昨年から本当に色々とお世話になっている「京都大学環境保全センター助教」「びっくり!エコ実行委員会理事長」の浅利美鈴先生
与謝野町ブランド「京の豆っこ米」について素敵な言葉を頂きました
内容は、
江戸時代、一般的に一人一日、どれくらいお米を食べていたでしょうか?
①0.6合(茶碗2杯)
② 1合(茶碗3杯)
③ 2合(茶碗6杯)
④ 3合(茶碗10杯)
⑤ 5合(茶碗15杯)
これは、私がいろいろな場でお話させて頂くときに、よく出すクイズです。
答えは、④3合(茶碗10杯)。
ここで、いつも驚きのどよめきがおこります。
そうです、江戸時代の人はこんなにお米を食べていたのです。
これは昨年(2009年)の夏、
5回目となる「びっくり!エコ100選」(http://www.eco100.jp/ 会場:京都&新宿タカシマヤ)で、
「江戸時代」をテーマにとりあげた際、東京都江戸東京博物館の近松先生から教えて頂いたものです。
当時の農業の総生産高は、米に換算して3,000~3,500万石。
江戸時代に、一人一年に食べる米の量は、1石(約150kg)、つまり1日お茶碗10杯程度。
そして、江戸時代の日本の総人口は3,000~3,500万人でほぼ一定。
つまり、「人口」×「一人あたり食料消費量」=「総生産量」の関係が成立し、
食料自給率100%が成立していたのです。
持続可能な日本の姿がそこに見出せます。
これだけではありません。
様々な物が、徹底的に利用されていました。
いわゆる「もったいない」の心です。
それがほんの百数十年前のこと。
つまり、遠くない昔に、持続可能な社会の知恵やライフスタイルが存在していたということになります。
では、現在はどうでしょう?
私は「ごみ」の研究をしていますが、
「ごみ」を調べると、生活や社会の様子がよくわかります。
まず、「もったいない」ごみがたくさん出されています。
食べ残しのご飯や、全く手をつけずに捨てられた食品など。
また、料理をする人が減っていることも感じます。
一方、レンジで温めればすぐに食べられるようなものなどが増えています。
同時に、健康面や精神面で、様々な影響も出てきていることは言うまでもありません。
こんな暮らし、いつまでも続けていて良いのでしょうか・・・
そんな時に出会ったのが、与謝野町でお米を作っておられる方々(香山さんら)です。
私は、そこに、改めて日本人のパワーの源を感じました。
私が感動したのは、大きく4つの点です。
まず、お米のお味です。
もっちりした食感と、優しい甘さ・・・
これなら、江戸時代なみに、お米だけで10杯くらい食べられそうです!
同時に、そのお味の秘密が知りたくなる訳です。
2つ目は、味とも関連しますが、その栄養源です。
このお米は、「魚のあら」と「おから」と「米ぬか」から作られた
有機質肥料(京の豆っこ)だけを使って作られているのです。
勘の良い方はお気づきかと思いますが、これらの材料は、
どれも、ともすれば「ごみ」として捨てられるもの。
それを有効活用して作られた、いわば現代の「もったいない」の知恵といえるでしょう。
目に見える循環の輪ができているのです。
3つ目は、育てている人。
お米を食べる人のこと、地域のこと、子供たちのことを考え、
高い志を持ってお米を育てておられます。
この人たちが作ったものなら・・・
4つ目は、その環境。
与謝野町は、京都府の日本海を臨む大きくない町ですが、
まさに、青い空と海、緑の山が広がり、水田が輝く地です。
一度、その風景を見ると、忘れることができません。
お米とともに、大切にしたい風景です。
美味しいお米を中心とした健康な食事。
私たちは、幸いにも、明日からでも始められる環境にあります。
「いただきます」や「もったいない」という日本人の心とあわせて見直して、
明日からの食卓に取り入れて頂ければと思います。
如何でしたでしょうか
改めて思います「お米」は日本の宝物です。
与謝野町ブランド「京の豆っこ米」について素敵な言葉を頂きました
内容は、
江戸時代、一般的に一人一日、どれくらいお米を食べていたでしょうか?
