場で獲っていました。
栖原海岸で出会ったウニ。
アトピーがひどい子ども達を連れて、温泉や海水浴が効くと聞いて、泊まると費用がかかるので、日帰りでひと夏に何回も来た年もありました。
あちらの岩場もこちらの砂浜も、家族の思い出でいっぱいです。
年老いて弱った両親を連れて、今日はゆっくり歩いたり、流木を拾ったり。静かに過ごしました。
今日は何ヶ月ぶりに一度も笛を持ちませんでした。
明日は仕事が入っています。
昨日見た琵琶湖。黄砂のせいで、視界が悪いです。太陽も昼間でもこんな感じ。
これは、トケイソウの一種で、パッシフローラインウォルクラータ。地上の太陽のようです。植物園でしか、出会えなさそうな花です。
C#moll F#moll G#mollをモイーズのスケールとアルペジオの練習。4回ずつ繰り返すと2時間。午前中かけてやっていると、音とタンギングの間にタイムラグが生じてしまっていることが、はっきりしてきました。
首やあごの筋肉の周りも緊張があります。
モイーズはソノリテにこんなことを書いています。
「舌を歯の間から出して、タンギングする」
このような強いタンギングは、ロスが多くて使用頻度は低いように思えます。
しかし、やってみると、緊張がゆるみ、舌の持つ可能性が広がるのを感じます。
ショッカーが「舌のことを忘れて、眉間と眉間の間に力をいれるんだ。」とタンギングの多い曲で言っていたのを思い出します。
逆説的ですが、舌を思い切り動かすこのような課題は、舌の可動域を広げると同時に、舌のことを忘れるのに役立ちます。
ゆっくりと歩きながら、早口でおしゃべりしたり、手をひらひらと早く動かしたり、というような、連携しているけれど、全く別のテンポで部分を動かすというような、動きは、普段無意識にやっていますが、意識的に動かすとなるとつい力が入ってしまったり、緊張して動けなかったりします。
フルートを演奏するということは、連携が必要だけれど、一方で全く別の動きをするというような身体の動きを常にすることです。
だからショッカーは、歩きながら、おじぎしたり、足を上げたりしながら、練習することを勧めていたのだと思います。
今日はそのショッカーとモイーズの言っていたことが私の中で繋がったような気がしました。