歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪世界史と植物~稲垣栄洋氏の著作より≫

2024-05-26 18:00:53 | 私のブック・レポート
≪世界史と植物~稲垣栄洋氏の著作より≫
(2024年5月26日投稿)

【はじめに】


 日本の5月といえば、やはり田植えの時期である。
 田植えが始まると、本格的に稲作に取りくまねばという気持ちになる。それと同時に、今年の天候はどうなるのかなど、いろいろなことが気になり始める。
 そして、稲作に関連した著作でも読んでみたくもなる。

 さて、今回のブログでは、イネと世界史について書かれた、次の著作を紹介してみたい。
〇稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]
 目次をみてもわかるように、イネについてのみ書かれているわけではない。
 取り上げられている植物としては、コムギ、イネ、コショウ、トウガラシ、ジャガイモ、トマト、ワタ、チャ、コーヒー、サトウキビ、ダイズ、タマネギ、チューリップ、トウモロコシ、サクラといった15種類の植物である。
 そのうち、私の関心のあるイネについて、世界史との関係で紹介してみたい。
 これら15種類のうち、イネとの関連で取り上げられたダイズ、サクラについても触れておきたい。
 また、著者の稲垣栄洋先生は、静岡大学農学部教授で、農学博士、植物学者であるようだ。日ごろ、理系の本を読む機会はほとんどないが、植物に関して、わかりやすく面白くかかれているので読みやすい本である。

 植物に関しては、多田多恵子先生がNHKの番組「道草さんぽ」で様々な植物を紹介されていた。その中で、植物はガラスの成分であるケイ素を取り込んで“自己防衛”しているという話をされていたことに、大変興味をもったことがある。
 稲垣栄洋先生も、本書の中で、この点に言及している。
 つまり、「イネ科植物の登場」(第1章)において、「イネ科の植物は、ガラスの原料にもなるようなケイ素という固い物質を蓄えて身を守っている」(23頁)というのである。
 その他、イネ科植物の特徴として、地面の際から葉がたくさん出たような株を作る「分蘖」についての話も、イネを育てていると実感できるので、改めて植物の不思議さに感動した。
 興味のある方は、一読されることをお薦めする。

【稲垣栄洋(いながきひでひろ)氏のプロフィール】
・1968年静岡県生まれ。
・静岡大学農学部教授。農学博士、植物学者。
・農林水産省、静岡県農林技術研究所等を経て、現職。
・主な著書に、
 『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)
 『弱者の戦略』(新潮選書)
 『植物はなぜ動かないのか』
 『はずれ者が進化をつくる』(以上、ちくまプリマー新書)
 『生き物の死にざま』(草思社)
 『生き物が大人になるまで』(大和書房)
 『38億年の生命史に学ぶ生存戦略』(PHPエディターズ・グループ)
 『面白くて眠れなくなる植物学』(PHP文庫)など多数。



【稲垣栄洋『世界史を変えた植物』(PHP文庫)はこちらから】
稲垣栄洋『世界史を変えた植物』(PHP文庫)はこちらから




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・はじめに
・中国四千年の文明を支えた植物~第11章より
・「畑の肉」と呼ばれる理由~第11章より
・コメとダイズは名コンビ~第11章より
・イネ科植物の登場(以下、第1章より)
・イネ科植物のさらなる工夫
・動物の生き残り戦略
・そして人類が生まれた
・稲作以前の食べ物(以下、第2章より)
・イネを選んだ日本人
・コメは栄養価に優れている
・稲作に適した日本列島
・田んぼの歴史
・日本人が愛する花(第15章より)









〇稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]


【目次】
はじめに
第1章 コムギ―一粒の種から文明が生まれた
 木と草はどちらが進化形?
 双子葉植物と単子葉植物の違い
 イネ科植物の登場
 イネ科植物のさらなる工夫
 動物の生き残り戦略
 そして人類が生まれた
 農業は重労働
 それは牧畜から始まった
 穀物が炭水化物を持つ理由
 そして富が生まれた
 後戻りできない道

