2月15日、京丹後町間人に出かけてみる。
第31代用明天皇の皇后である。
574(敏達3)年、聖徳太子(厩戸皇子)を生む。
587年、穴穂部間人皇后(この地では「はしうど」と呼ぶ)は、都での蘇我・物部両氏の権力争いを逃れ、自分の領地である大浜に何年か滞在した。
都へ帰るときに、世話になった里人への感謝の意を込めて大浜「間人村」という名称を与えた。
しかし、里人は皇后の名をそのまま使うのは畏れ多いと考え、文字だけをいただいて、皇后の御対座にちなんで「たいざ」と呼ぶようになった。
奈良平城京跡から「丹後国竹野郡間人郷土師部乙山中男作物海草六斤」と墨書された神護景雲四年(769)の木簡が発見されている。
立岩をのぞむ海岸に、「間人皇后・聖徳太子母子像」がある。
http://www.bell.jp/pancho/travel/tango/sec-14.htm
又、丹後間人ガニも全国ブランド
幻と言われる 「間人(たいざ)ガニ」 をご存知でしょうか?
間人ガニは、京都北部の丹後半島・丹後町間人(京丹後市)の間人港(たいざこう)にて水揚げされた
「ずわいガニ」のことです。
ちなみに、松葉ガニの正式名称がずわいガニといいます。
この間人港で水揚げされたずわいガニのみをを「間人(たいざ)ガニ」と呼びます。
間人ガニが有名な理由は、間人港が丹後半島沖までのずわいガニ漁場に近く、
漁協所属のずわいガニ漁船5隻が、その日とれたずわいガニをその日のうちに港に持ち帰る
「日帰り操業」を行うことにあります。
大きな港のずわいガニ漁船は、大きな船で数日間帰港せず(沖合いに停泊)かに漁を行うのに比べ、
格段に新鮮なずわいガニを港に持ち帰ることができるわけです。
但し、冬の日本海は時化(しけ)が頻発するため、小型船で操業する間人港の間人ガニは、
安定した水揚げが保証できないため、「幻の間人ガニ」ともいわれます。
丹後町
http://www.tan-go.jp/
本当に物語が沢山の京都丹後です。