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→音楽の喜び フルートとともに
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金曜日、庭の水栓の繋ぎがだめになったせいで、バケツとペットボトルでお水やり往復❍回、5日目。



オラトリオ『四季』(Die Jahreszeiten)Hob.XXI-3作曲は
1798年4月頃のことで、オラトリオ『天地創造』が初演され、大成功を収めた直後であるといわれています。

によって書かれました。
のイギリス叙事詩『四季』からの抜粋を、男爵自身のドイツ語訳で書いたものです。


酷暑のせいできゅうりは夕方にもやらないと葉が垂れてきます。
時間かかります。昔はみんなこれやってたのになぁ。
しかしホースで散水前提で庭を作って来たので、もう…。
しかし、そのせいあってか、今日の収穫。

新鮮な野菜を見ると元気が出ます。食べるともっと元気が出ます。
幸せは何気ないささやかなことの中にあるみたいです。
夕方は突然の雷、豪雨。

午後の水やりはおやすみでした~。ほっ!
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809年)神聖ローマ帝国オーストリア大公国ローラウ生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

オラトリオ『四季』(Die Jahreszeiten)Hob.XXI-3作曲は
1798年4月頃のことで、オラトリオ『天地創造』が初演され、大成功を収めた直後であるといわれています。
しかし、それ以後の筆の進みはハイドンにしては遅く、結局1800年の全体が『四季』の作曲に費やされています。
台本はオーストリア貴族、ゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵(1733-1803年)

によって書かれました。
この台本は、ジェームズ・トムソン(1700-1748年)

のイギリス叙事詩『四季』からの抜粋を、男爵自身のドイツ語訳で書いたものです。
1800年5月11日にハイドンがベルリンの友人(フンメル?)に宛てて書いた手紙には、「『四季』については丁度、「夏」の作曲をしているところです。そして、ここ最近は甚だ病気がちなのですが、この冬までには全曲を仕上げたいと望んでいます。
けれども、たとえこの難しい仕事が成功でなかったとしても、全ての音楽愛好家たちはその理由をわかってくれるでしょう。」と書かれ、『四季』の第2部「夏」の作曲に没頭していたことが窺えます。
全曲の完成は1801年初め頃と思われますが、自筆譜が失われているため、正確な日付は判明していません。
初演は同年4月24日にウィーンのメールマルクトにあるシュヴァルツェンベルク侯爵邸

1832年頃のニューマーケット。背景にはシュヴァルツェンベルク宮殿が見えています。
の大広間

シュヴァルツェンベルク宮殿のゴブランサロン
で、ハイドン自身の指揮で行われ、オーケストラと合唱、合わせて180人以上が出演したと伝えられています。
で、ハイドン自身の指揮で行われ、オーケストラと合唱、合わせて180人以上が出演したと伝えられています。
また5月1日に同じ場所で演奏が再び行われた後、5月24日にウィーンの宮廷でも演奏されています。
一般の人を対象にした公開初演は、同年5月29日にウィーンのレドゥテンザールで行われました。
晩年のハイドンと10年間親しく交わり、ハイドンが亡くなった翌年の1810年に伝記を出版したG.A.グリージンガーは伝記の中に、「ハイドンは『四季』の作曲のため、あまりにも緊張が続いたので、それから後めっきり病弱になった。この仕事を終えて間もない頃、彼はある種の頭痛熱に悩まされていた。」と記しています。
オラトリオ「四季」夏
第13曲 カヴァティーナ
Die Mittagssonne brennet jetzt...Dem Druck erlieget die Natu
ルーカス(テノール)
真昼の太陽が燃えている…自然は圧力に屈している
しおれた花、
乾ききった草原、
乾ききった泉。
すべてが猛暑の猛威を露わにし、
無力な人間や動物たちは
地面に倒れ伏し、衰弱していく。