第2章 イネ―稲作文化が「日本」を作った
 稲作以前の食べ物
 呉越の戦いが日本の稲作文化を作った!?
 イネを受け入れなかった東日本
 農業の拡大
 イネを選んだ日本人
 コメは栄養価に優れている
 稲作に適した日本列島
 田んぼを作る
 田んぼの歴史
 どうしてコメが大切なのか
 江戸時代の新田開発
 コメが貨幣になった理由
 なぜ日本は人口密度が高いのか

第3章 コショウ―ヨーロッパが羨望した黒い黄金
 金と同じ価値を持つ植物
 コショウを求めて
 世界を二分した二つの国
 大国の凋落
 オランダの貿易支配
 熱帯に香辛料が多い理由
 日本の南蛮貿易
 
第4章 トウガラシ―コロンブスの苦悩とアジアの熱狂
 コロンブスの苦悩
 アメリカ大陸に到達
 アジアに広まったトウガラシ
 植物の魅惑の成分
 トウガラシの魔力
 コショウに置き換わったトウガラシ
 不思議な赤い実
 日本にやってきたトウガラシ 
 キムチとトウガラシ
 アジアからヨーロッパへ

第5章 ジャガイモ―大国アメリカを作った「悪魔の植物」
 マリー・アントワネットが愛した花
 見たこともない作物
 「悪魔の植物」
 ジャガイモを広めろ
 ドイツを支えたジャガイモ
 ジャーマンポテトの登場
 ルイ十六世の策略
 バラと散った王妃
 肉食の始まり
 大航海時代の必需品
 日本にジャガイモがやってきた
 各地に残る在来のジャガイモ
 アイルランドの悲劇
 故郷を捨てた人々とアメリカ
 カレーライスの誕生
 日本海軍の悩み
 
第6章 トマト―世界の食を変えた赤すぎる果実
 ジャガイモとトマトの運命
 有毒植物として扱われたトマト
 赤すぎたトマト
 ナポリタンの誕生
 里帰りしたトマト
 世界で生産されるトマト
 トマトは野菜か、果実か

第7章 ワタ―「ヒツジが生えた植物」と産業革命
 人類最初の衣服
 草原地帯と動物の毛皮
 「ヒツジが生えた植物」
 産業革命をもたらしたワタ
 奴隷制度の始まり
 奴隷解放宣言の真実
 そして湖が消えた
 ワタがもたらした日本の自動車産業
 地場産業を育てたワタ

第8章 チャ―アヘン戦争とカフェインの魔力
 不老不死の薬
 独特の進化を遂げた抹茶
 ご婦人たちのセレモニー
 産業革命を支えたチャ
 独立戦争はチャが引き金となった
 そして、アヘン戦争が起こった
 日本にも変化がもたらされる
 インドの紅茶の誕生
 カフェインの魔力

第9章 コーヒー―近代資本主義を作り上げた植物
 カフェを支配した植物
 人間を魅了するカフェイン
 イスラム教徒が広めたコーヒー
 コーヒーハウスの誕生
 人々を魅了する悪魔の飲み物
 産業革命の原動力
 そして、フランス革命が起こった
 アメリカの栄光はコーヒーにあり
 奴隷たちのコーヒー畑
 日本にコーヒーがやってきた

第10章 サトウキビ―人類を惑わした甘美なる味
 人間は甘いものが好き
 砂糖を生産する植物
 奴隷を必要とした農業
 砂糖のない幸せ
 サトウキビに侵略された島
 アメリカ大陸と暗黒の歴史
 それは一杯の紅茶から始まった
 そして多民族共生のハワイが生まれた
 
第11章 ダイズ―戦国時代の軍事食から新大陸へ
 ダイズは「醤油の豆」
 中国四千年の文明を支えた植物
 雑草から作られた作物
 「畑の肉」と呼ばれる理由
 コメとダイズは名コンビ
 戦争が作り上げた食品
 家康が愛した赤味噌
 武田信玄が育てた信州味噌
 伊達政宗と仙台味噌
 ペリーが持ち帰ったダイズ
 「裏庭の作物」

