8月も終わり、いよいよ9月に突入~
先週は今年最後(多分・・・・)の浴衣着付け
今年はキャバクラさんの浴衣イベントも多く、浴衣着付けの腕があがった上がった~
帯結びも研究したので、バリエーションも増えました
経験をする事は技術が磨かれるという事をヒシヒシ感じました
さて、ネットである記事をみかけました
明日死ぬかもしれない。そのときあなたは、人生を後悔しない自信がありますか? 誰にでも、いつかは必ず死が訪れます。今生きている人たちが後悔しないように、納得して人生をまっとうするためのヒントを紹介します。
●医者は奇跡を起こせない
私が所長をしている東京女子医科大学附属青山自然医療研究所クリニックには、西洋医療では手の施しようもなくなり、「手は尽くしましたが、もう助かりません。余命○○です」と宣告された人がたくさんいらっしゃいます。
木村さん(仮名、50代男性)もその1人でした。今まで病気らしい病気をしたことがなかったのに、いきなりステージ4の肺がんを宣告されてしまったのです。
胸が苦しくなって病院に行き、調べた結果、胸水がたまっていました。肺腺がんでした。進行してリンパ節への転移や遠隔転移を起こしやすく、死亡率が高いがんと言われている病気です。
「先生、お願いします。まだ死にたくないんです。なんとかしてください」
こう訴える木村さんの緊張をほぐそうと、私はこう言いました。
「多分、大丈夫だと思うんですけど。治療すると、生きちゃいますよ。生きちゃって、よろしいんですか?」
すると木村さんの顔が緩み、それまで怖れと不安に歪んでいた表情に、かすかな笑みが浮かんできました。
笑いが取れたらこっちのもの。患者がなんとかなると自分で思ってくれれば、それだけでずいぶんと違います。
病気が悪くなるかよくなるかは、その人の考え方や態度次第です。病気に気持ちが負けて、よくなろうという意欲を失くしてしまえば快方に向かうことはありません。患者自身が「よくなろう」と思わなければ、よくはならないのです。
医者が患者を診察して分かるのは病態だけです。どんな名医でも、その病気を引き起こした本質的な原因は分かりません。原因が分からなければ、それを取り除くことはできません。
だから医者は病気を根本から治すことも、何かの魔法で奇跡を起こすこともできません。医者が患者に提供できるのは、その病態に合った病名、そして症状を一時的に抑える治療だけです。
病気の根本的な原因は患者自身にあり、それに気付くことができるのは患者だけだと私は考えています。それに気付いて自分を正せる患者が、西洋医学の常識では信じられないような奇跡を起こすのです。
●死を意識すると、生きたい理由を真剣に考えるようになる
「木村さんは、どうして生きたいんですか?」
私の質問が予想外だったのでしょう。木村さんは「エッ?」と言ったきり、絶句してしまいました。けっして私は意地悪でこんな質問をしているわけではありません。今までたくさんの患者を診てきましたが、「なぜ生きたいのか」を真剣に考えてこなかった人があまりにも多いのです。
たいていの人が、死にたくない理由、まだ生きていたい理由すら真剣には考えていません。そのため、生活習慣病のリスクだらけの日々を送って、ある日突然、死を意識せざるを得ない状況に直面してしまうのです。
病気は、「こんな生活や考え方をしていたら、とても健康ではいられません」と、体と心が発するSOSです。言葉を発せない体や心が「なんとかしてくれ!」と悲鳴を上げてあなたに訴えているのです。
それでも自分を正さず、体や心をいたわらない人には「ここまで悪くならなければ、気付いてくれないのか」と、体が最後通牒をつきつけ、がんのような死を強く意識する重い病気を発症して「このままでは、とても生きていられない! なんとかしてくれ!」と必死で訴えるのです。
がんという病気は、考え方によってはいい病気だと、私は思っています。
がんはたとえ早期であっても死を意識する病気です。ここで死んではマズイと思えば、なんとか病気を治そうという気力が湧いてくるし、習慣を変えてでも生きようとするからです。
死を意識するということは、自分自身の寿命を意識することです。自分自身の寿命を意識すると「生きることには限りがある」と考えざるを得ません。ならば、そのなかで自分がやりたいことは何かを真剣に考えます。
それをやるためには、あとどのくらい生きていたいのかを考えるのです。
そして、自分のやりたいことのために限りある時間を有効に使うには、健康でいることが大切だと思い、医療とのかかわり方をきちんと考えるようになるのです。
●今、自分が死んで困ることは何ですか?
