オオゲツ王朝 大月姫? 「月」=(勾玉 上に書いた)
出雲王朝 スサノオ 「剣」
ウガヤフキアエズ王朝 天照 「鏡」
3王朝に認められないと
3神器はそろわない。
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3王朝が揃う。
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三位一体といっていいか。
ユダヤ系渡来人は倭王朝で
それが揃うと考えた。
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興味深い記事がある。
「三種の神器」とは?・・・天叢雲剣と草薙剣は全くの別物だった。 - ウガヤフキアエズ王朝実在論 (jimdofree.com)
<ニニギの天孫降臨のとき>
なんと最初は「二種の神器」だったのです。
このことは、Wikipedia にも書かれています。
ウエツフミによると、
◆ニニギの命が天孫降臨するとき、天照大神が鏡と剣を手渡し、「この鏡を私の御魂代として、私の前に畏まるように、一定の建物の一定の床に鎮座させて、この鏡を祀りなさい。」とお告げになりました。M8-22
◆続いて「大御神の御像代の八咫鏡 また 天之叢雲の太刀 二種の神宝以て 永久に 天津日継の御璽となし」つまり、「八咫鏡と天叢雲剣の二種の神器をもって、永久に天孫であることのしるしとせよ」と言っています。
だからこの神器は、最初は大分の「御宝山」に置かれていたのです。
詳しくは、こちら。
◆また「身に付けていた八尺の勾玉と、国平け日矛(くにむけひぼこ)を副えた」とありますので、「八尺瓊勾玉」は最初は神器ではなかったのです。 (ここでも剣と矛は使い分けられていることに注目)
また、ウエツフミには「八咫鏡」が作られた経緯も書かれています。
◆天の岩戸にお隠れになった天照大神を、外に誘い出すため、オモイカネの命が一計を案じて、天照大神のお姿=太陽の形に似せた鏡を作らせます。
◆最初にできた2個の鏡は、とても小さかったので、神々が「似ていない」と判断し、改めてサイズの大きい2個の「八咫鏡」が作られました。
◆つまり本物はかなり大きいサイズであり(咫は長さの単位で8咫=150cm=ほぼ等身大という説もある)、しかも真金(純金)で作られているはずです。M3-17
◆そのうちのひとつがニニギに手渡され、残るひとつはまだ天上界にあるのです。
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そりゃあ、そうでしょう。
オオゲツ王朝 大月姫? 「月」=勾玉 陰陽の黒の方
出雲王朝 スサノオ 「剣」
が、あって、(しか、なくて・・)
ウガヤフキアエズ王朝 天照 「鏡」で、鏡が作られる?
と、思っていたら
作られたいきさつも出ている。
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で、
三位一体といっていいか。
ユダヤ系渡来人は倭王朝で
それが揃うと考えた。
なので、取りに来たwww
アークを取ってきたごとく・・の感覚でしょう。
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ところが、
これは、あくまでも、継承道具なわけですから、
実体?が必要なわけです。
とって、逃げていくのでなく、
継承されるべく「天皇」が必要になりますし
ユダヤ系渡来人の願望・・・
安住の地(約束の地?)にたどり着く。
エルサレムを作る。
3種の神器もそろった。
天皇家も掌握した。
残るのは、
メシュア(イエス・キリスト)
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ヨシュアを探そうともいない。
(と、思う)
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キリスト教で、父(神)と子(キリスト)と聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものであるという考え方。
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ユダヤ系渡来人は探しているうちに、
すでに、ゴルゴダの丘で処刑されていたと知ったのか?
伊雑の宮に・・血の付いた聖布をいれておく。
残るは、復活した(筈の)キリストを探す。
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父ースサノオ
聖霊ー大物主(大地の聖霊?)
キリストー は、誰か?
=饒速日という図式になる。
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ところが、それをさっさと判っていたのが、
物部氏だったかもしれない。
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そして、八咫烏・・・
八咫烏とは、当社の主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えです。日本を統一した神武天皇を、大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。
八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味です。八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。
この三本の足はそれぞれ天・地・人をあらわす、といわれています。
天とは天神地祇、すなわち神様のことです。地とは大地のことで我々の住む自然環境を指します。
つまり太陽の下に神様と自然と人が血を分けた兄弟であるということを、二千年前に示されていたのです。
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2000年前・・
神武は皇期で数えると2681年前。(2021年から数えて)
2600年以上前に・・・と、書くべきではなかろうか?
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そして、個人的に書いたけど
「御先がでているな」の話・・・
20年前くらいに八咫烏が表に出始めてきたと思う。
で、八咫烏が、「裏天皇」と名乗っている?らしい。
饒速日を探し当てた。と、いうことか。
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こう考えると、
饒速日の存在を悟らせずに
書記・古事記を書くのは骨が折れたことだろう。
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実際は、応神天皇を
饒速日に比定して、いろいろ、巧策したということになるか・・・
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やはり、八幡神社はスサノオをまつっていたと覚えてるし
(記憶がおかしいか?)
宇佐八幡宮は、封印の仕方から、素戔嗚か、饒速日を封印しているし
調(月)神社も、封印。こっちが、饒速日かもしれない。
出雲大社も・・・封印。立ててあったものにそれぞれを押し込んだか
初めから、居たのかしらないが・・・
伊雑宮も最初は豊受?(饒速日関連ー聖マリア?)とも、
素戔嗚とも・・・
これも、祀り替え。
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だが、三位一体。
キリスト教で、父(神)と子(キリスト)と聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものであるという考え方。
この取り方が違うのかもしれない。
一体になったもの・・を得ようとしたというか。
これが、ウガヤフキアエズ王朝を滅ぼす元になったとも思える。
だが・・・
これら、すべて(王朝と名の付くものといっていいか)
根本から間違っている。
だから、弥生人になってしまう(?)のだろう。
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父(神)と子(キリスト)と聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものである。
これは、縄文人の考え方といってよい。
そして、キリストが日本に来たとか
ショーペンハウエルがキリストは仏教の思想を踏修とか言われる原因だろうと思う。
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父(神)と子(キリスト)と聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものである。
「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである」
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ここを縄文式?に解釈する。
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父(神)と子(キリスト)と聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものである。
天とイエスと「ひ」(内在神・魂)は、一つの天が三つの姿になっている。
イエス=はい=拝(おろがむ)=己が無(おろがむ)=「私」がない。
キリストが日本にきたとするなら、
拝(イエス)を、拝むととったかもしれないwww
拝むは、むしろ、神頼み
おろがむ(拝)は、一切の私欲・私心をなくすことであり
拝受(天を受ける)は、拝(おろがむ)で、なければできない。
なので、原始人・縄文人は
内在神どおりの自分であったわけで
天・拝(己が無)・「ひ」内在神が一体となった姿が
本当の三位一体であり、
事実上、三位一体を示顕しているのが、
天皇(天能)だと思う。
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