第12章 タマネギ―巨大ピラミッド建設を支えた薬効
 古代エジプトのタマネギ
 エジプトに運ばれる
 球根の正体
 日本にやってきたタマネギ

第13章 チューリップ―世界初のバブル経済と球根
 勘違いで名付けられた
 春を彩る花
 バブルの始まり
 そして、それは壊れた
 
第14章 トウモロコシ―世界を席巻する驚異の農作物
 「宇宙からやってきた植物」
 マヤの伝説の作物
 ヨーロッパでは広まらず
 「もろこし」と「とうきび」
 信長が愛した花
 最も多く作られている農作物
 広がり続ける用途
 トウモロコシが作る世界
 
第15章 サクラ―ヤマザクラと日本人の精神
 日本人が愛する花
 ウメが愛された時代
 武士の美学
 豊臣秀吉の花見
 サクラが作った江戸の町
 八代将軍、吉宗のサクラ
 ソメイヨシノの誕生
 散り際の美しいソメイヨシノ
 桜吹雪の真実
 
 おわりに
 文庫版あとがき
 参考文献







中国四千年の文明を支えた植物~第11章より


・世界の古代文明の発祥は、主要な作物と関係している。
・メソポタミア文明やエジプト文明には、オオムギやコムギなどの麦類がある。
 また、インダス文明には麦類とイネがある。
 長江文明にはイネがあり、そして黄河文明にはダイズがある。
・アメリカ大陸に目を向けると、アステカ文明やマヤ文明のあった中米はトウモロコシの起源地があり、インカ文明のあった南米アンデスはジャガイモの起源地である。

※しかし、今日ではこれらの文明は多くが滅び、現在でも同じ位置に残るのは中国文明のみである。

・中国では、北部の黄河流域にはダイズやアワを中心とした畑作が発達し、南部の長江流域にはイネを中心水田作が発達した。
・農耕を行い、農作物を収穫すると、作物が吸収した土の中の養分は外へ持ち出されることになる。
 そのため、作物を栽培し続けると土地はやせていってしまう。
 また、特定の作物を連続して栽培すると、ミネラルのバランスが崩れて、植物が出す有害物質によって、植物が育ちにくい土壌環境になる。
 こうして早くから農耕が始まった地域では土地が砂漠化して、文明もまた滅びゆく運命にある。

・しかし、中国の農耕を支えたイネやダイズは、自然破壊の少ない作物である。
・イネは水田で栽培すれば、山の上流から流れてきた水によって、栄養分が補給される。
 また、余分なミネラルや有害な物質は、水によって洗い流される。
 そのため、連作障害を起こすことなく、同じ田んぼで毎年、稲作を行うことができるのである。

・また、ダイズはマメ科の植物であるが、マメ科の植物はバクテリアとの共生によって、空気中の窒素を取り込むことができる特殊な能力を有している。
 そのため、窒素分のないやせた土地でも栽培することができ、他の作物を栽培した後の畑で栽培すれば、地力を回復させ、やせた土地を豊かにすることも可能なのである。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、211頁~212頁)

「畑の肉」と呼ばれる理由~第11章より


・日本人の主食であるご飯には、味噌汁がよく合う。
 ご飯と味噌汁の組み合わせは、和食の基本である。
 これには理由がある。
 味噌の原料はダイズである。じつはコメとダイズとは、栄養学的に相性が良いのである。
・日本人の主食であるコメは、炭水化物を豊富に含み、栄養バランスに優れた食品である。
 一方、ダイズは「畑の肉」と言われるほどタンパク質や脂質を豊富に含んでいる。
 そのため、コメとダイズを組み合わせると三大栄養素である炭水化物とタンパク質と脂質がバランス良く揃うのである。

・ダイズが畑の肉と言われるほど、タンパク質を多く含むのに理由がある。
 ダイズなどのマメ科の植物は、窒素固定という特殊な能力によって、空気中の窒素を取り込むことができる。
 そのため、窒素分の少ない土地でも育つことができる。
・しかし、種子から芽を出すときには、まだ窒素固定をすることができない。
 そのため、窒素を固定するまでの間、種子の中にあらかじめ窒素分であるタンパク質を蓄えているのである。

・一方、イネの種子であるコメは、炭水化物を豊富に含んでいる。
 種子の栄養分であるタンパク質や脂質は、炭水化物に比べると莫大なエネルギーを生みだすという特徴がある。
 ところが、タンパク質は植物の体を作る基本的な物質だから、種子だけではなく、親の植物にとっても重要である。
 また、脂質はエネルギー量が大きい分、脂質を作りだすときにはそれだけ大きなエネルギーを必要とする。
 つまり、タンパク質や脂質を種子に持たせるためには、親の植物に余裕がないとダメである。

