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和加布都努志命‐出雲大社 心御柱・・・1 続々☆歴史の中の「経緯」★9

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」

ワカタケル大王(雄略天皇)の時代にムリテが典曹という文書を司る役所に仕えていた。八月に大鉄釜で丹念に作られためでたい大刀である。この刀を持つ者は、長寿であって、子孫まで栄えて治めることがうまくいく。大刀を作ったのは伊太□(ワ)で、銘文を書いたのが張安である

かつては「治天下𤟱□□□歯大王」と読み、多遅比弥都歯大王(反正天皇)にあてる説が有力であったが、1978年に埼玉稲荷山古墳出土の鉄剣に金象嵌の銘文が発見されたことにより、「治天下獲□□□鹵大王」 と読み、獲加多支鹵大王(ワカタケル大王、雄略天皇か)とする説が有力となった。

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埼玉県の稲荷山古墳より出土した鉄剣の銘文にある「獲加多支鹵」(ワク(カク)カタキ(シ)ル(ロ))が『古事記』にある名称「大長谷若建」の中の「若建」(ワカタケルとしている)と『日本書紀』の名称「大泊瀬幼武」の中の「幼武」(これもワカタケルとしている)と類似しているとされていることから「考古学で存在が確認された最古の天皇」であるとされる。

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  • 甲骨文字
  •  
  • 金文
  •  
  • 篆文
(象形)巫女(みこ:神に仕えて神のお告げを伝える女)が両手をあげて舞い、神を楽しませ、神に祈って神託(神のお告げ)を受けようとして、うっとりとした状態にあることを示す形。
 
祈りにたいして神が乗り移って、神意(神のこころ)は巫女に伝えられ、その神のお告げを巫女が人々に伝えます。その神意にしたがうことから、「若」には「したがう」という意味があり、また神のお告げを受けるのが若い巫女ですので、「わかい」という意味に使われます。旧字は「」の形です。巫女のふりかざした両手が(くさかんむりのの意味ではありません)、両手をあげて身をくねらせて舞う姿です。のちに、神への祈り文を入れる器の(さい)(口)を加えました。
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もころ 【如・若】

名詞

〔連体修飾語を受けて〕…のごとく。…のように。▽よく似た状態であることを表す。

************御本殿 | 出雲大社 (izumooyashiro.or.jp)

その度々の御造営遷宮と御修造遷宮を繰り返し、今にその姿を受け継いできました。
現在の御本殿は延享元年(1744)に御造営されており、昭和27年に国宝に指定されました。

出雲大社-

御本殿の高さは8丈(24メートル)にも及び、“大社造”と呼ばれる日本最古の神社建築様式を 今に伝えています。
その特徴は切り妻、妻入りの構造で、平面は九本の柱が田の字型に配置された 正方形の間取りとなっています。
その中心には心御柱と称する太柱があり、その正面向かって右側の側柱との間は板壁となって殿内が仕切られ、
この壁の奥に大国主大神が御鎮座されている御内殿(御神座)があります。
従って、御神座は御本殿と同じ南向きではなく、西向きになります。
御内殿の前室には板壁に接して御客座があり、天之常立神・宇麻志阿斯訶備比古遅神・神産巣日神・高御産巣日神・天之御中主神の別天神5柱の神をお祀りしており、 又、中心の柱である心御柱の近くには大国主大神の御子神である和加布都努志命(牛飼神)がお祀りされています。

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和加布都努志命

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和加布都努志命

そのまま読めば わかふつぬしのみこと

ふつぬし 

経津主神(ふつぬしのかみ、正字:經津主神)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。別名はイワイヌシ(イハヒヌシ)で、斎主神または伊波比主神と表記される。『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では布都怒志命(ふつぬしのみこと、布都努志命とも)として登場する。『常陸国風土記』に出てくる普都大神(ふつのおおかみ)とも同視される。

香取神宮(千葉県香取市)の祭神であることから、香取神、香取大明神、香取さま等とも呼ばれる。経津主神は、香取神宮を総本社とする日本各地の香取神社で祀られている。

葦原中国平定

『日本書紀』巻第二の第九段本文によると、葦原中国へ派遣された天稚彦(アメノワカヒコ)の死後、高皇産霊尊(タカミムスビ)が諸神を集めて次に遣わすべき神を決めようとした時、選ばれたのは経津主神であった。すると、熯速日神(ヒハヤヒ、甕速日神の子)の息子武甕槌神(タケミカヅチ)が進み出て、「経津主神だけが大夫(ますらお、雄々しく立派な男の事)で、私は大夫ではないというのか」と抗議した。こうして経津主神に武甕槌神を副えて葦原中国を平定させることにした。

『出雲国造神賀詞』では、高御魂命(タカミムスビ)が皇御孫命に地上の支配権を与えた時、出雲臣の遠祖・天穂比命(アメノホヒ)が国土を観察し、再び天に戻って地上の様子を報告して、自分の子の天夷鳥命に布都怒志命(経津主神)を副えて派遣したとされている。

一方、『古事記』では経津主神が登場せず、思金神(オモイカネ)が天尾羽張神(アメノオハバリ)もしくはその子の建御雷神(タケミカヅチ)を送るべきだと天照大御神に進言する。天尾羽張神が建御雷神のほうが適任だと答えたため、建御雷神が天鳥船神(アメノトリフネ)を副えて葦原中国へ天降った。

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と、調べてきたことを羅列したため さっぱり 判らないので

