歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』 その3≫

2021-05-01 19:36:27 | フランス語
≪ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』 その3≫
(2021年5月1日投稿)




【はじめに】


 前回のブログでは、バルザックの『ゴリオ爺さん』に登場するヴォートランのお説教を主にテーマに取り上げた。この主題は、トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』全体を貫くテーマでもある。ピケティ氏の『21世紀の資本』には、その時代の社会経済的状況を物語る小説が随所に登場する。バルザックとオースティンの小説は、19世紀という時代と社会を映し出す鏡のような存在である。
 今回のブログでも、『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』を考えてみたい。ヴォートランのお説教の主題は、要するに、労働所得(勉強、勤労、能力)と相続財産との“せめぎ合い”である。
 ピケティ氏は、その“せめぎ合い”の歴史を19世紀から21世紀にかけて、どのように捉えているのか。この点に焦点をしぼって、『21世紀の資本』の内容を紹介してみたい。
 なお、重要な箇所はフランス語の原文を併記することにした。



【トマ・ピケティ(山形ほか訳)『21世紀の資本』みすず書房はこちらから】

21世紀の資本


【Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Seuilはこちらから】

Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・富の性質――文学から現実へ(第3章)
・公的債務で得をするのは誰か(第3章)
・歴史的に見た資本収益率(第6章)
・20世紀の大きなイノベーション(第7章)
・長期的な相続フロー(第11章)
・ラスティニャックのジレンマ(第11章)
・不労所得生活者と経営者の基本計算(第11章)
・古典文学に見るお金の意味(第2章)






富の性質――文学から現実へ (第3章)


「第3章 資本の変化 富の性質――文学から現実へ」において、次のようなことが述べてある。

文学は、イギリスとフランスでの富を語る導入部として、うってつけである。

オノレ・ド・バルザックやジェイン・オースティンが小説を書いた19世紀はじめ、富の性質は、あらゆる読者にとって、かなり明確だった。
富はレントを生み出すものだった。
(レントとは、資産の所有者があてにできる定期的な支払いのことである。多くの場合、その資産とは、土地あるいは国債だった)

ゴリオ爺さんが所有していたのは国債、ラスティニャック家のささやかな財産は土地であった。
『分別と多感』の登場人物のジョン・ダッシュウッドが相続する遺産も、ノーランドの広大な農地である。
ほどなくジョンに追い出された義妹のエリナーとマリアンは、父親が遺したわずかな資本である国債の利息でやりくりしなければならない。

19世紀の古典的小説には富が頻出する。資本の大小や所有者はさまざまだが、たいへいは土地か国債のどちらかである。

原文には次のようにある。
Chapitre 3. Les métamorphoses du capital
La nature de la fortune : de la littérature à la réalité

Quand Balzac ou Jane Austen écrivent leurs romans, au
début du XIXe siècle, la nature des patrimoines en jeu est a
priori relativement claire pour tout le monde. Le patrimoine
semble être là pour produire des rentes, c’est-à-dire des
revenus sûrs et réguliers pour son détenteur, et pour cela
il prend notamment la forme de propriétés terriennes et de
titres de dette publique. Le père Goriot possède des rentes
sur l’État, et le petit domaine des Rastignac est constitué de
terres agricoles. Il en va de même de l’immense domaine
de Norland dont hérite John Dashwood dans le Cœur et la
Raison (Sense and Sensibility), et dont il ne va pas tarder à
expulser ses demi-sœurs, Elinor et Marianne, qui devront
alors se contenter des intérêts produits par le petit capital
laissé par leur père sous forme de rentes sur l’État. Dans le
roman classique du XIXe siècle, le patrimoine est partout, et
quels que soient sa taille et son détenteur il prend le plus
souvent ces deux formes : terres ou dette publique.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.184.)


21世紀の視点からとらえると、土地や国債といった資産は古めかしく感じられる。資本がもっと「動的」といわれる現代の経済、社会の実情とは無関係と考えたくもなる。
たしかに、19世紀の小説の登場人物は、民主主義と能力主義の現代社会では、いかがわしい存在とされる、不労所得生活者の見本に思われることが多い。
でも、あてにできる安定した収入を生み出す資本資産を求めるのは、至極自然なことである。
(経済学者が定義する「完全」資本市場の目標である)

よく見ると、19世紀と20世紀というのは、一見したほどちがうわけではないようだ。
まず、この2種類の資本資産(土地と国債)は、それぞれまったくちがう問題を提起するので、19世紀の小説家たちが物語の都合上やったように、ぞんざいにまとめるべきではない。