・イネ科の植物は草原地帯で発達したと考えられている。
 厳しい草原の環境に生えるイネ科の植物にそんな余裕はない。
 そのため、光合成をすればすぐに得ることができる炭水化物をそのまま種子に蓄え、炭水化物をそのままエネルギー源として芽生え、成長するというシンプルなライフスタイルを作り上げた。
 そして、この炭水化物が、人類の食糧として利用されている。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、214頁~216頁)

コメとダイズは名コンビ~第11章より


・炭水化物を多く含むイネと、タンパク質を多く含むダイズとの組み合わせは、栄養バランスが良い。
 それだけではない。
 さまざまな栄養素を持ち、完全栄養食と言われるコメであるが、唯一、アミノ酸のリジンが少ない。
 このリジンを豊富に含んでいるのがダイズなのである。
・一方、ダイズにはアミノ酸のメチオニンが少ないが、コメにはメチオニンが豊富に含まれている。
 そのため、コメとダイズを組み合わせることによって、すべての栄養分が揃うことになる。
 そういえば、昔から食べられてきたものには、コメとダイズの組み合わせが多い。
・味噌はダイズから作られる。
 和食の基本であるご飯と味噌汁は、コメとダイズの組み合わせである。
 納豆もダイズから作られる。ご飯と納豆も相性はバッチリ。
・また、ダイズから作られるものには、きなこや醤油、豆腐などがある。
 きなこと言えば、きなこ餅だろうし、醤油は、コメから作られる煎餅によく合う。
 また、コメから作られる日本酒には、冷奴や湯豆腐がよく合う。
 さらには酢飯と油揚げの稲荷寿司も、コメとダイズが材料となる。
 日本人が昔から親しんできた料理には、コメとダイズの組み合わせが多い。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、216頁~217頁)

第1章 コムギ―一粒の種から文明が生まれた


イネ科植物の登場


・この単子葉植物の中で、もっとも進化したグループの一つと言われているのが、イネ科植物である。

・イネ科植物は、乾燥した草原で発達を遂げた植物である。
 木々が生い茂る深い森であれば、大量の植物が食べ尽くされるということはない。
 しかし、植物が少ない草原では、動物たちは生き残りをかけて、限られた植物を奪い合って食べ荒らす。
 荒地に生きる動物も大変だが、そんな脅威にさらされている中で身を守ろうとするのは、本当に大変なことだ。

・草原の動物たちは、どのようにして身を守れば良いのだろうか。
 毒で守るというのも一つの方法である。
 しかし、毒を作るためには、毒成分の材料とするための栄養分を必要とする。
 やせた草原で毒成分を生産するのは簡単なことではない。
 また、せっかく毒で身を守っても、動物はそれへの対抗手段を発達させることだろう。

・そこで、イネ科の植物は、ガラスの原料にもなるようなケイ素という固い物質を蓄えて身を守っている。
 ケイ素は土の中にはたくさんあるが、他の植物は栄養分としては利用しない物質だから、
非常に合理的なのだ。

・さらに、イネ科植物は葉の繊維質が多く消化しにくくなっている。
 こうして、動物に葉を食べられにくくしているのである。

・イネ科の植物がケイ素を体内に蓄えるようになったのは、600万年ほど前のことであると考えられている。
 これは、動物にとっては劇的な大事件であった。
 このイネ科の進化によって、エサを食べることのできなくなった草食動物の多くが絶滅したと考えられているほどである。

・それだけではない。イネ科植物は、他の植物とは大きく異なる特徴がある。
 普通の植物は、茎の先端に成長点があり、新しい細胞を積み上げながら、上へ上へと伸びていく。
 ところが、これでは茎の先端を食べられると、大切な成長点も食べられてしまうことになる。

・そこで、イネ科の植物は成長点を低くしている。
 イネ科植物の成長点があるのは、地面スレスレである。
 イネ科植物は、茎を伸ばさずに株もとに成長点を保ちながら、そこから葉を上へ上へと押し上げるのである。
 これならば、いくら食べられても、葉っぱの先端を食べられるだけで、成長点が傷つくことはないのである。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、22頁~24頁)

