コンセプト・アルバムその2を書く前に
すこし思ったことがある。
前述、葛城ユキのアルバム、「寡黙」のモノクロ写真に惹かれた
そも、はじめは
エリック・クラプトンのアルバム
「スローハンド」による。
このタイトル・いくつかの説がある。
エリック自体、スローハンドであり
自虐めいたタイトルを選んだという説
細かなストロークで、手が止まっているように見えるという説
いずれにしろ、スローハンドという意味合いは
緻密な丁寧さを表すのだろう。
この逆説めいたタイトルは
葛城ユキのアルバムのタイトル作りにもある。
寡黙と付けられたタイトルとは裏腹で表情豊かな表現があり
饒舌とつけるべきの、冗句とも思える。
そして、葛城ユキのアルバム
アルバム・ジャケットはそれだけでも
唸りをあげているかのようでもある。
そんなわけもあって、
おそらく、スローハンドのジャケットのインパクトと
中身との合致があってこそ
あるいは、二番煎じの寡黙にひきつけられたのであると思う。
が、スローハンドはまた、一つ、別の世界を発掘させてくれている。
インストゥルメンタルである。
確認のため、アマゾンで曲名をみたが
入っていないwww
他のLPと間違えてるかもしれないし
当時(LP)は入っていたのかもしれない。
「愛しのレイラ」である。
この曲のおかげで、
またも、インストゥルメンタルという世界観が広がった。
エリックのギターのためのアンソロジーとして
スローハンドにふさわしいと思った覚えがあるので
記憶間違いではないと思うのだが・・・・
『いとしのレイラ』(原題:Layla)は、アメリカのロックバンド、デレク・アンド・ザ・ドミノスのアルバム『いとしのレイラ(原題:Layla and Other Assorted Love Songs)』のタイトル曲。作詞・作曲は、エリック・クラプトンとジム・ゴードン。流麗なギターによる前半部分と、後半のピアノコーダ部分から成り、ロックの代表的なラブソングの1つと見なされる[1]。対照的な曲の前半と後半はそれぞれクラプトンとゴードンによって作曲された。
プロデューサーにはトム・ダウド、スライドギターでデュアン・オールマンも参加し、個性を発揮。クラプトンとバトルのような演奏を繰り広げていたと言う。この頃から、クラプトンのギタースタイル、音楽の方向性や私生活などでも変化が起きており、この曲は一種のターニングポイントになっている。
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