つきつめれば、国債とは、国民のある一部(利息を受け取る人たち)が、別の一部(納税者)に対して持つ請求権にすぎない。
だから国富から除外して、民間財産のみに含めるべきだとする。

政府債務と、それに関連した富の性質との複雑な問題は、現在でも1800年当時と変わらず重要である。
現在、公的債務は、フランスをはじめさまざまな国で、ほぼ歴史的な最高記録に達している。おそらく、これがナポレオンの時代と同じく、多くの混乱のもとになっている。
金融仲介のプロセス(個人が銀行に預金し、銀行がそれをどこかに投資)は複雑化していて、誰が何を所有しているのか、よくわからないこともしばしばである。
(19世紀当時、公債からの利益で生活していた不労所得生活者ははっきりわかった。それはいまも変わらないのだろうか。この謎は解明する必要がある)

もうひとつ、もっと重要なややこしさがある。
当時の古典小説だけでなく実際の社会でも、さまざまな形の資本が存在し、不可欠な役割を担っていた。
ゴリオ爺さんは、パスタ作りと穀物の商取引で一財産を築いた。一連の革命戦争とナポレオン台頭の時代、かれはすぐれた小麦粉を見分けるずば抜けてすぐれた目と、パスタ作りの腕を活かし、流通網と倉庫を築いて、適切な製品を適切なところへ、適切な時期に届けられるようにした。
起業家として富を成してから、かれは事業を売りに出した。
(21世紀の創業者がストック・オプションを行使して、キャピタル・ゲインを手にするのとほぼ同じである)
そしてかれは、売却益をもっと安全な資産に投資した。必ず利益が支払われる永久公債である。
この資本のおかげで、かれは娘たちに良縁を見つけ、これでふたりはパリの上流社会において輝かしい位置を確保できた。
1821年、ゴリオは死の床にあり、娘のデルフィーヌとアナスタジーからは見捨てられていたのに、なおオデッサのパスタ製造業への投資で儲けようと夢見ていた。

このゴリオ爺さんの資本形成について、原文には、次のようにある。
Chapitre 3. Les métamorphoses du capital
La nature de la fortune : de la littérature à la réalité

Autre complication, plus importante encore : bien d’autres
formes de capital, souvent fort « dynamiques », jouent un
rôle essentiel dans le roman classique et dans le monde de
1800. Après avoir débuté comme ouvrier vermicellier, le père
Goriot a fait fortune comme fabricant de pâtes et marchand
de grains. Pendant les guerres révolutionnaires et napoléo-
niennes, il a su mieux que personne dénicher les meilleures
farines, perfectionner les techniques de production de pâtes,
organiser les réseaux de distribution et les entrepôts, de
façon que les bons produits soient livrés au bon endroit au
bon moment. Ce n’est qu’après avoir fait fortune comme
entrepreneur qu’il a vendu ses parts dans ses affaires, à la
manière d’un fondateur de start-up du XXIe siècle exerçant
ses stock-options et empochant sa plus-value, et qu’il a tout
réinvesti dans des placements plus sûrs, en l’occurrence des
titres publics de rente perpétuelle ― c’est ce capital qui lui
permettra de marier ses filles dans la meilleure société pari-
sienne de l’époque. Sur son lit de mort, en 1821, abandonné
par Delphine et Anastasie, le père Goriot rêve encore de
juteux investissements dans le commerce de pâtes à Odessa.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.185-186.)


バルザックの別の作品に登場するセザール・ビロトーは、香水で儲けた。
ビロトーは独創的な発明家で、かれが生み出した美容品(髭剃りクリーム、駈風薬など)は、第一帝政後期および復古王政のフランスで大流行していた。
でもそれだけでは、ビロトーは不満足だった。
隠居する歳になって、かれは1820年代当時急速に開発が進んでいたマドレーヌ近郊の不動産に大胆に投機して、資本を3倍にしようと試みた。チノン近郊のよい農地と国債に投資するようすすめた妻の賢明な助言をはねつけて、ビロトーは破滅してしまう。