イネ科植物のさらなる工夫


・ただし、この成長方法には重大な問題がある。
 上へ上へと積み上げていく方法であれば、細胞分裂をしながら自由に枝を増やして葉を茂らせることができる。
 しかし、作り上げた葉を下から上へと押し上げていく方法では、後から葉の数を増やすことができないのである。

・そこで、イネ科植物は成長点の数を次々に増やしていく方法を選択した。
 これが分蘖(ぶんげつ)である。
 イネ科植物は、ほとんど背は高くならないが、少しずつ茎を伸ばしながら、地面の際(きわ)に枝を増やしていく。
 そして、その枝がまた新しい枝を伸ばすというように、地面の際にある成長点を次々に増殖させながら、押し上げる葉の数を増やしていくのである。
 そのため、イネ科植物は地面の際から葉がたくさん出たような株を作るのである。

・イネ科植物の工夫はそれだけにとどまらない。
 コメやムギ、トウモロコシなどイネ科の植物は、人間にとって重要な食糧である。しかし、人間が食用にしているのは、植物の種子の部分である。
・イネ科植物は葉が固いので、とても食べられない。
 しかし、人類は火を使うことができる。固いだけなら、調理をしたり、加工したりして、何とか食べられそうなものだ。
・じつは、イネ科植物の葉は固くて食べにくいだけでなく、苦労して食べても、ほとんど栄養がない。
 そのため、葉を食べることは無駄なのである。
 イネ科植物は、食べられないようにするために、葉の栄養分を少なくしている。

・しかし、植物は光合成をして栄養分を作りだしているはずである。
 イネ科植物は、作りだした栄養分をどこに蓄えているのだろうか。
 イネ科植物は、地面の際にある茎に栄養分を避難させて蓄積する。
 そして、葉はタンパク質を最小限にして、栄養価を少なくし、エサとして魅力のないものにしている。

・このように、イネ科植物の葉は固く、消化しにくい上に、栄養分も少ないという、動物のエサとして適さないように進化したのである。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、24頁~25頁)

動物の生き残り戦略


・しかし、このイネ科植物を食べなければ、草原に暮らす動物は生きていくことができない。
 そのため、草食動物は、イネ科植物をエサにするための進化を遂げている。
 たとえば、ウシの仲間は胃を四つ持つ。この四つうち、人間の胃と同じような消化吸収の働きをしているのは四つ目の胃だけである。
 ウシだけでなく、ヤギやヒツジ、シカ、キリンなども反芻(はんすう)によって植物を消化する反芻動物である。
 ウマは、胃を一つしか持たないが、発達した盲腸の中で、微生物が植物の繊維分を分解するようになっている。こうして、自ら栄養分を作りだしているのである。また、ウサギもウマと同じように、盲腸を発達させている。

・このようにして、草食動物はさまざまな工夫をしながら、固くて栄養価の少ないイネ科植物の葉を消化吸収し、栄養分を得ているのである。

・それにしても、栄養分のほとんどないイネ科植物だけを食べているにしては、ウマやウシは体が大きい。どうして、ウシやウマはあんなに大きいのだろうか。

 草食動物の中でも、ウシやウマなどは主にイネ科植物をエサにしている。
 イネ科植物を消化するためには、四つの胃や長く発達した盲腸のような特別な内臓を持たなくてはならない。
 さらに、栄養分の少ないイネ科植物の葉から栄養分を得るには、大量のイネ科植物を食べなければならない。
 この発達した内臓を持つためには、容積の大きな体が必要になるのである。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、26頁~28頁)

そして人類が生まれた


・人類もまた草原で生まれたと言われている。
 しかし、人類は、葉が固く、栄養価の低いイネ科植物を草食動物のように食べることはできなかった。
 人類は火を使うことはできるが、それでもイネ科植物の葉は固くて、煮ても焼いても食べることができない。

・それならば、種子を食べればよいではないかと思うかもしれない。
 現在、私たち人類の食糧である麦類、イネ、トウモロコシなどの穀物は、すべてイネ科植物の種子である。

