京都北区鷹峰の
松野醤油
麹を入れて塩を入れて、樽で発酵させてそのままのものをもろみ。
その夜、もろみはきゅうりにつけてと、お鍋をしたのでお豆腐や煮大根につけて食べました。
本当かどうか?いまでは疑問視されているお話です。
1839年頃のイギリスでは
フランチェスコ ビアンキーニに師事し小品「アンジェリーナ」、バレエ音楽「タマルヤンとバヤジット」を作曲します。
「埴生の宿」ジョン ハワード ペイン(1791-1851年)アメリカ合衆国の詩人の詩に曲をつけました。
松野醤油
水を汲みに行った帰りがけによりました。
蒸した大豆を
潰して
潰して
麹を入れて塩を入れて、樽で発酵させてそのままのものをもろみ。
圧縮したらお醤油になるそうです。
許可をいただいて写真を撮らせていただきました。
濃口醤油ともろみを買わせていただきました。
その夜、もろみはきゅうりにつけてと、お鍋をしたのでお豆腐や煮大根につけて食べました。
特においしかったのは豚肉。
しゃぶしゃぶ用の安い豚肉が深みのあるコクのある味に。
おすすめです。
お醤油はまだこれから。
ヨーロッパで言うとウスターソース。
ルネサンス期では宮廷のものだったソース。
1835年ベンガル領の総督だったマーカス ヒル卿がインドからソースの作り方を持ち帰り、薬剤師のリー、ペリンズに依頼して作らせたのがリーペリンソース。
美味しくなかったので倉庫に放置。数年後倉庫を片付けていたところ、ソースが発見され、もう一度味見をしてみたら、熟成しておいしいソースになっていたとか…。
このマーカス ヒル卿がイギリスのウースター出身だったことからウスターソースと呼ばれることになりました。
本当かどうか?いまでは疑問視されているお話です。
このソースは発酵させた玉ねぎ、にんじん。アンチョビ、タマリンド(マメ科の常緑樹)と、リーペリン社の秘密の材料が入っているそう。
1839年頃のイギリスでは
ヘンリー ローリー ビショップ(1786-1855年)イングランド ロンドン生まれ、イングランド オックスフォード没
フランチェスコ ビアンキーニに師事し小品「アンジェリーナ」、バレエ音楽「タマルヤンとバヤジット」を作曲します。
1809年ドルリー・レーン劇場でオペラ「チュルケスの花嫁」を上演しますが、劇場が全焼し楽譜から全て失われました。
1810年オペラ「偏執狂」を上演し、人気が出て、3年間コヴェント・ガーデン王立歌劇場の専属作曲家になることができました。
ここで『太陽の乙女』(1812年)、『粉挽きとあるじ』(1813年)、『ガイ・マネリングと奴隷』(1816年)、『女中マリアンと一族』(1822年)、『ミラノの乙女』(1823年)を作曲しました。
「埴生の宿」の原曲「Home! Sweet Home!」はこの「ミラノの乙女」の導入部のアリアです。
1825年ドルリー・レーン劇場に復帰し、コヴェント・ガーデンのウェーバーのオペラ「オベロン」に対抗して「アラジン」を作曲しましたが、惨敗だったそうです。
(ウェーバーは1826年帰国途上ロンドンで客死しました。)
1830年歌曲「わがいとしのジェーン」を作曲し、人気になります。
1839年オックスフォード大学から音楽で学位を付与されます。
1841年エディンバラ大学教授になります。
1843年辞職。
1842年音楽家としてはじめてナイトの称号を得ます。
ビショップはオペラ歌手と2度結婚しています。
前夫人ミス・リヨンも再婚相手のアンヌ・リヴィエール(芸名アンナ・リヴィエラ)もともにオペラ歌手でした。
アンヌは後にビショップを捨て、ニコラ=シャルル・ボクサと駆け落ちしました。
「埴生の宿」ジョン ハワード ペイン(1791-1851年)アメリカ合衆国の詩人の詩に曲をつけました。
たまりと醤油は違うんですね。
私は見たことなかったです。
このお醤油屋さんにはなんとか生き残って欲しいです。
有名店ですね。
まだ、食べたことないですが🤤
今度食べたいです。