一方、ジェイン・オースティンの作品に登場する主人公たちは、バルザックの作品の登場人物よりも田舎風である。
裕福な地主ばかりだが、バルザックの登場人物より利口そうなのはうわべのみだ。
『マンスフィールド・パーク』のファニーの叔父、トマス・バートラム卿は、運営管理と投資のために長男を連れて西インド諸島へ渡らなければならない。
マンスフィールドに戻ってからも、再び何ヵ月も西インド諸島に滞在することを余儀なくされる。
(1800年代前半、何千キロも離れた農園を管理するのは容易ではなかった。富に気を配るのは、地代を回収したり、国債の利息を手に入れたりするような、穏やかな仕事ではすまなかった)

では、どっちだろうか。穏やかな資本か、リスクのある投資か。
西暦1800年から、実は何も変わっていないと結論づけて差し支えないだろうか。
18世紀から、資本構造は実際にどう変わったのだろうか。

ゴリオ爺さんのパスタは、スティーブ・ジョブズのタブレットに変わったかもしれないし、1800年の西インド諸島への投資は、2010年の中国や南アフリカへの投資に変わったかもしれないが、資本の深層構造は本当に変化しただろうかと、ピケティ氏は問いかけている。

資本は決して穏やかではない。
常にリスク志向で、少なくともはじめのうちは起業精神にあふれているが、十分に蓄積すると、必ずレントに変わろうとする。
それが資本の天命である。それが論理的な目標である。

では、現在の社会的格差はバルザックやオースティンの時代とまったくちがうという漠然とした印象は、どこから生まれるのだろうか。
これは何の現実的根拠もない無内容なおしゃべりにすぎないのだろうか。それとも、現代の資本が昔よりずっと「動的」になり、「レント・シーキング」は減ったと見なす根拠となる客観的要素は見つかるだろうかと、問いかけている。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、119頁~122頁)

公的債務で得をするのは誰か(第3章)


歴史的記録は重要だ。
第一に、マルクスをはじめとする19世紀の社会主義者たちが公的債務を警戒していた理由がわかる。かれらは公的債務が民間資本の手駒だと見ていた。

当時、イギリスだけでなく、フランスなど他の多くの国々でも、公債に投資していた人々が見返りをたっぷり手にしていただけに、なおさら懸念は大きかった。
1797年の革命による破産は繰り返されず、バルザックの小説に登場する不労所得生活者たちは、ジェイン・オースティンの著作と同じく、国債についてまるで心配していないようだ。

実際、1815-1914年のフランスのインフレ率は、イギリスと同じく低かった。そして国債の利息は必ず期日通りに支払われた。
19世紀を通じて、フランスのソブリン債はよい投資だった。投資家たちはイギリス同様、その利益で儲けた。
フランスの公的債務の累積額は1815年の時点では、ごくわずかだったが、それから数十年間、特に復古王政と七月王政(1815-1848年)の期間に増えた。
この期間、選挙権は財産証明をもとに与えられていた。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、138頁)

歴史的に見た資本収益率(第6章)


第6章の「歴史的に見た資本収益率」「人的資本はまぼろし?」という節において、次のようなことを述べている。

〇フランス、イギリスともに、18世紀から21世紀にかけて、純粋資本収益率は、中央値にして年間4-5パーセント(一般的には年間3-6パーセント)の間にあった。
顕著な長期的上昇/下降トレンドはない。
この長期にわたる純粋資本収益率の事実上の安定(あるいは18世紀、19世紀の4-5パーセントから現在の3-4パーセントへのわずかな低下というほうがいいだろうか)は、この研究において重要な意味を持つ事実である。

これらの数値についての感覚を得るため、まず18世紀、19世紀に資本から地代への伝統的な換算率は、最も普遍的でリスクが少ない形の資本(主に土地、国債)については、おおむね年5パーセントだった。
資本資産の価値は、その資産がもたらす年間所得20年分に匹敵すると試算されていた。
(ときには25年分に増加したこともある。年間4パーセントの収益に相当)

バルザックやジェイン・オースティンなど、19世紀前半の古典小説では、資本とその5パーセントの地代が等価であることは、当然と見なされていた。小説家たちは、それがどんな資本か言及しないことも多く、たいていは土地と国債がほぼ完璧な代替品であるように扱い、地代による収益としか言わない。
たとえば、主人公の受け取る地代は5万フラン、あるいは2000英国ポンドと書かれてはいても、それが土地によるものか、国債によるものか語られない。(どちらでもよかったのだ)
いずれにしても、所得は確実で安定しており、確固とした生活様式を守り、社会的地位を世代を超えて受け継いでいくには、十分だった。同様に、オースティンもバルザックも、ある額の資本を年間地代に変換する収益率など明記するまでもないと思っていた。
(その投資が国債であろうと、土地であろうと、何かまったくちがうものであろうと、年間5万フランの地代を生み出すには約100万フランの資本[あるいは年間2000ポンドの所得を生むには4万ポンドの資本]が必要と、読者の誰もがよく知っていたからだ。)

