今日は塚口t-raumでハープの発表会でした。

サイド側

革命期の恐怖政治をピアノ調律師として働き、難を逃れました。
先生のホルンガッハで個室でお試し。本番は青山のベガで演奏します。
いい音です。
リハーサルの後本番。
緊張!
結果、私は、あまり良い演奏できませんでしたが、頑張りました。
みんなももっとがんばっていました。
ホルンガッハのはじまりは、1928年ミュンヘンのヨセフ オーベルマイヤーという親子が作った古い客車のハーブ工房です。
オーベルマイヤーという名前で始まったこの工房は1944年第二次大戦時の爆撃で全焼してしまいます。
オーストリア、カウフシュタイン、チロルに移転し、小さな修理工場を作ります。
その頃マキシミリアン ホルンガッハと出会います。
1952年オーベルマイヤーはミュンヘン郊外シュタンベルクに移り、再び工房を作ります。
1955年、ホルンガッハがこの工房に招かれ、ハープ作りを始めます。
1966年にオーベルマイヤーが亡くなります。
ホルンガッハは彼の仕事を引き継ぎ、その頃、ブランド名がホルンガッハという名前に変わります。
1977年息子のクラウス ホルンガッハが工房に加わります。
現在もホルンガッハは、オーベルマイヤーからの伝統を引継ぎ、年間18台しか作らずに、品質を維持しています。
(森田ハープファクトリーホームページより)
クラウンと柱頭

サイド側

台座

外観も美しいですが、音色が芯があって深くていい音。

外観も美しいですが、音色が芯があって深くていい音。
「世界の至宝」と呼ばれています。
1801年作曲フランソワ アドリアン ボワドュウ(1775-1834年)フランス ルーアン生まれ、フランス ヴァレンヌジャルシー没

革命期の恐怖政治をピアノ調律師として働き、難を逃れました。
オペラで成功し、ロシア皇帝の宮廷音楽家になったあと、パリに戻り、オペラをヒットさせます。
彼の功績はオペラが多いですが、1801年に作曲された「ハープのための協奏曲」はこのジャンルの傑作の一つです。
1820年にはパリ音楽院の教授になりました。しかし、オペラコミック座の破産と、1830年の革命、喉頭癌が彼を苦境に陥れさせます。
その年彼の功績に対して年金がおりるようになります。
1834年に亡くなります。
ホルンガッハでの演奏動画です。