日曜、阪南の帰りに見た木蓮の花。
もう木蓮の季節も過ぎつつあるようです。
自画像
にはフランスの若い芸術家たちが留学していました(「ローマ賞」の受賞者たち)。
は13歳年上の彼女にすっかり魅了され、熱烈な崇拝者となりました。
ライプツィヒ通りのヘンゼルハウスにあるファニー・ヘンゼルの音楽室
ファニー・ヘンゼルの『Das Jahr』の原稿より4月(ヴィルヘルム・ヘンゼルによるイラスト)
月光に連れゆれにけり紫木蓮
鈴木貞雄
もう木蓮の季節も過ぎつつあるようです。
ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル(1805~47)ローマ=ドイツ帝国自由都市ハンブルク生まれ、プロイセン王国ベルリン没
ウィルヘルム・ヘンゼル(夫)が描いたファニーの肖像
の室内楽の最高傑作が「ピアノ三重奏曲 作品11」ならば、
の室内楽の最高傑作が「ピアノ三重奏曲 作品11」ならば、
ピアノ独奏曲の最高傑作は、組曲「12ヶ月(Das Jahr)」。
ファニー メンデルスゾーンは
ハンブルクでユダヤ人上流階級に生まれます。
母方の一族は、大バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのパトロンで、またその鍵盤楽器の弟子でした。
このためメンデルスゾーン家には音楽が根付き、子供たちは作法や語学教育などと並んで音楽教育を受けました。
特にファニーと弟フェリックスは、ピアノと音楽理論、指揮という共通の音楽教育を受けました。
弟と同じく彼女もまた、幼少の頃より並外れた音楽的才能を披露し、作曲も始めました。
フェリックスは姉の才能を理解し、高く評価してさえいましたが、女性が職業に就くことをはしたないとする当時の風潮からぬけ切れず、姉が職業芸術家として活動することに積極的に同意することはありませんでした。
父親の姿勢は息子フェリックスほど複雑でなく、娘ファニーに、「お前は弟の天才が理解できるのだから、それで満足しなさい」と明快に言い切っていました。
実際ファニーとフェリックスは、一生を通じて、今日研究の対象とされるほど膨大な往復書簡を残していて、その中でファニーは、しばしば弟の作品に助言と批評を与えています。
ファニーは弟フェリックスにとって良き理解者だったと言えますが、父親は彼女に、弟の相談相手になることを本心から促していたわけではなく、作曲と自作の演奏を諦めさせようとしていました。
1829年、何年かの交際の後、宮廷画家のウィルヘルム・ヘンゼル(1794-1861年)
自画像
と結婚し、翌年には一人っ子のセバスチャン・ヘンゼルを出産しました。
彼女は 1832 年と 1837 年に少なくとも 2 回流産または死産を経験しました。
1838年にはピアニストとしてデビューします。デビュー曲は、弟フェリックスの『ピアノ協奏曲第1番』でした。この頃にはファニーの作曲活動も再び活発になっています。
夫ヘンゼルは、ファニーの音楽的才能の最大の理解者であり、自作を公表・出版するよう根気よく説得しました。
その後数年間、ファニーが意欲的に作品の創作・出版に取り組んだのは、夫の励ましによるところが大きかったと言われています。
1839年9月、ファニーはウィルヘルム、9歳の息子セバスチャンと念願のイタリア旅行に出発しました。
ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ナポリ、ローマなどを巡り、ルネッサンス芸術とイタリア音楽を堪能しました。
とくにローマには1839年11月から1840年6月まで半年以上滞在し、多くの音楽家・芸術家と親しくなりました。
ローマのヴィラ・メディチ
にはフランスの若い芸術家たちが留学していました(「ローマ賞」の受賞者たち)。
ファニーは彼らと毎晩のように音楽を楽しみました。
芸術家たちはファニーの音楽的能力に驚嘆し、彼女を囲むサロンのようなものが形成されました。
なかでも21歳のシャルル・グノー(1818~93)フランス王国パリ生まれ、フランス共和国サン・クルー没
は13歳年上の彼女にすっかり魅了され、熱烈な崇拝者となりました。
グノーはファニーのことを
「マダム・ヘンゼルは人並み外れた音楽家であり、すばらしいピアニストであり、才気あふれる女性だった。
体つきは小柄だが、活力に溢れ、それは彼女の深い目と燃えるようなまなざしから感じ取られた。
彼女は作曲家として稀な才能に恵まれていた。」シャルル・グノー「回想録」より
と言っています。
ファニーは彼らにバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどのドイツ音楽を弾いて聴かせました。
当時バッハの音楽はドイツ以外ではまだあまり知られておらず、新鮮な驚きをもって迎えられ、
グノーはのちにバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1曲の前奏曲にメロディを乗せ、有名な「アヴェ・マリア」を作りました。
1840年6月にローマを立ち、11月にベルリンの自宅に帰ります。
ライプツィヒ通りのヘンゼルハウスにあるファニー・ヘンゼルの音楽室
1841年に作曲したのが、ピアノの組曲「12ヶ月」です。
ファニー・ヘンゼルの『Das Jahr』の原稿より4月(ヴィルヘルム・ヘンゼルによるイラスト)
この組曲は性格的小品集ではあるものの、コラール前奏曲やソナタ形式、ロンド形式、無言歌など、新旧の形式やジャンルが駆使されています。
組曲「12ヶ月」から、4月。
4. April. Capriccioso
母親と子どもたちが、遊んでいると雨が降って来て、早足で家に帰ります。
https://www.youtube.com/watch?v=m-Shaw6QibE
ファニーは声楽曲もたくさん残していますね!ご紹介の声楽も素敵ですね!
クリスマスコンサートでは定番で私もフルートと、ピアノでよく演奏しています。
森さんも素敵ですね💖