19世紀の小説家と読者たちにとって、財産と年間地代が等価であることは明白だった。一方の指標から他方に転換するのは容易で、両者が同義語であるかのようだった。

また、ある種の投資には十分な個人的関与が求められることも、小説家と読者たちはよく知っていた。
それがゴリオ爺さんのパスタ工場であろうと、『マンスフィールド・パーク』のトマス・バートラム卿の西インド諸島の農園であろうと。
そのうえ、このような投資の収益率は当然ながら高く、一般的にはおよそ7-8パーセントであった。
(セザル・ビロトーが香水を扱って成功した後、パリのマドレーヌ地区の不動産への投資で狙ったように、特によい商談がまとまった場合は、もっと高くなった。
でも、このような仕事をまとめるためにつぎこんだ時間とエネルギーが利益から差し引かれた。トマス・バートラム卿が西インド諸島に何ヵ月も滞在しなければならなかったことを思い出してほしい)
最終的に手に入る純粋収益は、土地や国債への投資で入手できる4-5パーセントとあまり変わらないことも明らかだった。つまり、追加分の収益率は、主に仕事にささげられた労働所得に対する報酬で、資本による純粋収益(リスク・プレミアムを含む)は、たいてい4-5パーセントより、あまり増えなかった。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、214~216頁)

≪第6章 人的資本はまぼろし?≫
過去2世紀で技術水準は著しく上昇した。だが、産業、金融、不動産資本のストックも多いに増加している。
資本は重要性を失い、人類は資本、遺産、血縁を基盤とする文明から、人的資本と才能を基盤とする文明に魔法のように移行したと考える人たちもいる。金持ちの株主は、もっぱら技術の変化のおかげで、才能ある経営者に取って代られたといわれる。
(この問題には、第III部で所得と富の分配における個々の格差の研究に取り組むときに、再び立ち戻るという。)

でもすでに、こうした愚かな楽観主義への警告になるものは、ピケティ氏は示してきたと批判している。
ピケティ氏の見解はこうである。
資本は消え去っていないし、それは資本がいまも役に立つからである。おそらくその有用性は、バルザックやオースティンの時代に劣らないし、それは今後も変わらないだろうとする。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、232~233頁)

20世紀の大きなイノベーション(第7章)


資産を持つ中流階級の台頭に伴って、上位百分位の富の占有率は半分以下に急減した。
20世紀初頭は50パーセント以上あったものが、21世紀の初めには20-25パーセントにまで減少した。

年間の賃貸料で安楽に暮らせるほど大きな財産の数が減ったという意味で、ヴォートランのお説教はこれでいくぶん説得力を失った。
若きラスティニャックはもはやヴィクトリーヌ嬢と結婚しても、法律を勉強するより、いい生活はできない。
これは歴史的に重要なことだ。
なぜなら、1900年前後のヨーロッパにおける富の極端な集中は、実は19世紀すべてを通じて見られた特質だったからだ。

この規模感(富の90パーセントをトップ十分位が所有し、トップ百分位が少なくとも50パーセントを所有する)は、アンシャン・レジーム期のフランスや18世紀イギリスの。伝統的農村社会の特徴でもあった。
実はこのような資本集中は、オースティンやバルザックの小説に描かれているような、蓄積し相続された財産に基づく社会の存続、繁栄の必要条件であるとされる。
だから、ピケティ氏のこの本の目的のひとつは、そのような富の集中が出現、存続、消滅し、そして再出現しそうな条件を理解することにある。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、272頁)

フランス語の原文には、次のようにある。
Chapitre 7. Inégalités et concentration : premiers repères
L’innovation majeure du XXe siècle : la classe moyenne patrimoniale

Nous verrons que cela a largement contribué à modifier les termes
du discours de Vautrin, dans le sens où cela a fortement et
structurellement diminué le nombre de patrimoines suffi-
samment élevés pour que l’on puisse vivre confortablement
des rentes annuelles issues de ces patrimoines, c’est-à-dire le
nombre de cas où Rastignac pourrait vivre mieux en épousant
Mlle Victorine plutôt qu’en poursuivant ses études de droit.
Ce changement est d’autant plus important historiquement
que le niveau extrême de concentration des patrimoines que
l’on observe dans l’Europe de 1900-1910 se retrouve dans une
large mesure tout au long du XIXe siècle.

