ボンザ マーガレット。
ピンクルージュ
ピンクかわいい。気づけばピンクの花がいっぱい!

マーガレット あずきちゃん。



自筆譜が見つかったのは1982年,
1884年マルセル・バシェによって描かれたドビュッシーの肖像画
1880年の夏、18歳になったドビュッシーは、チャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人
の長期旅行にメック夫人の娘の音楽講師とピアニストとして同伴しました。

マーガレット あずきちゃん。

フロックス…かな?

羽衣ジャスミンは、満開までもう少し。

羽衣ジャスミンは、満開までもう少し。
いろいろなピンクの花盛り。
音に色を感じるというのは、よく言われていることです。
スクリャービンは音に色を感じて、それを下記のように言っていました。
C dur【ド】・・・赤、単純な
G dur【ソ】・・・オレンジ色の、赤みがかった黄色の、火のような
D dur【レ】・・・黄色い、太陽の
A dur【ラ】・・・緑、草色の
E dur【ミ】・・・緑がかった青、空色の
H dur【シ】・・・淡い青色の、空色の
Fis dur【ファ♯】・・・すみれ色に近い深い青
Des dur【レ♭】・・・すみれ色、純粋な
As dur【ラ♭】・・・ライラック色の、赤みがかった
Es dur【ミ♭】・・・青味がかった、鋼鉄色の、金属の
B dur【シ♭】・・・灰色の金属の、鉛色の
F dur【ファ】。。。赤い、深紅の
リムスキー=コルサコフはCdur白と言っていました。
色は個人差があって人によってまったく違うみたいです。
6歳までなら絶対音感は育てられるとして各社教育グッズを出しています。
鈴木楽器製作所のミュージックパッドの色

江口寿子さんの旗による絶対音感教育法。

江口さんによると、相対音感や音階、音を比較することを覚えると絶対音感はつかないので、その前に覚えると良いそうです。
音と色は記憶。と言うことなのでしょうか?
意味のないものに何かをイメージしてストーリーを作るということは子どもはよくやります。
私も子どもの頃、家の2階にお化けがいて、私1人の時にだけ出てくると思っていました。
それはただの思いだけでなく、本当に思えて、1人で絶対に2階に行けなかった…。
そのストーリーの1つが音と色の結びつきのように思えます。
その自分の中から湧き上がったイメージをすっ飛ばした絶対音感。
良いか悪いかはともかく、
ピンクはソシレ。
という世界を一回見てみたい気もします。
ソシレと言えばト長調。
いろいろありますが、ドビュッシーの「ピアノ三重奏」。

自筆譜が見つかったのは1982年,
チェロパートのみが残されていると考えられていました。ミシガン大学に遺贈されていた物が見つかりました。
然し最後の25小節は失われていて補筆されて演奏されています。
クロード ドビュッシー(1862-1918年)フランス帝国サン・ジェルマン・アン・レ生まれ、フランス共和国パリ没

1884年マルセル・バシェによって描かれたドビュッシーの肖像画
1880年の夏、18歳になったドビュッシーは、チャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人

の長期旅行にメック夫人の娘の音楽講師とピアニストとして同伴しました。
長期旅行では7月下旬にインターラーケン、8月にはアルカションを経由して、9月にメック夫人の別荘があるイタリアのフィレンツェに長期滞在していました。
ドビュッシーの仕事の中には、メック夫人とのピアノ連弾や、夫人が雇っていたポーランド人のヴァイオリニストでチャイコフスキーの弟子であるヴワディスワフ・パフルスキと作曲をすることも含まれていました。
他にも、チャイコフスキーの交響曲第4番を夫人と一緒に読譜したり、チャイコフスキーの『オルレアンの乙女』をピアノで読譜したりしました。
10月にチェリストのピョートル・ダニーリチェンコがメック夫人の家に加わった後に、ドビュッシーは11月まで滞在し、メック夫人によりトリオが結成されました。
メック夫人のために結成したトリオ。左から、ピョートル・ダニーリチェンコ(Vn)、ヴワディスワフ・パフルスキ(Vc)、クロード・ドビュッシー(P)《1880年》。
ト長調、ピンク色が見えますか?