・しかし、イネ科植物の種子を食糧にすることは簡単ではない。
 なぜなら、野生の植物は種子が熟すと、バラバラと種子をばらまいてしまう。
 なにしろ植物の種子は小さいから、そんな小さな種子を一粒ずつ拾い集めるのは簡単なことではない。

・コムギの祖先種と呼ばれるのが、「ヒトツブコムギ」という植物である。
 ところがあるとき、私たちの祖先の誰かが、人類の歴史でもっとも偉大な発見をした。
 それが、種子が落ちない突然変異を起こした株の発見である。
 種子が熟しても地面に落ちないと、自然界で植物は子孫を残すことができないことになる。そのため、「種子が落ちない」という性質は、植物にとって致命的な欠陥である。

・しかし、人類にとっては違う。
 種子がそのまま残っていれば、収穫して食糧にすることができる。
 種子が落ちる性質を、「脱粒性(だつりゅうせい)」と言う。
 自分の力で種子を散布する野生植物にとって、脱粒性はとても大切な性質である。
 しかし、ごくわずかな確率で、種子の落ちない「非脱粒性」という性質を持つ突然変異が起こることがある。
 人類は、このごくわずかな珍しい株を発見した。

 落ちない種子は食糧にできるだけではない。
 種子が落ちない性質を持つ株から種子を取って育てれば、もしかすると、種子の落ちない性質のムギを増やしていくことができるかもしれない。
 そうすれば、食糧を安定的に確保することができる。
 これこそが、農業の始まりなのであるという。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、28頁~30頁)

第2章 イネ―稲作文化が「日本」を作った


・戦国時代の日本は、同じ島国のイギリスと比べて、すでに六倍もの人口を擁していた。
 その人口を支えたのが、「田んぼ」というシステムと、「イネ」という作物である。
〇第2章では、このイネをテーマとしている。以下、私の関心により紹介してみたい。

稲作以前の食べ物


・狩猟採集の時代、日本人がデンプン源としていた食べ物は「Uri」と呼ばれていたとされる。
 クリ(Kuri)、クルミ(Kurumi)などの発音は、このUriに由来すると言われている。
 また、ユリの球根もデンプン源となった。このユリ(Yuri)の発音も、「Uri」に由来している。

・日本に稲作が伝来する以前に、日本人が重要な食糧としていたものがサトイモである。
 サトイモは、タロと呼ばれて、中国大陸から東南アジア、ミクロネシア、ポリネシア、オセアニアの太平洋地域一帯で、現代でも広く主食として用いられている。
 日本にもかなり古い時代に、このタロイモが伝わり、タロイモ文化圏の一角を成していたと考えられている。

・現在でも、かつてサトイモが主食となっていた痕跡は残されている。
 たとえば、お正月には、もちゴメで作った餅を食べるが、おせち料理やお雑煮にサトイモが欠かせないという地方も少なくない。
 あるいは、中秋の名月には、コメの粉で作った月見団子を供えるが、芋名月といってサトイモを供える風習も残っている。

・また、納豆、餅、とろろ、なめこなど、外国人が苦手とするネバネバした食感を日本人が好むのは、サトイモに関する遠い記憶があるからだとさえ言われている。

・ところが、やがて日本にサトイモに代わる優れたデンプン源がやってくる。
 それが「うるち(Uruchi)」である。
 食用のお米を表す「うるち米」という言葉も、「Uri」に由来すると言われている言葉なのである。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、39頁~41頁)

イネを選んだ日本人


・イネは、他の穀類に比べても収量が多い。
 収量が多ければ、それだけコメが蓄えられ、富が蓄積される。
・そして、稲作はコメだけでなく、青銅器や鉄器といった最先端の技術をもたらした。
 こうした最先端の技術が人々を魅了し、稲作は受け入れられていったのかもしれない。
・また、稲作に用いる土木技術や鉄器は、戦(いくさ)になれば軍事力となる。
 ときには武力で、稲作を行う集団が、稲作を行わない集団を圧倒することもあったろう。
・さらに、メソポタミア文明でもそうであったように、気候の変化は、人々が農業を選択する引き金となった。
・約4000年前の縄文時代の後期になると、次第に地球の気温が下がり始めたことから、東日本の豊かな自然は大きく変化するようになった。
 これが農業の始まりに影響を与えていることも指摘されている。
 東日本は豊かな食料に支えられて、人口密度が高くなったから、食料の不足は切実な問題となったことだろう。
 こうして、時間を掛けながら、日本人は稲作を受け入れていった。
・農業は文明を発達させ、社会を発展させる。
 日本もまた安定した食糧の確保と引き換えに、農業という労働を行うようになり、それはやがて富の不平等を生み、力の差を生み、国が形作られるという日本の歴史が始まるのである。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、46頁~47頁)