(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.412.)

Toutes les sources dont nous disposons indiquent que ces ordres de grandeur
― autour de 90 % du patrimoine pour le décile supérieur,
dont au moins 50 % pour le centile supérieur ― semblent
également caractériser les sociétés rurales traditionnelles, qu’il
s’agisse de l’Ancien Régime en France ou du XVIIIe siècle
anglais.

Nous verrons qu’une telle concentration du capital est
en réalité une condition indispensable pour que des sociétés
patrimoniales telles que celles décrites dans les romans de
Balzac et de Jane Austen, entièrement déterminées par le
patrimoine et l’héritage, puissent exister et prospérer. Tenter
de comprendre les conditions de l’émergence, du maintien,
de l’effondrement et du possible retour de tels niveaux de
concentration des patrimoines est par conséquent l’un de nos
principaux objectifs dans le cadre de ce livre.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.413.)

長期的な相続フロー(第11章)


どんな社会でも、富を蓄積する過程は主に二つある。労働と相続である。
この両者はそれぞれ富の階層のトップ十分位やトップ百分位でどのくらいの割合を占めているのだろう?
(これが鍵となる問題だ)

ヴォートランのラスティニャックへのお説教では、その答えは明快である。勉強と労働では、とうてい快適で優雅な生活は得られない。唯一の現実的戦略は、遺産を持つヴィクトリーヌ嬢と結婚することだった。
ピケティ氏のこの本の目的は、19世紀フランス社会がヴォートランの描く社会とどこまで似ているかを見極めることである。そしてなぜそんな社会がだんだん発達してきたのかを学ぶことである。
(このように、ヴォートランのお説教は、節の見出しになっているだけでなく、ピケティ氏の著作の全体にかかわる主題であることがわかる。)

フランス語の原文には次のようにある。
Chapitre 11. Mérite et héritage dans le long terme
L’évolution du flux successoral sur longue période

Dans le discours que Vautrin tient à Rastignac et que nous
avons évoqué dans le chapitre 7, la réponse ne fait aucun
doute : il est impossible par les études et le travail d’espérer
mener une vie confortable et élégante, et la seul stratégie
réaliste est d’épouser Mlle Victorine et son héritage. L’un de
mes tout premiers objectifs, dans cette recherche, a été de
savoir dans quelle mesure la structure des inégalités dans la
société française du XIXe siècle ressemble au monde que décrit
Vautrin, et surtout de comprendre pourquoi et comment ce
type de réalité évolue au cours de l’histoire.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.602.)


まず、相続の年間フロー、すなわち年間の遺産総額(それと生前の贈与)を国民所得比で示したものを、長期的に検証している。
この数値は、毎年相続された過去の富の額を、その年の総所得に対する比率として示すものである。
(労働所得は毎年国民所得のおおよそ3分の2を占めており、資本所得の一部は相続人に遺された資本からの収入であると、ピケティ氏は断っている)

まずはフランスの事例から検証している(長期データが最も揃っている)
そこでのパターンは、他のヨーロッパ諸国にもおおむね適用できる。
最終的には、全世界で見ると、何が言えるかを検討する。

【図11-1 年間相続フローの国民所得比:フランス 1820-2010年】(395頁)
フランスにおける1820年から2010年までの年間相続フローの動向を示したものである。

二つの事実が目につくという。
①19世紀には相続フローは年間所得の20-25パーセントを占めていたということ
(世紀の終わり近くになると、この比率は微増傾向を示した)
・これはとても大きなフローで、資本ストックのほぼすべてが相続に由来したことを示す
・相続した富が19世紀の小説に頻出するのは、作家、特に借金まみれだったバルザックがこだわっていたせいだけではないようだ
・それはなにより、19世紀社会では相続が構造的な中心を占めていたせいである。
経済フローとしても社会的な力としても、相続は中心的な存在だった。さらに時を経てもその重要性は減らなかった。
・それどころか、1900-1910年には、相続フローは、ヴォートラン、ラスティニャック、下宿屋ヴォケーの時代である1820年代に比べて、ちょっと高くなっている。
(国民所得の20パーセント強から25パーセントに上がった)
②その後、相続フローは、1910年から1950年の間に、著しく減少した(5パーセント以下)が、その後、じわじわと回復し、1980年代にはそれが加速した。
(2010年には約15パーセントまで持ち直した)

