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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

I was born.

2009年03月05日 | 今日も生かされて
I was born.
ふと目にとまった「I was born」、それは吉野弘さんの詩の題であった。
「確か 英語を習い始めて間もないころだ。」と始まる散文詩。

 (父と歩く少年が、身重らしい女性とすれ違う)
「その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと諒解した。」
 
ずっとどこかでひっかかっていた私の思いに触れた気がした。

「―やっぱり I was born なんだね―」
「―I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね― 」
 
「生まれる・be born」、受身形で表すことを習ったとき、理由はないが何か意識したことだけははっきり記憶しているのだった。
このときの少年には「文法上の単純な発見にすぎなかった」とある。

生まれる・受身形で表す……
まさに「与えられた生・命」だが、今度は自分の命として、自ら懸命に輝かせて生きることが求められてくる。

「誰も頼んだ覚えはない」などと憎まれ口も叩く。頼みもしないのにこの世に放り出され、生き続けなくてはならない。限りあるいのちであればこそ、年齢を重ねることで、生かされている命をふと感じることもあるが、そうした否応なしの現実であっても、人間の力には頼もしいものが潜んでいるんじゃないだろうか。

「I was born」 に、生かされた命を初めて重ねた日となった。
コメント (6)
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