kyon's日誌

つれづれに・・・

理想としての老い

2014年12月02日 | 日記
朝から木枯らしっぽい風が吹いている。
お~・・・やっぱ、ちょっと寒いね。風が冷たいと体感気温もグッと下がる気がする。
北国地方の皆さまはお気をつけ下さいまし。
あ、ワタシもだ(笑)

さて、昨日紹介した本の題名に間違いがあったので、お詫びして訂正しておきます。

『「老いる」とはどういうことか』でありました。
申し訳ない!河合隼雄さん、ごめんなさい!

で、一つだけ加えておきたい文章を引用させて頂く・・・

_老いという不規則で不連続な多重構造を自分の中に育てるためには、
ひとつの観点の変革が必要なのではないかと思われる。
それは生物というものが規則的な連続的な被造物であるあるという思想を捨てること、芯の芯までむいていっても何もないところからかえってひとつの前衛的見解に達するかもしれないこと、日本のお能にみられるように、醜悪な老いは極限的には美しくあり得るという矛盾を受け入れることなどが、必要なのかもしれない_
(免疫学の権威である多田富雄氏の書かれた「老いの様式」にあった言葉からの一文)
の、言葉に河合隼雄氏が感銘を受けたので連載を引き受けた・・・とあった。

末尾に多田氏との対談も載っていたが、自分がこれからもっと歳を重ねるうえでの良き指針ともなった。
高々61年でも、自分も戸惑っていることは沢山ある。
でまた、これが正しいという決定打は何もない。
それが未知との遭遇であるからだと思える。
その未知との遭遇を少しずつ自然に受け入れていけるように歳を重ねていきたいと漠然と思っていたが、そういう意味でののヒントを頂いた気がしている。
「老い」と抗いながら、「育自」をしていけたらと思う。

さて、どんなクソ婆が出来上がるか、ワタシは実はちょっと楽しみでもある。
エラそうに聞こえてしまうだろうが、叶わぬまでも理想は持ちたい。
今の時点で、そう思ったのだ・・・
これもどこまで育自を続けられるか・・・
まぁ、元がアバウトだからね、信用は出来ないけどね(笑)
のらりくらり・・・理想だけ高くて過ぎるのかもしれないけどね・・・(^_-)-♪
まぁ、その時は笑ってやってください(^^ゞ
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14 コメント

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Unknown (いつでもゆめを)
2014-12-02 07:35:30
育自かぁ・・・また良い言葉を教えてもらった気がします
矢印は外側にだけでなく 自分という内側にも向けていないといけないんですねー
ところで 私も どんな ”あほたればばぁ”になるか?
すっごく楽しみです(笑)
出来うることならば 天に召されるまで
”いい加減にしたら!”って娘に言われるほど
口達者な 好奇心ばあさんでいたいです
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おはようございます (くみ)
2014-12-02 07:36:15
未知との遭遇・・・おもしろ~い
そう考えると、なんか楽しい
どんな婆さんになるか・・・
まあ、基本は変わらずおバカさんで自己中だろうけど、子の負担にならないよう気をつけねば!
まずは健康第一!
返信する
ゆめ様へ (kyon)
2014-12-02 07:42:14
「育自」というのは、昔我が子のしつけに困ってた時に出逢った本の題名です。
そういう活動をしている団体もあるやに聞きます。
子供を育てることは、自らを育てること・・・的な(笑)

でも、実践は出来なかったなぁ~(笑)
全くのダメ親なんで(笑)
性格に合わなかったというか・・・(笑)
今度こそ・・・自分に課題な訳さ~あはは
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くみ様へ (kyon)
2014-12-02 07:44:35
え?
だって、分かんないもの(笑)
母を通してしか分からない世界だもの・・・
でも、個人差、あるでしょ?
親子といえども違う人生を持っているんだからさ~(笑)
自分は自分なりの・・・で・・・(笑)
そう、
それには健康第一!だねっ(^^ゞ
んだす。
それだけは必須ね・・・(^^ゞ
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そもそも (黄釈子)
2014-12-02 09:56:03
引用文章だけでしか分かりませんが、老いの注釈も難しいけれど、その文章に感動したという人も、これまた難しい脳みその構造をしているようですね?