①0.6合(茶碗2杯)
② 1合(茶碗3杯)
③ 2合(茶碗6杯)
④ 3合(茶碗10杯)
⑤ 5合(茶碗15杯)
これは、私がいろいろな場でお話させて頂くときに、よく出すクイズです。
答えは、④3合(茶碗10杯)。
ここで、いつも驚きのどよめきがおこります。
そうです、江戸時代の人はこんなにお米を食べていたのです。
これは昨年(2009年)の夏、
5回目となる「びっくり!エコ100選」(http://www.eco100.jp/ 会場:京都&新宿タカシマヤ)で、
「江戸時代」をテーマにとりあげた際、東京都江戸東京博物館の近松先生から教えて頂いたものです。
当時の農業の総生産高は、米に換算して3,000~3,500万石。
江戸時代に、一人一年に食べる米の量は、1石(約150kg)、つまり1日お茶碗10杯程度。
そして、江戸時代の日本の総人口は3,000~3,500万人でほぼ一定。
つまり、「人口」×「一人あたり食料消費量」=「総生産量」の関係が成立し、
食料自給率100%が成立していたのです。
持続可能な日本の姿がそこに見出せます。
これだけではありません。
様々な物が、徹底的に利用されていました。
いわゆる「もったいない」の心です。
それがほんの百数十年前のこと。
つまり、遠くない昔に、持続可能な社会の知恵やライフスタイルが存在していたということになります。
では、現在はどうでしょう?
私は「ごみ」の研究をしていますが、
「ごみ」を調べると、生活や社会の様子がよくわかります。
まず、「もったいない」ごみがたくさん出されています。
食べ残しのご飯や、全く手をつけずに捨てられた食品など。
また、料理をする人が減っていることも感じます。
一方、レンジで温めればすぐに食べられるようなものなどが増えています。
同時に、健康面や精神面で、様々な影響も出てきていることは言うまでもありません。
こんな暮らし、いつまでも続けていて良いのでしょうか・・・
そんな時に出会ったのが、与謝野町でお米を作っておられる方々(香山さんら)です。
私は、そこに、改めて日本人のパワーの源を感じました。
私が感動したのは、大きく4つの点です。
まず、お米のお味です。
もっちりした食感と、優しい甘さ・・・
これなら、江戸時代なみに、お米だけで10杯くらい食べられそうです!
同時に、そのお味の秘密が知りたくなる訳です。
2つ目は、味とも関連しますが、その栄養源です。
このお米は、「魚のあら」と「おから」と「米ぬか」から作られた
有機質肥料(京の豆っこ)だけを使って作られているのです。
勘の良い方はお気づきかと思いますが、これらの材料は、
どれも、ともすれば「ごみ」として捨てられるもの。
それを有効活用して作られた、いわば現代の「もったいない」の知恵といえるでしょう。
目に見える循環の輪ができているのです。
3つ目は、育てている人。
お米を食べる人のこと、地域のこと、子供たちのことを考え、
高い志を持ってお米を育てておられます。
この人たちが作ったものなら・・・
4つ目は、その環境。
与謝野町は、京都府の日本海を臨む大きくない町ですが、
まさに、青い空と海、緑の山が広がり、水田が輝く地です。
一度、その風景を見ると、忘れることができません。
お米とともに、大切にしたい風景です。
美味しいお米を中心とした健康な食事。
私たちは、幸いにも、明日からでも始められる環境にあります。
「いただきます」や「もったいない」という日本人の心とあわせて見直して、
明日からの食卓に取り入れて頂ければと思います。
如何でしたでしょうか
改めて思います「お米」は日本の宝物です。