(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、394~395頁)


ラスティニャックのジレンマ(第11章)


相続財産の主要な特徴のひとつは、不平等な形が分配されることだ。
これまでの推定値に、一方で相続の格差、もう一方で労働所得の格差を導入することで、最終的にヴォートランの陰鬱なお説教が、さまざまな時期にどの程度当てはまるか、分析できるとする。

【図11-10】では、「1790-2030年に生まれたコーホートにとってのラスティニャックのジレンマ」と題したグラフが掲載されている。
このグラフは、19世紀には相続者トップ1パーセントが享受できる生活水準は、労働による稼ぎトップ1パーセントよりもずっと高かったことを示しているという。

これを見ると、ウージェーヌ・ド・ラスティニャックのコーホートを含む(バルザックはかれが1798年生まれと書いている)、18世紀末と19世紀中に生まれたコーホートは、あの前科者(ヴォートラン)が説いた極端なジレンマに直面していたことがわかる。
どうにかして相続財産を手に入れた者は、勉学と労働によって自分の道を切り開かなければならない者に比べ、ずっとよい暮らしができた。

≪グラフの特徴≫
・異なる資産水準を、具体的・直観的に説明するために、リソースを各時代の賃金が最も低い労働者50パーセントの平均賃金の倍数という形で示した
・この基準値は、当時一般的に国民所得の約半分を稼いでいた「下層階級」の生活水準と見ることもできる。
・これは社会の格差を判断する際の参照点としても有益であるとする。

≪グラフから得られた結果≫
・19世紀に最も裕福な相続人1パーセント(その世代のトップ1パーセントの遺産を相続する人々)が生涯通じて獲得できる資産は、下層階級の資産の25-30倍だった。別の言い方をすれば、親から、または配偶者を介して遺産を得た人は、25-30人の家事使用人を生涯にわたって雇える。

・これに対し、ヴォートランのお説教にあったように、判事、検事、弁護士といった職業に就いた労働所得トップ1パーセントの人が持つ資産は、下層階級の約10倍だった。
⇒馬鹿にした金額ではないが、明らかに生活水準としてはずっと低い。特にヴォートランも述べていたように、そのような職業に簡単には就けないことを考慮すればなおさらである。
(その1パーセントに入るには法学校でよい成績を修めるだけではダメで、多くの場合、多年にわたり権謀術策に励まねばならない。)

・こんな状況であれば、もしトップ百分位の遺産を入手できる機会が目の前に現れれば、それを見逃す手はない。

次に、1910-1920年生まれの世代について計算している。
・かれらが直面した人生の選択はちがっていたことがわかる。相続のトップ1パーセントは、下層階級の標準のどうにか5倍の資産を保有しているにすぎない。
(最も稼ぎのよい仕事に就いた1パーセントは基準値の10-12倍を稼いでいる。これは賃金階層百分位が総賃金の約6-7パーセントを長期にわたり、比較的安定して占めてきたという事実の結果である)

・歴史上初めて、トップ百分位の職業に就いたほうが、相続のトップ百分位よりも裕福に暮らせるようになった。
(勉学、勤労、そして才能のほうが、相続よりも実入りがよくなった)

・ベビーブーマーのコーホートにとっても、選択は同じくらい明白なものだった。
1940-1950年生まれのラスティニャックには、トップ百分位の仕事(下層階級の基準の10-12倍のリソースを持てる)を目指し、同時代のヴォートランたちを無視する正当な理由が存在した。
(なぜなら相続トップ百分位は、下層階級基準値の6-7倍しかもたらしてくれないから)
⇒これらすべての世代にとって、職業を通じた成功は、単に道徳的なだけでなく、収益性も高かったのだ。

≪結果が物語ること≫
具体的にこれらの結果は、次のことを物語っている。
・この期間ずっと、また1910年から1960年に生まれたすべてのコーホートにとって、所得階層のトップ百分位の大部分を占めていたのは、仕事を主な収入源とする人々だったということである。
これは、フランスでも、それ以上に他のヨーロッパ諸国でも前代未聞であった。トップ百分位はどの社会においても、重要なグループであるため、大きな変化でもあった。
トップ百分位は社会の経済的、政治的、象徴的構造の形成において中心的役割を演じる、かなり広いエリート層である。

・すべての伝統社会において、1789年に貴族が人口の1-2パーセントを占めていたことを思い出してほしい。そして実際にはベル・エポック期でも(フランス革命によって燃え上がった希望にもかかわらず)、このトップ1パーセント集団をほぼ支配していたのは、相続資本だった。