分かるような分からないような。

機械も植物も生物も天体だって、時間の経過とともに変化する。変化の先に、成長があり老化があり、終焉があるというわけで、菅原文太も80歳を越えたら、死んでもいい。

十分人生を生きてきた。

死ぬまで、頑張って働く人の顔は美しい、と思いますね。
特に、身体を動かして、自分以外の人のために身を粉にして働く人は、しわだらけの顔にも美しさがある。

自分のためにだけ生きようとする人は、常に不満だらけで、顔に卑しさが表れる。これはどれだけ、安置英人具で顔に金をかけても、美に通じる醜悪さえ、程遠い。

って、わたしゃ、思います。
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この世の醜悪とは・・・ (伊豆の花)
2014-12-02 10:15:02
こんにちわ・・・当地も寒い!です。

「醜悪な老いは極限的には美しくあり得る」

この考え方は、我が脳細胞と心臓を直撃しました。

この世に「醜悪」が存在するとすれば、「差別する心」かも知れません。
でも、それも人間に付与された(誰からなのか分かりませんが)感情の一つですから、やはり、「それも有り」で受け入れるしかないのでしょうね。

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美! (チェロ)
2014-12-02 12:03:15

こんにちは、

醜悪な老いであれば、
お任せください、
それが根源的な人間そのものであり、

美なのです?
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黄釈子様へ (kyon)
2014-12-02 16:28:00
ん。
文太さんは美しく潔くスッキリと自分を生きた感じがしますね・・・ブレナイ自分を保ち続けた・・・感、する。

ワタシも多田氏の「老いの様式」なる本を読んでいないので借りものですが、
お能には「入舞」なるものがあるのだそうで、
全ての舞を終えて舞台を去る時、また舞台に戻って最後のひとさしを舞ってから舞台をさる・・・みたいなものらしいですが、そのことを例えに使って対談されていました。

老いたから全てを終わるのではなく、老後の初心というものを持ってみるのも良いのではないか・・・的な・・・
頭のいい方たちの文章は難しいです。
私だってしっかり分かっている訳では無いっす(笑)
ごめんなさいね~(^^ゞ

でも、お能の形式美みたいなのは美しいと思う。
老女も老婆もその所作や積み重ねたものがにじみ出る・・・凄い伝統芸術ですよねぇ・・・
世阿弥の事にも触れていました。
「風姿花伝」にその能役者の技を磨く心得のようなものが書かれているのがあるのだとか・・・
作り上げたものにもう一つの工夫や技が加わってもいい・・・老いて出来なくなるのではなく、老いたからこそ出来る工夫や技がある・・・どこまで行っても、自分を磨き続ける・・・みたいな、例えだったように思います。

まぁ、ワタシはその世阿弥の書いたものも読んではいないので、あちこちの受け売りですけどね(笑)

ところで、アンチエイジングを漢字で書くと・・・面白いね(笑)
なにも手を掛けない自分もちょっとエヘンと言いたくなる感じがします(笑)
まぁ、・・・感じだけです(笑)
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伊豆様へ (kyon)
2014-12-02 16:36:20
こちらやはり雪が降ってきましたよ。風も強くて、台風並みです(笑)でも、散歩に行きました(笑)
ひどいね(笑)

さて、醜悪なる・・・と文章にはありましたが、伊豆様の仰る通り、容姿が衰えるという事ではないとワタシも思います。
其々の心のあり方なのかもしれないとワタシは思いました。
で、自分を見捨てないことだな・・・とも思いました。
そうして生きていらっしゃる方は、やはり美しいと言うにふさわしい気が、私なりにしています。

老いても美しい方は沢山いらっしゃる・・・そういう方達にに学びたいなぁと思ってます。・・・理想です(笑)
あくまで、理想です(^^ゞ
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とうとう師走ですね (鞍馬天狗)
2014-12-02 16:37:30
気がつくと、今年も残り一ヶ月を切ったんですね。

時がたつのは早い。

そして歳をとるのも早いです。

>芯の芯までむいていっても何もないところからかえってひとつの前衛的見解に達するかもしれないこと、

これは卓越した考え方だと思いました。

「何もない・・・・」

ある意味、とても前向きな考え方だと思います。

何かあると変に執着しちゃいますもんね^^


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