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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

“カールおじさん”

2009年03月07日 | 今日も生かされて
少しばかり首をすくめるひんやりした風が心地よく感じた今日。降り続いた雨で一日家で過ごした昨日が 大も小もいささか疲れ気味だったせいだろう、開放感を味わいながら駅へと歩く。

車道を何かが転がる音で目を向けると、“カールおじさん”が風に舞いながら飛ばされていた。―拾うべき?― 拾うことが私の仕事だろうか、 柄にもなくこ難しくわが身に問題提示。「誰の仕事でもない仕事」という類があって、それができる人は「働くモチベーションの高い人」という、いつかどこかで読んだくだりを思い出していた。なーんと、こんなときに!?さらには養老孟司氏の「仕事とは……社会の穴を埋める……」、うろ覚えの箇所さえ浮かべていたのだった。何という飛躍だろう。

【仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴があいていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴があいているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。】
【合うとか合わないとかいうよりも大切なのは、いったん引き受けたら半端仕事をしてはいけないということです。一から十までやらなくてはいけない。それをやっていくうちに自分の考えが変わっていく。自分自身が育っていく。そういうふうに仕事をやりなさいよということが結論です。】 『超バカの壁』より

今こうして再確認してみると、なぜか自分のこれまでが重なる。少しばかり思いがこみあげるが、おし隠す自分がいる。

拾ったって……ゴミ箱ないし、車道を追いかけて危ないじゃないの。車のかげにカールおじさんは消えてしまった。別に誰かに認めてほしいわけじゃないし、誉めてもらわなくたってよいこと。自分が自分の心をちゃんと知ってさえいればいい。
自分の基準・ものさしが自分の中にあるのだ。声高に自己を主張しなくとも自分のものさしでバランスを取りながら私は生きていくんだろう。

おじさんは私に拾ってほしかったろうか。
あ~、仏様が見ていたなあ……このご都合主義的な私を。

コメント (9)
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