・だからこれが20世紀最初の半世紀に生まれたコーホートに当てはまらないという事実は一大事である。
社会進歩の不可逆性と古い社会秩序の終焉に対する空前の確信を促進した。

(たしかに、第二次世界大戦後の30年間に格差が根絶されたわけではないが、賃金格差という楽観的な観点からは、そのように見えた。
たしかに、ブルーカラー労働者、ホワイトカラー労働者、そして経営者の間には大きな差があったし、1950年代フランスでは、これらの格差は拡大傾向にあった。)
でも、この社会には基本的な一体性があった。そこではすべての人が労働信仰に加わり、能力主義的理想を賞賛した。
相続財産の専制的格差は過去のものになったと誰もが信じていた。

・1970年生まれのコーホートにとって(それより後に生まれた人々にとってはなおさら)、状況はまったくちがう。特に人生の選択はもっと複雑になった。トップ百分位の相続財産は、トップ百分位の職業とほぼ同等の価値があった。
(あるいは少し大きかった。相続が下層階級の生活水準の12-13倍だったのに対し、労働所得は10-11倍だった)

・でも今日の格差とトップ百分位の構造もまた、19世紀とはまったくちがうことに留意してほしい。なぜなら、今日の相続財産は過去よりも著しく集中が少ないから。

・今日のコーホートは、格差と社会構造の独特な組み合わせに直面している。それは、ある意味でヴォートランが皮肉を込めて描いた(相続が労働よりも優位な)世界と、(労働が相続よりも優位な)戦後数十年の魅惑の世界の間に位置している。

・今日のフランスにおける社会階層トップ百分位は、相続財産とかれら自身の労働の両方から、ほぼ同額の所得を得ている場合が多い。

(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、422~424頁)

不労所得生活者と経営者の基本計算(第11章)


第11章の「不労所得生活者と経営者の基本計算」では、「おさらいしよう」と記して、以下のことをピケティ氏はまとめている。

≪おさらい≫
社会階層の頂点で相続資本所得が労働所得よりも大きな割合を占める社会(すなわちバルザックやオースティンが描いたような社会)では、二つの条件を満たされている必要がある。

①資本ストックとその中の相続資本のシェアが大きいこと
資本/所得比率は約6、7倍でなければならず、資本ストックのほとんどが相続資本で構成されている必要がある。
・そのような社会では相続財産が各コーホート保有平均リソースの約4分の1を占め得る。
・これが18、19世紀や1914年までの状況である。
(この相続財産ストックに関する最初の条件は、現在再びほぼ満たされている)

②相続財産の極端な集中
・もしも相続財産が労働所得と同じような分配されていたら(相続と労働所得の両階層のトップ百分位、トップ十分位等で同一水準なら)、ヴォートランの世界は決して存在しなかったはずである。

〇集中効果が数量効果よりも優勢になるには、相続階層のトップ百分位自体が相続財産の大きなシェアを占めなければならない。
これは、18世紀と19世紀の状況である。
トップ百分位が総資産の50-60パーセントを(イギリスやベル・エポック期のパリでは70パーセントも)所有する。
・これは労働所得トップ百分位のシェア(約6-7パーセント)よりも10倍近く大きかった。
・この富と給与の集中の10対1という比率は、3対1という数量比率を相殺するのに十分だ。
・19世紀の世襲社会において、なぜトップ百分位の相続財産が、トップ百分位の仕事よりも、事実上3倍裕福な暮らしを可能にしたのかは、これで説明できる
(図11-10参照)

〇この不労所得生活者と経営者に関する基本計算は、なぜ現代のフランスで相続財産と労働所得のトップ百分位がほぼ均衡しているのかを理解するのにも役立つとする。
・富の集中は労働所得の集中よりもほぼ3倍大きかったため、トップ百分位が総資産の20パーセントを所有しているのに対し、稼ぎ手トップ百分位は総賃金の6-7パーセントしか得ていない。
・栄光の30年の間、なぜ経営者が相続人よりもかなり優勢だったかも理解できる。

格差の「自然」構造は、どちらかというと経営者よりも不労所得生活者の優勢を好むようだ。特に低成長で、資本収益率が成長率よりも高いときは、富が集中し、資本所得トップが労働所得トップよりも優勢になる。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、424~425頁)

古典文学に見るお金の意味(第2章)


