kyon's日誌

つれづれに・・・

厳冬

2017年01月13日 | 日記
   
左の写真・・・能代に到着してから撮った商店街・・・
右の写真・・・翌日秋田に戻った時の駅裏のバスターミナル・・・

能代は寒かった!オマケに強風。タダモノじゃない・・・向かい風の時は前に進めないし、追い風だと体が押される・・・・なんてぇ~こった・・・てな感じ(笑)
後でニュースで見たら瞬間風速25メートル・・・翌日は30メートル・・もう笑うしかない。
一晩中家が揺れてるような感覚と風の音・・・ゴーゴーと・・ありゃ凄い。
妹には呆れられた(笑)よくぞこんな時に・・・と(^^;)
地元の人でさえこんな日に出歩くなんてしない・・・てな感じですかね・・・真冬の台風並みでした。
でも、歩きました、病院まで(笑)
持ってる荷物が重し代わりの感じでさ・・・母は「お~来たか」・・・外の様子はカーテンを閉め切ってただひたすら寒いと言いながら。
あ~・・・太平楽な母である・・と思いながらまぁ・・・こんなもんよね・・・と、笑うしかない。

こんな天気ですからね、連絡を取った友人とは会う事を止めた。それでもお宅の辺りまで行くから・・・なんて、車で行くからと気丈なお言葉・・・え~・・・今回でなくていいよ、こんな日に出歩いて何かあったらさ~と、会うのは次回にした。
で、電話であれこれ・・・
彼女の母上はアルツハイマーであるが、処置というか、気付いた時が早かったせいか、今も85歳で独り暮らしをしているとか。毎日彼女が通うらしい。近いのでそれも出来るようだし、下の方もまだ大丈夫だとか・・・
高校の時は同級生で東京に出た時も最初は連絡はしていたが、そのうち会う事もなく・・・
あれから40年以上になる・・・年賀を頂くようになって10年くらいかな・・・
旦那様が定年を迎えた時から生活が一変して父上が亡くなり、母上の介護生活が始まったらしい。
三人の男児を育て孫も居る・・・
高校時代の内気で色白、控えめなイメージが全く感じられない明るく力強いお声・・・電話の向こうの彼女も「逞しく強くなったよ~」と笑う。
何だか元気を貰うような気持ちでワタシも清々晴れて来る気がした。

有島武夫の文章中の言葉が浮かんだ・・・赤銅色・・・
内気で色白な弱々しい少年が数十年を経て、恩師と会った時、逞しい筋骨と日焼けした赤銅色の青年となっていた・・・というくだりだ・・
彼女は女性であるから、赤銅色という事はないだろうが、心も精神も赤銅色になっているんだろうなぁと想像させた。
それが嬉しかった。色々あったのだろうねぇ・・・
学生時代には考えられないくらいの大きな声でさ・・・(笑)これからもこちらには来るから、お互いにいい時間を選んで、無理のないところで会いましょうと電話を切った。30分も話していたかな~(笑)
外は寒風で冷え込んで・・・路面凍結でそろりそろりと歩まねばならないしストーブを炊いても中々家の中も暖かくならないのだけど、ワタシは電話で気持ちは小ザッパリ(^^ゞ

さて、電話が終わって、これから風呂に入れるかと病院に吹き飛ばされそうになりながら出掛けると、母は風邪ひいてるし体調も悪いしと、風呂は止めると来た。
ふ~ん・・・そっかい・・
可笑しかったのは・・・
丁度、看護婦さんが体温計を持ってお熱測るよ~と・・・
で、「36.1度、ちょっと低いかな?でも大丈夫、風邪もひいてないねっ」と言ったとたん・・・風邪をひいた、具合も悪いというのが何処かしら白けたようで・・・目がね・・・自分は具合が悪いのに分かってない看護婦メ!という目で・・・(苦笑)
面白く無~いという風な・・・う~・・・役者メ・・・とワタシは内心・・ニッと母を見ながらケケケ・・・と、腹で笑った。
背中を熱い湯で拭き、下着を替えさせ、まぁ・・・いつもの如くあれやれ!これやれ!と命令?を受けつつこなし・・やれやれ・・・
米寿の祝いも誕生日が過ぎてからに軽くやろうね、それまで元気で頑張ってね・・・と言い残して秋田に戻った。
高速バスはちゃんと動いてくれた・・・今日からまたまた荒れそうである空模様・・・
昨日帰ってきて正解だろう・・・さぁ、掛かってらっしゃい、冬よ・・・な~んてね、言えないようなことも心で言ってみる(^^ゞ
コメント (12)
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