コメは栄養価に優れている


・イネは元をたどれば、東南アジアを原産とする外来の植物である。
 しかし、今ではコメは日本人の主食であり、神事や季節行事とも深く結びついている。
 日本の文化や日本人のアイデンティティの礎(いしずえ)は、稲作にあると言われるほど、日本では重要な作物となっている。
 どうしてイネは日本人にとって、これほどまでに重要な存在となったのだろうか。
・コメは東南アジアなどでも盛んに作られているが、数ある作物のうちの一つでしかない。
 食べ物の豊富な熱帯地域では、イネの重要性はそれほど高くないのである。

・日本列島は東南アジアから広まったイネの栽培の北限にあたる。
 イネはムギなどの他の作物に比べて、極めて生産性の高い作物である。
 イネは一粒の種もみから700~1000粒のコメがとれる。
 これは他の作物と比べて、驚異的な生産力である。

・15世紀のヨーロッパでは、コムギの種子を蒔いた量に対して、収穫できた量はわずか3~5倍だった。
 これに対して、17世紀の江戸時代の日本では、種子の量に対して、20~30倍もの収量があり、イネは極めて生産効率が良い作物だったのである。
 現在でもイネは110~140倍もの収量があるのに対して、コムギは20倍前後の収量しかない。

・さらに、コメは栄養価に優れている。
 炭水化物だけでなく、良質のタンパク質を多く含む。
 さらにはミネラルやビタミンも豊富で栄養バランスも優れている。
 そのため、とにかくコメさえ食べていれば良かった。

・唯一足りない栄養素は、アミノ酸のリジンである。
 ところが、そのリジンを豊富に含んでいるのが、ダイズである。
 そのため、コメとダイズを組み合わせることで完全栄養食になる。
 ご飯と味噌汁という日本食の組み合わせは、栄養学的にも理にかなったものなのだ。
 かくして、コメは、日本人の主食として位置づけられた。

・一方、パンやパスタの原料となるコムギは、それだけで栄養バランスを満たすことはできない。
 コムギだけではタンパク質が不足するので、どうしても肉類などを食べる必要がある。
 そのため、コムギは主食ではなく、多くの食材の一つとして位置づけられている。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、47頁~49頁)

稲作に適した日本列島


・さらに日本列島は、イネの栽培を行うのに恵まれた条件が揃っている。
 イネを栽培するには、大量の水を必要とするが、幸いなことに、日本は雨が多い。
 
・日本の降水量は年平均で、約1700ミリである。
 これは世界の平均降水量の2倍以上である。
 日本にも水不足がないわけではないが、世界には乾燥地帯や佐幕地帯が多いことを考えれば、水資源に恵まれた国なのである。

・日本は、モンスーンアジアという気候帯に位置している。
 モンスーンというのは、季節風のことである。
 アジアの南のインドから東南アジア、中国南部から日本にかけては、モンスーンの影響を受けて、雨が多く降る。
 この地域をモンスーンアジアと呼んでいる。

・5月頃に、アジア大陸が温められて低気圧が発生すると、インド洋の上空の高気圧から大陸に向かって、風が吹き付ける。
 これがモンスーンである。
 モンスーンは、大陸のヒマラヤ山脈にぶつかると、東に進路を変えていく。
 この湿ったモンスーンが雨を降らせる。
・そのため、アジア各地はこの時期に雨期となる。
 そして、日本列島では梅雨になるのである。
こうして作られた高温多湿な夏の気候は、イネの栽培に適している。

