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歴婆になっていた・・2 続☆102 2021-08-21

2023年12月08日 | 続☆歴史の中の「経緯」

今回、歴婆になった、大きなきっかけは、

崇神天皇が大田田根子を祭祀者?として

大物主を祀った・・・というところで、

田田がヤハウェを祀るという「暗号」ではないか?

12支族を集め、イスラエルを建国しようとした?

と、いうことを、考え始めて

迷い道に入ってしまったわけだけど・・・

ウガヤフキアエズ王朝実在論さまの

神代文字岩 (sence-net.com)

のページの写真をみると・・・

南面には35文字。神代文字である神宮文字と阿比留文字の組み合わせで、
 そ こをやき
 よ きちほれ
 し もとく
 ひわのかみのりよ
 し ふきあえす
 ね つきよだい
 てむだ
『この場所を焼き、大地を耕せ。霜害に遭わぬよう太陽神を祀れ。これは不合25代天皇の言葉である』という訳になるらしい。つまり焼き畑農業のすすめを記したものらしいのだ。  大分県には『上つ記』(大分県立図書館蔵)という神代文字で書かれた古文書が存在している。

代理は

し ふきあえす
ね つきよだい
てむだ

の部分。

つきよだいにあたる部分。

二王田(口の中に田)ス

が、2王(二人の王?)田(祭祀)す。

と、読めて仕方がない。

神宮文字と阿比留文字というのも、

2王にあたるのではなかろうかとか?

***********

と、まあ、こんな風に横道にそれて、

一番、最初に思っていた「疑問」を意識し忘れていた。

それは、最初の大物主もそうだけど

(大国主命の前に現れたときも)

崇神天皇が告げられたこともそうだし・・・

なにかと、他の神話は無論、

キリスト教徒とても・・・

*************

その疑問とは・・・・

「なんで、神様?が、自分を祀れと要求するのだろう」と、いうこと。

それも、たいてい条件付きで・・・・。

祀ったら・・・良くしてやろう(良くなる)・・とか・・・

*************

人間でさえ、(昔)多く世の中に尽くした人など

ー神様ーとして祭られる事例がある。

誰だっけ・・・治水したり・・土木事業などした江戸時代の人・・

地元に行けば、「神様」として祭られている。

**************

なにか、「祀らなきゃいけない」という

裏側にあるのは

その祀人(神)が、祟りを起こさないために

慰霊?しているかのように思え始めてきた。

なので、神様?が、自分を祀れ と、いうのは

どうにも無性に腹立たしいことがあるので(恨み)

その「恨み」の念を平らにするために祀ってくれないと

その思いがでてきてしまい

「良いことにしてあげることができなくなるので」

祀ってくれたら・・・という

神様も、自分の気持ちの清算が出来なくて

恨み?を持て余しているのか?と思えてきてしまう。

**********

まあ、実際のところ、よく聞くのが

自殺者(その思い方によると思うが)は

死んだら、「その思い」がずっとついてくる。

と、いうもの。

苦しいという「思い」で、死を選んだら

「苦しい」という思いが一時も離れないという。

生きていれば、どんなに苦しくても

「絶対、違う事を思う」

例えば、ー喉乾いた

今、何時だろう

トイレ行きたい

とか・・・

「苦しい」とは、違う事を思う。

それが、「苦しい」から逃げようとしたはずなのに

「苦しい」しか、思わなくなる。

と、いうような話がある。

これは、生きているときより、よほど苦しいだろう。

神様?もそうであれば

その思いが晴れないと、どうにもならないのだろう。

なので、祀ってくれ。

「許す気持ちにさせてくれ」というのが、最初になるのだろうか?

***********

そう考えると、

キリストが、欲や裏切りや利己・保身・・エトセトラで

殺されたことを考えると

それをあてがわれたことを

返してくるだろう、と、思う。

質量保存の法則ではないが、

「しでかしたことは、いつか、自分に帰ってくる」

と、いう「自然の法則」が当てはまってしまうのだろう。

別段、キリストが報復するわけでなく

自分がしでかしたことが本人に帰ってくる。だけなのだが

相手(キリスト)がでかすぎたというか・・・

個人対個人なら、帰ってきたことが例え,死であっても

その個人だけで、終わる。

個人ばかりでなく・・・

民族や国や考えや精神・・・

そこまで、範囲に入り、かつ、

その霊統に及ぶ。

************

キリストが

「右のほほを打たれたら、左のほほをさしだせ」

とか、いったというが・・・

これも、

この恐ろしい自然の法則

「しでかしたことはいずれ、自分に帰ってくる」ということを踏まえていたのだとしたら

キリストをたたけばたたいたほど、いずれ、その「心」(自分の心)が形になって帰ってくる。

************

ただ、ひとつ、許される方法があるとしたら

「改心」と「詫び」という事になるのだろう。

これは、王任三郎も似たようなことを言っている。

相手をやっつけるんじゃない。改心さすのじゃぞ。悪者もよく祀ってやってくれよ。

とか、いう内容。

そのキリストに向けられた「悪い心」を

キリストはそのままに受け止めたから、

贖罪を拭ったというだけで、

問題の「自分がしでかしたことは、いずれ、自分に帰ってくる」

と、いうのは、自然の法則なのだから、

キリストではどうしようもない。

と、考えると

ヨハネの黙示録は、そのまま、起きることだろうと思う。

それが、

例え、自分の先祖・祖先が行ったことであっても・・・

**********

それを、救い出そうとしたのが、

もしかしたら、仏教かもしれない。

先祖供養とか、因果応報とか・・・

先祖がしでかしたことでも、自分の代で詫びていかなきゃならないのだろう。

そして、恩恵については、しっかり感謝する。

**************

そこを、非常に都合よくとっていると思うのが

「懺悔すれば許される」

「贖罪はキリストがぬぐっている」

と、いう改心のないままに入る場合がある。と、いう事。

*********

念仏唱えれば極楽浄土に行ける。

と、いうのも、そこだろう。

念仏を唱えなきゃならないような

地獄に落ちるかもしれない「悪い思い」を

自覚して、改心するのが、本当で

念仏唱えりゃ、というわけではなかろうと思う。

**********

キリスト教徒が行った

神の名において・・という

いろいろな虐殺

裏を返せば、選民意識がいきすぎた結果

人を人と思わない。

排他的な一神教がまきおこした悲惨を棚上げして

9:11テロという同じ形での

排他的な一神教がまきおこした悲惨に、報復する。

*********

キリストが悪いというのではない。

どの時代でも、どの国でも

多かれ少なかれ

神・あるいは錦の御旗をわがものにしてしまう人間?がいる。(いた)

**********

それも、いずれに、

「しでかしたことは、帰ってくる」

そんな時代に突入しているのは、間違いない。

と、今回のタリバンを見ていて思った。

もしかすると、これも、

ヨハネの黙示録に書かれている「あの部分」だろうかとも思う。

********

少なくとも、キリストにしでかしたことが

そして、自然に対してしでかしたことも

ほかにももろもろ・・・

「しでかしたことは、帰ってくる」

そして、それが、帰り終えるまで

混沌と混迷は続くのだろう。

だが、それが、帰ることが、必要な時期になってきているのだろう。

次元のはざまに、うずたかく積まれた

「しでかしたこと」は、もう、きれいに「無」になりたがっているのだと思う・・・

 


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