原文: 山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜■(りっしんべん+可)國曽 蜻嶋 八間跡能國者
山常庭 やまとには
村山有等 むらやまあり等(あれど)
取與呂布 とりよろう
天乃香具山 あまのかぐやま
騰立 のぼりたち
國見乎為ー者 くにみをなすー者
國原波 くにばらは
煙立龍 けむりたちたつ
海原波 うなばらは
加萬目立多都 かもめたちたつ
「可怜国(うまし国)」國曽 ????さときくにぞ (聖なる国?)
蜻嶋 あきつしま
八間跡能國者 やまとのくには
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大和(やまと)には、群山(むらやま)あれど、とりよろふ、天(あめ)の香具山(かぐやま)、登り立ち、国見(くにみ)をすれば、国原(くにはら)は、煙(けぶり)立ち立つ、海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国は
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大和(やまと)にはたくさんの山があるが、特に良い天(あめ)の香具山(かぐやま)に登って、国を見渡せば、国の原には煙(けぶり)があちこちで立ち上っているし、海には、鴎(かまめ)が飛び交っている。本当に良い国だ、蜻蛉島(あきづしま)の大和の国は。
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いくつか、解字すると、妙な気がしてくる
取與呂布 天乃香具山
「可怜国(うまし国)」
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まず、「可怜国(うまし国)」
怜■(りっしんべん+可)國曽の「怜■(りっしんべん+可)」
怜の字の意味は さとい さとし とき
(りっしんべん+可)は、見当たらないので 心が「可」=(良い)=感動する
意訳すると
聖なる場所に畏敬の念を感じる。
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ところが、中国語にすると
「かわいい」は「気の毒」,「かわいそう」は「気の毒なさま」
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わざわざ、音があっているからと、悪く取れる文字にするだろうか?
うましーと、読ませたいのなら 宇真志ー(神の真の志)とか・・
他の麗句があろう。
おまけをいえば、村山有等 むらやまあり等(あれど)
あれど~~~~****ないという慣用表現が成り立たない。
村山あれどーうまし国だ。
では、????になる。
村山あれどー気の毒なさまだ。
と、なると、納得するところがある。
慣用表現として。
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为什么かわいい=可爱,かわいそう=可怜?_意味 (sohu.com)
かわいい=可爱,かわいそう=可怜?
「おいしい」と「おいしそう」は意味が似ているのに,「かわいい」と「かわいそう」は意味が似ていないのはなぜでしょうか
現在では,「かわいい」は「愛らしい」という意味,「かわいそう」は「気の毒」という意味で使われている。
しかし,元々の意味は,「かわいい」は「気の毒」,「かわいそう」は「気の毒なさま」,という意味だった。「顔映(は)ゆし」=「恥ずかしい」が語源。
鎌倉時代になり,「かわいい」=「気の毒」 ← 「恥ずかしくてまともに見られない」。「かわいそう」=「気の毒なさま」と使われるようになった。
室町時代になると,「かわいい」=「あいらしい」 ← 「気の毒で放っておけない」「かわいそう」=「愛らしいさま」という,使われ方になり。
江戸時代になると,「かわいい」=「あいらしい」,「かわいそう」=「気の毒なさま」と意味が変化していった。
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つぎに
天乃香具山 あまのかぐやま
騰立 のぼりたち
と、奈良の香久山とおもわせるのだが
海は見えない。
それに、標高152m・・・
どう頑張っても海は見えない。
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こういう解釈もある↓
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と、すると、天乃香具山とはなにであるか?
奈良の香久山と思わされているだけではなかろうか?
まず、思い浮かぶのは 弥彦神社
伊夜日子大神 御名 (あめのかごやまのみこと)天香山命
御祭神 天香山命は高倉下命(たかくらじのみこと)とも申し上げ、皇祖天照大御神の御曾孫(ひまご)にあたられます。父神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、母神は天道日媛命(あめのみちひめのみこと)
では、天乃香具山の枕詞のような
取與呂布 天乃香具山の取與呂布
第3代目の大物主(オオモノヌシ) 、
コモリさんを祭る神社のようです。
コモリさんはその名のとおり、子沢山。
幼名のヨロギマロ=與呂伎の由来になっているようです。
與呂伎 おろち?を隠した?
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取與呂布 天乃香具山
與呂(始祖)の布を取った天乃香具山
與呂(始祖)の布で思い浮かぶのは
饒速日の十種神宝の中のいくつかの比礼(長い布?)
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大和(やまと)には、群山(むらやま)あれど、とりよろふ、天(あめ)の香具山(かぐやま)、登り立ち、国見(くにみ)をすれば、国原(くにはら)は、煙(けぶり)立ち立つ、海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国は
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加萬目立多都
これは、都に多くカモ氏が目立つ。
加萬目 多くの目が加わる。ー見張られる?。
カモ氏をかもめに隠すために海原としたのでは?
國原波 煙立龍
中国系(龍)渡来人がいっぱい暮らしている。
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蜻蛉島の大和は気の毒な国だ。
と、考えると
あきつしまに意味がある。
阿吉島と置き換えると
我良しの島(領域?)
(国のため・国民のためなどを考えず、自分さえ良ければ良いという人ばかりが(しま)のさばっている)
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昔、あめのかごやまのみことが大和の山にのぼりて 大和の情勢を見れば
(ここも、とりよろふ、天(あめ)の香具山(かぐやま)、登り立ちで、亡くなったともとれるし、饒速日であれば
天磐船からながめた?)
心良くない人々が暮らしている。
気の毒なことである。
蜻蛉島の大和=日本全土と、とれる。
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そして、とんぼのとなめに似た島という件が添えられていたと思うが
内木綿(うつゆふ)の真迮(まさ)き国と雖(いへど)も、なほ、蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」
素直に読むと
宇宙(創造神)が真心を込めて作られた国だというのに
蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな。
どうも、狭いとか、形を言っているのではないと思える。
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蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如く
呫ーなめる、 ささやく、 しゃべる・はなす
臀に呫(話)しても
お互い通じるわけがない。
同じ人間でありながら
判りあうことが出来ない状態にあるのか。
と、いう風にも取れる。
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それを見て、恥ずかしいと思ったのなら
創造神の思いということになるし、
神の国でも、判りあうことが出来ない状態にあるのか
「なお」という言葉が入る。
神(上)がそうだから、人間?下々?もそうなるのかと思えば
まず、自身が恥ずかしい。
と、解釈する。
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こんなことをいう神武は
おそらくウガヤフキアエズ王朝の神武のほうか?
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