文学好きのピケティ氏は、第2章の「古典文学に見るお金の意味」(112~113頁)において、文学とお金の関係について論じている。
ここでは、『21世紀の資本』の中から、両者の関係に言及した個所を抜き出して、ピケティ氏の著作をより深く理解してみたい。

〇1800-1810年にフランで測った物価は、1770-1780年の時期にリーヴルのトゥール硬貨で計測した物価とだいたい同じだったので、革命による通貨単位の変化は、お金の購買力をいささかも変えなかった。
19世紀初期の小説家たちは、バルザックを筆頭に所得や富を表現するときにはリーヴルとフランを絶えず行ったり来たりしている。
当時の読者にとって、フランのジェルミナル硬貨(または「金フラン」)とリーヴルのトゥール硬貨とはまったく同じものだった。
ゴリオ爺さんにとって、家賃「1200リーヴル」と「1200フラン」は、完全に等価で、それ以上の説明は不要だった。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、111頁)

〇地方社会における土地の平均収益率は、4-5パーセントくらいである。
ジェイン・オースティンやオノレ・ド・バルザックの小説では、土地が政府債のように投資資本額のおよそ5パーセントを稼ぐという事実(あるいは資本の額が年間地代のおよそ20年分にあたるという事実)は、あまりに当然のこととされているので、いちいち明記されないことも多い。

当時の読者は、年間の地代5万フランを生み出すには、資本100万フランくらいが必要というのを熟知していた。
19世紀の小説家とその読者にとって、資本と年間地代との関係は、自明のことなので、この二つの計測指標は交換可能な形で使われ、まったく同じことを別の言い方で言っている同義語のような扱いになっている。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、58頁)

〇<古典文学に見るお金の意味>
安定した金銭の参照はフランスの小説にも見られる。
フランスでは1810-1820年の平均所得は年400-500フランだった。これはバルザック『ゴリオ爺さん』の舞台となった時代だ。
リーヴルのトゥール硬貨で見た平均所得は、アンシャン・レジーム期のほうがちょっと低かった。

バルザックもオースティン同様、まともな生活を送るには、その20倍から30倍が必要な世界を描いている。年所得が1万から2万フランなければ、バルザックの主人公は自分が困窮生活をしていると感じただろう。

ここでも、この規模感は、19世紀を通じてきわめて緩慢にしか変わらなかったし、ベル・エポック期(19世紀末から第一次世界大戦勃発までの時期)に入っても、それは続いた。
ずいぶん後代の読者でも、その記述はあまり違和感がなかった。
こうした数量を使って、作家は簡潔に舞台を設定し、生活様式を匂わせ、ライバル関係を引き起こし、つまり一言で言えば文明を記述できた。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、112~113頁)

〇安定した通貨参照点が20世紀に失われたというのは、それまでの世紀からの大幅な逸脱である。
これは経済や政治の領域にとどまらず、社会、文化、文学問題でもそうである。
1914-1945年のショックのあとで、文学からはお金(少なくともその具体的な金額)がほぼ完全に消えた。
富や所得への具体的な言及は、1914年以前には、あらゆる国の文学に見られた。
しかし、そうした言及は、1914-1945年にだんだん姿を消し、二度と復活していない。

これはヨーロッパや米国の小説だけでなく、他の大陸の小説でも言える。ナジーブ・マフフーズの小説、少なくとも両大戦の間でインフレで物価が歪んでいないカイロを舞台にした小説では、登場人物の状況を示して、その心配事を描き出すために、所得や富にやたらに注意が向けられる。
(これはバルザックやオースティンの世界とあまり遠くはない)

社会構造はまるでちがうけれど、ものの見方や期待や上下関係を金銭的な言及との関連で描き出すことは、その頃も可能だった。

1970年代のイスタンブール、つまりインフレによりお金の意味がかなり前からあいまいになっていた都市を舞台にしたオルハン・パムクの小説には、具体的な金額の言及がまったくない。
そして『雪』でパムクは、主人公に、お金の話をしたり、去年の物価や所得について論じたりするほど、退屈なことはないと言わせている。
19世紀以来、世界は明らかに大幅に変わった。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、116頁)

〇昔と同じく今も、富の格差はそれぞれの年齢層内部にだって存在しており、相続財産は21世紀初頭でも、バルザック『ゴリオ爺さん』の時代に迫るくらいの決定的な要因となっているのだ。長期的に見ると、平等性拡大を後押しする主要な力は、知識と技能の普及だった。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、24頁)



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