電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

孫文と辛亥革命 その2

2011-06-03 23:59:16 | その他・研究

先週は「カンフーパンダ2」がアメリカ本土など世界各国で公開され、あちらの公式サイトを見るとfacebookのいいね!数が400万超とものすごい数字になっているみたいですね。(これは1+2の数字?)http://www.kungfupanda.com/
日本は少し遅れて今年の夏休みに公開予定ですが、アニメって事で日本語版も用意されると思います。
http://www.kungfupandainternational.com/intl/jp/
そうなるときっとジャッキーのボイスアクター石丸さんの出番になりますね。アニメだからって軽視は勿論しませんけど有名スターも起用したりとかアニメ大国日本にも負けてはいられないというアメリカ・ドリームワークスの意地も感じますね。石丸さんにはジャッキー同様、いつまでも現役でいてもらいたいです。

さて、今回書きたかったのは前回の孫文&辛亥革命の続き、その2です。

今回は映画「1911」の背景などについて考察してみます。ジャッキーが歴史上の人物を演じるということでどうしても演技力に期待しちゃいますが、ピーター・チャンの「孫文の義士団」という映画がかなり良かっただけに「1911」の方もどんなテーマを秘めてるとか、どこまで迫力のある映画に出来ているかなどにも注目したくなる今日この頃であります。

ではここでほんのちょっとだけその歴史、史実の方の確認をしておきますね。
映画がどんな風になっているのかについては実際に目にするまで無論分かりませんが、史実の要点を簡単に解説してみますので映画の参考にでもなれば・・・。(注意:映画を見てから知りたいという人は↓を読まないでください)

ジャッキーが今回の映画で演じるのは黄興(こうこう)という人。この人物に少し目を向けてみましょうか。
辛亥革命の本を読んでいると普段あまり使わない聞き慣れないちょっと難しい言葉とか沢山出てきますね。ではその用語の中から少々解説を。
まず、蜂起という言葉が頻出すると思います。これは反乱とか叛乱の意味ですが革命運動を表すときによく使われるようです。つぎは“武昌蜂起”。武装蜂起なら何となくわかります。でも突然出てくる、武昌蜂起って何なんだよって頭の中を駆けめぐりますが(苦笑)、これは武昌という土地で起こった蜂起の意味でした。わかってしまえば、なーんだってな感じになっちゃいますがこれで少し飲み込みも早くなったと思います。
黄興という人は辛亥革命のリーダーの一人でした。辛亥革命という名前は清朝が滅亡した1911年の干支が辛亥だったので辛亥革命と呼ばれます。
革命を起こしたグループは3つあり、孫文の興中会、黄興の率いる華興会、章炳麟(しょうへいりん)の光複会の3つからなります。ちなみにこれらのグループは地下組織であり秘密結社の要素が強いのですがいまだその詳細はわかっていない部分が多いとされています。
まず最初に動いたのは孫文で、1905年には日本へも来日して様々な活動していました。いざ革命をするにはどうしても1つのグループでは困難なので3つの会派が結集する必要があったのです。そこで新しい同盟組織”中国同盟会”が結成されますが、やはり孫文が頭領になるには第2の人物、即ち黄興の協力が必要だったのです。黄興は日本で孫文と会い、孫文をリーダーとして認めたのです。彼がいなかったら革命はどうなっていのか分からなかったでしょう。

1874年、湖南省長沙で生まれた黄興は本名を黄軫(こうしん)と言いました。革命活動をするにあたり名前を黄興と変えたそうです。彼は5人兄弟の末っ子で、面白いことにカンフーの練習にとても熱心だったと言います。(まるでジャッキーみたいですね!)彼は18歳で結婚してその後、2児をもうけていました。武昌にあった最高学府・両湖書院で学びながら日本へも留学して、この留学を期に革命家として開眼するのです。黄興の出身地・湖南には情熱的な人が多かったそうです。(あの『截拳鷹爪功』で唐炎燦が演じた人物・左宗棠も湖南出身でした。史実では彼も激情家だったのです。映画でも左宗棠の性格が巧く表現されていたと思います)ここの土地の人間とはケンカをするなと言われるほどでした。義和団の乱の頃、清はロシアから七ヶ条の要求をされます。これは一部の省をロシアの勢力圏とする条項でした。そして1903年、日本への留学生だった黄興は反ロシアの集会に参加したのち、上海に移動します。日本より自国で運動すべきだと悟ったのです。上海で教員となった黄興は革命運動をしながら名前を広めていきました。留学生と秘密結社との間に亀裂が生じないよう配慮したりして誠実な人柄で人々から尊敬されていた黄興は秘密組織・華興会のリーダーになったのでした。
しかし、清政府から逮捕命令が下り、日本に亡命しました。1905年7月、横浜に来航した黄興は宮崎滔天を介してようやく孫文と初めて会うことになります。この時、同盟を結んだのです。その後、孫文が革命資金調達を諸外国で展開している頃、一切の軍事を託された黄興は蜂起準備などのため香港へ向います。広州での武装蜂起失敗などを経て、1911年10月10日、武昌蜂起が起こりました。これにより300年続いた清はついに滅亡する事となったのです。

史実をみる限り孫文たちは革命運動、資金集めなどに奔走し、日本や東南アジアを何度も渡航して(孫文はマレーシア、サイゴン、シンガポールそしてヨーロッパなど諸外国へも)目まぐるしく見えますが映画という限られた短い時間の中でこれらを事細かく再現するのは無理がありますし、悠長にそんな細部までの描写は必要ないと思います。しかし、映画では史実も踏襲しつつ、ジャッキーをはじめとするアクター諸氏がどんな工夫をしてみせているのかとてもワクワクさせられます。

黄興はクリスチャンだった孫文と衝突したりして内紛もあったそうなんですが、リーダー3人の人間模様はどんな風に描かれるのでしょうか。辛亥革命は、孫文が現場から遠く離れていようともその指揮官としての指導力が発揮され成し遂げられたのですがそのリーダー孫文にしてもケンカ番長・安部氏が著書で論述していますようにその実体はいわゆる洪門の人でもあり、他にもバツイチ、短気な性格、そして収賄容疑と人間臭さ、多様さが当然ながらあったりする訳なのでドラマなんかももっと作られるかも知れないですね。(作られるにしても日本への輸入はいつも遅いんですが・・・) ほかにも浅井三姉妹じゃなかった(笑)、あの「宋家の三姉妹」も孫文に大いに絡むストーリーでありますし(そういえばこれってミシェール・ヨー、マギー・チャンという豪華なキャストでしたね。これは探さねば!)「1911」も今からとっても楽しみなのですが、まだ間がしばらくあるのでそういった関連作品なども見ながら秋のロードショーを迎えたいと思います。終

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