まとめようww(ほぼ・・整理整頓苦手)

出雲大社の中で気にかかっていたのが

中心の柱である心御柱の近くには大国主大神の御子神である和加布都努志命(牛飼神)

他の大国主命の子供も 祀られていたこともあるということなのに

和加布都努志命 だけが、残っている。

かつ、心御柱・・・に・・・

そして、名前が妙。

和加布都努志命?????・

布都努志命という名前に 和加とついているように見える。

単純に 和加(若)とは、どういう意味合いだろうと調べてこようと思ったが・・・

他に思い浮かぶのが

若健・・と トンカラリン遺構の近くの寺で見つかった刀に刻まれた銘

「治天下獲□□□鹵大王」 と読み、獲加多支鹵大王(ワカタケル大王、雄略天皇か)とする説が有力

獲加多支鹵大王 どうも ワカタケルとは読めないのだが・・・

「獲加多支鹵」(ワク(カク)カタキ(シ)ル(ロ))

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  1. えものとする。
  2. える、手に入れる。

①くわえる。ふやす。多くなる。ほどこす。「加速」「加味」 対 減 ②くわわる。仲間に入る。

数がいくつもある。たくさん。おおい。

《名》

功のあることをほめる。
 
①わかれる。えだわかれする。また、わかれたもの。「支店」「支流」 [対]本
②ささえる。たすける。「支持」「支柱」
③わけあたえる。はらう。
 
 
意義 (地上に析出した)しお。 塩辛い、しょっぱい。 にがり。
 
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音をただ、当てはまる音の字に替えているだけではないことは
刺す竹の枕詞についての考察があるので
それを例として 省くが・・・
「獲加多支鹵」を わかたける(ワ()カ タ(ケ)ル())と読むとして
ー昔の発音で考えられないので・・ー
「獲加多支鹵」とは、どういう意味だろう。
 
上に羅列した1音1音の漢字の意味を並べると
「塩」を多くの豪族?(支)に分け与えたことで、信頼を得 (豪族を)仲間に入れた。
 
これが、若健ー若い実力者(知事・統率者) 若しくは統率者のような存在。
若健が「獲加多支鹵」と読まれ、それはなぜか という理由と
若健という地位?とが 合致する。あわせもつ・・・
 
あくまでも 「塩」が大事だったと仮定したうえでの話であるし
かなりこじつけ解釈であるが・・・
このまま進める。
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すると、
和加布都努志命
和をもって都を布く志を貫く
なんて、意味になるが・・・
和加を
仮に「獲加」と書いたらどうなるだろう。
そして、布都努志命を固有名詞としたら
 
布都努志命を手に入れ味方に引き入れた。
 
と、なる。
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単純に若布都努志命 というのなら
布都努志命によく似た存在
となるがwww
 
布都努志命に似た存在が
出雲大社の心御柱(言い換えれば大黒柱)を守っている
と、一種 おどし?戒め?をかけている??
 
それを大国主の御子だというわけだから
妙な話に思える。
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出雲風土記では和加布都努志命は大国主命の御子となっています。
出雲風土記には「フツヌシ」と「ワカフツヌシ」は別の神様として記載されています。
 
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和加布都努志命
和をもって都を布く志を貫く
 
この名前は 大物主の言葉を思い出させる。
 
獲加布都努志命
「都を布く志を貫く」ことに加わろう(協賛・協力・獲得)
と、とると
大物主の協力にも通じてくる。
 
*************
むしろ、これが先なら
布都努志命は後付け?
 
???????
もう一度読み直す。

経津主神(ふつぬしのかみ、正字:經津主神)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。別名はイワイヌシ(イハヒヌシ)で、斎主神または伊波比主神と表記される。

『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では布都怒志命(ふつぬしのみこと、布都努志命とも)として登場する。

『常陸国風土記』に出てくる普都大神(ふつのおおかみ)とも同視される。

香取神宮(千葉県香取市)の祭神であることから、香取神、香取大明神、香取さま等とも呼ばれる。

経津主神は、香取神宮を総本社とする日本各地の香取神社で祀られている。

**************

国譲りの段では

『古事記』では経津主神が登場せず・・・・

『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では布都怒志命(ふつぬしのみこと、布都努志命とも)として登場する。

穿って考えたくなる。

ふつぬしのみこと

と、聞くと

やはり

ふつのみたま 布都御魂 がうかぶ。

この時の「ふつ」は、ものを切る音・・ということらしい。

だとすると・・・

布都努志命  は、都を布こう(国造り)と志をもって務めたるもの(大国主側)の努志を「ふつ」

ばっさり切ってしまった・・・という暗喩があるのではなかろうか????

そう考えると 布都  であって、 布国では、ないところが 

日本書紀側の苦心惨憺に見えてくる。

その日本書紀に対しての「音」「韻」(ふつ)(切る)をふまえて

出雲風土記などが、あえて布都努志命 と書いたのかどうかは判らないが・・・

経津主神では どうも へつぬしのかみ と読めてしまう。

へっつい なら「壁」「境界」の意味合いで

国譲りの線引きの役にあてはまるのであるが・・・

が、古事記には登場しない・・・

日本書紀側が なにか「捏造」「隠した」したのか?

と、しても

なにをどう捏造したのか 隠したのかも

判るわけもない。

そこで、どうも 勝ち組に都合の良い書き方の日本書紀を手繰るのはやめて

改めて

和加布都努志命を調べてみたくある。

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