・それだけではない。冬になれば、大陸から北西の風が吹き付ける。
 大陸から吹いてきた風は、日本列島の山脈にぶつかって雲となり、日本海側に大量の雪を降らせる。
 大雪は、植物の生育に適しているとは言えないが、春になれば雪解け水が川となり、潤沢な水で大地を潤す。
 こうして、日本は世界でも稀な水の豊かな国土を有しているのである。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、49頁~51頁)

田んぼの歴史


・日本の歴史を見ると、もともと田んぼは谷筋や山のふもとに拓かれることが多かった。
 それらの地形では、山からの伏流水が流れ出てくる。
 やがてその水を引いて、山のふもとの扇状地や盆地に田んぼが拓かれていく。
 それでも田んぼは、限られた恵まれた地形でしか作ることができなかったのだ。

・田んぼの面積が増加してくるのは、戦国時代のことである。
 もともと戦国武将の多くは、広々とした平野ではなく、山に挟まれた谷間や、山に囲まれた盆地に拠点を置き、城を築いた。
 これは防衛上の意味もあるが、じつは山に近いところこそが、豊かなコメの稔りをもたらす戦国時代の穀倉地帯だったのである。

・多くの地域では、イネを作ることができず、麦類やソバを作り、ヒエやアワなどの雑穀を作るしかなかった。
 そして、限られた穀倉地帯を巡って、戦国武将たちは戦いを繰り広げたのである。
・石高を競う戦国武将は、戦いによって隣国を奪って領地を広げれば、石高を上げることはできる。しかし、戦国時代も終盤になり、国境が定まってくると、領地は増やすこともままならない。ただ、石高は領地の面積ではなく、コメの生産量である。
 領地は増えなくても、田んぼが増え、コメの生産量が増えれば、自らの力を強めることができる。そこで、戦国武将たちは、各地で新たな水田を開発していく。

・戦国時代には、各地に山城が造られた。
 堀を造り、土塁を築き、石垣を組んで、城を造る。
 こうした土木技術の発達によって、これまで田んぼを作ることができなかった山間部にも、水田を拓くことが可能になった。こうして作られたのが、「棚田」である。
(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、47頁~49頁)

第15章 サクラ―ヤマザクラと日本人の精神


・ソメイヨシノが誕生したのは江戸時代中期である。
 日本人は、けっして散るサクラに魅入られてきたわけではなく、咲き誇るヤマザクラの美しさ、生命の息吹の美しさを愛してきた。
〇第15章のうち、サクラと稲作との関連を説いたところを紹介しておく。

日本人が愛する花


・古くからサクラは日本人に愛されてきた。
 もともとサクラは稲作にとって神聖な花だった。
 サクラの花は決まって稲作の始まる時期に咲く。
 そのため、サクラは農業を始める季節を知らせる目印となる重要な植物であった。
 そして、美しく咲くサクラの花に、人々は稲作の神の姿を見たのである。

・サクラの「さ」は、田の神を意味する言葉である。
 サクラの他にも、稲作に関する言葉には、「さ」のつくものが多い。
 田植えをする旧暦の五月は、「さつき」と言う。
 そして、植える苗が、「さなえ」である。
 さらに、「さなえ」を植える人が、「さおとめ」である。
 田植えが終わると、「さなぶり」というお祭りを行う。
 さなぶりという言葉は、田んぼの神様が上っていく「さのぼり」に由来している。

・そして、サクラの「くら」は、依代(よりしろ)という意味である。
 つまり、サクラは、田の神が下りてくる木という意味である。
 つまり、稲作が始まる春になると、田の神様が下りてきて、美しいサクラの花を咲かせると考えられていたのである。

・昔から日本には、神様と共に食事をする「共食」の慣わしがある。
 正月の祝い箸が両端とも細くなって物がつかめるようになっているのは、神様と一緒に食事をするためである。
 日本人は季節ごとに神々と酒を飲み、ご馳走を食べてきた。
 そして、春になると、人々は依代であるサクラの木の下で豊作を祈り、飲んだり歌ったりした。
 さらに、人々は満開のサクラに稲の豊作を祈り、花の散り方で豊凶を占ったという。

(稲垣栄洋『世界史を変えた植物』PHP文庫、2021年[2022年版]、257頁~259頁)


(2023年わが家の稲作日誌よりの写真)




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