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吉備津神社・・・4     続々☆歴史の中の「経緯」★19 (メモ状態)

2024年04月04日 | 続々☆歴史の中の「経緯」

親が間違うほど似ている天若日子と阿遅鉏高日子根神

ありえないと思うのです。

天若日子(日子) という名前も 皇太子・若いお世継ぎというような意味合いで

本名ではないように思います。また 太陽神(日)の神の子、という場合もある。

そして、阿遅鉏高日子根神

大国主の子供でありながら 日子とつく。

おまけに、

迦毛大御神(阿遅鉏高日子根神)

大御神とつくのは、

以下の3神。

天照大御神

伊弉諾大御神

迦毛大御神(阿遅鉏高日子根神)

これも、大国主の子としては異例というか・・・

その名前で呼ばせるのを高天原族がなぜ許したのか?

(国津神の分際で・・・と)

おまけにそっくり?

『出雲国造神賀詞』から

御自分の和魂を八咫鏡に御霊代とより憑かせて倭の大物主櫛厳玉命と御名を唱えて大御和の神奈備に鎮め坐させ、

御自分の御子、阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の神奈備に鎮座せしめ、

事代主命の御魂を宇奈提に坐させ、

賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に鎮座せしめて

皇御孫命の御近の守護神とされて御自分は八百丹杵築宮(ヤホニキヅキ(キツキ)ノミヤ)に御鎮座せられました。

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**吉備津神社**

当社がいつごろ誰によって造営されたのかについては、文献もなく確かなことは分かりませんが、ただ言い伝えによると、一説に吉備津彦命から五代目の孫にあたる加夜臣奈留美命(カヤオミナルミノミコト)という人が祖神として吉備津彦命をお祀りしたのが起源であると云われております。

また一説に若建日子吉備津彦命から三代目の孫と云われる稲速別命(イナハヤワケノミコト)・御友別命(ミトモワケノミコト)・鴨別命(カモワケノミコト)が始めて社殿を造りお祀りしたとも云われます。

さらに一説に仁徳天皇が吉備海部直の娘である黒媛を慕ってこの地に行幸したときに、吉備津彦の功績を聞き称えるために社殿を創建してお祀りしたのが起源とも伝わっております。

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賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は、神道の神である。

概要
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神であり、各地の加茂神社(賀茂神社・鴨神社)で祀られる。

古事記と日本書紀には登場しない。室町時代の『賀茂之本地』では記紀に出てくる阿遅鉏高日子根神と同一視されている

『山城国風土記』逸文には、賀茂別雷命について次のような記述がある。賀茂建角身命(賀茂御祖神社の祭神)の娘の玉依姫(同じく賀茂御祖神社の祭神)が石川の瀬見の小川(賀茂川)で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。

それを持ち帰って寝床の近くに置いたところ玉依姫は懐妊し、男の子が生まれた。これが賀茂別雷命である。賀茂別雷命が成人し、その祝宴の席で祖父の賀茂建角身命が「汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよ(お前のお父さんにもこの酒をあげなさい)」と言ったところ、賀茂別雷命は屋根を突き抜け天に昇っていったので、この子の父が神であることがわかったという。丹塗矢の正体は乙訓神社の火雷神であったという。

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