雨が降って、寒くなりました。夕方雨が上がったら、きれいな夕焼け。
今日は、心と体のワーク。
「NO」というのも、「YES」というのも、意見という点では、同じ。
そのことを私は、つい見失ってしまいます。
子どもに、何でも言ってねと言いながら、自分好みでないことを言われたら、「何言ってるの?」と言ったり、無視したり。
いい意見と悪い意見に分けて、ランク付けしたり。
こういうことをやっていると、いざ、自分が意見を言おうとしても、その場に役立つことではなく、自分が人に受け入れられるか?どうか?ということが気になって、思っていることを言えなくなってしまいます。
率直な意見交換なしに、調整などあり得ない。
力の強いもの、能力のたかいものだけが意見を言えるのだとしたら、子どもや、障害のある人、老人は、順番は回ってこない。
そして、意見をいうことと、その意見が採用されるのとは、別であるということ。
共有の課題について出された案は、だれがだしたかとか、どういう風に出されたか?などということとは関係なく検討され、バスケットいっぱいの案の中から、みんなの目的達成により近いものを選べば、その場は活性化するし、よりダイナミックで有効な手段が選ばれることになるのです。
いつも、前に出ようとして出られない、肝心な仕事の質が下がってしまうのは、仲間からの受容ばかりが気になるから。
共同の仕事をしようとしている仲間なのだから、目的の質を上げるための多様な意見は、すべて、仲間にとってOKであリ、歓迎されるということを、一番自分が信じていない。
本当に面倒くさい私。
この根本を変えない限り、成長はあり得ない。そんなことがわかったセミナーでした。