絶句してしまった木村さんに、私は「死んで困ることはなんですか?」と聞きました。「死んでは困ること」――それが患者のやるべきこと、やれること、やりたいこと。つまり生きたい理由だからです。
「両親が健在なので看取りたい」
「子どもはいないが、妻とも添い遂げたい」
こう告げる木村さんの目に力がありました。これが木村さんの「生きたい理由」だったのです。
「なぜ生きたいのか」がハッキリと分かっていれば、気持ちが前向きになります。前向きな思いでいると、その気持ちによってホルモン環境も変わるので、体にいい影響が出てきます。生きたいと思えば、生きる方向に向かうのです。
どんな治療をするにしても、患者自身の気持ちが後ろ向きでいたら、効果は期待できません。そのためには、なぜ生きたいのかを考えることが大切なのです。
うーむ。なかなか考えさせらる内容です
何よりも患者さんに
「生きちゃっていいんですか?」なんていうお茶目なウイットに富んだ先生に感心しました
もし自分がその立場になったら・・・・
多分「仕方がない。やれる事をやるしかない」とあっさり受け入れてしまうかも。
というか、日頃からいつ何時、今と同じ健康や環境が保障されなくなるかも・・・という可能性をよく考えています。(ポジティブなのかネガティブなのか・・・???)
だから、起業家講座でよく行う「10年後の自分を想像して夢を描きましょう」というのがとても苦手。
だって、先の事なんて誰にもわからないですもん
驚かれるかもしれませんが、もし歩けなくなったら、もし目が不自由になったら、もし耳が不自由になったら・・・と時々想定したりする事もあります。
歩けなくなったら小物の製作作業に業務転換、目が不自由になったら本や詩を書く、耳が不自由になったら絵を描いたり、公募生活する・・・・
逆境に立った時にどうする自分????と問いかけています
なので、もし余命を宣告されたら・・・・
もちろん、残りの時間で仕事の整理、家の整理、子供の為に残すべき事などなど人生の後片付けをするのみ
わずかな時間をできるだけ大切に有意義に過ごしたいな~。
そう考えると、健康なうちから毎日大切に大切に過ごしていく事が大事なんだと思います。
平穏な生活だとついつい傲慢になりがち
こういう記事は自分の生活を改めて考えなおす機会を与えてくれます
生きていることに感謝ですね
先週は今年最後(多分・・・・)の浴衣着付け
今年はキャバクラさんの浴衣イベントも多く、浴衣着付けの腕があがった上がった~
帯結びも研究したので、バリエーションも増えました
経験をする事は技術が磨かれるという事をヒシヒシ感じました
さて、ネットである記事をみかけました
明日死ぬかもしれない。そのときあなたは、人生を後悔しない自信がありますか? 誰にでも、いつかは必ず死が訪れます。今生きている人たちが後悔しないように、納得して人生をまっとうするためのヒントを紹介します。
●医者は奇跡を起こせない
私が所長をしている東京女子医科大学附属青山自然医療研究所クリニックには、西洋医療では手の施しようもなくなり、「手は尽くしましたが、もう助かりません。余命○○です」と宣告された人がたくさんいらっしゃいます。
木村さん(仮名、50代男性)もその1人でした。今まで病気らしい病気をしたことがなかったのに、いきなりステージ4の肺がんを宣告されてしまったのです。
胸が苦しくなって病院に行き、調べた結果、胸水がたまっていました。肺腺がんでした。進行してリンパ節への転移や遠隔転移を起こしやすく、死亡率が高いがんと言われている病気です。
「先生、お願いします。まだ死にたくないんです。なんとかしてください」
こう訴える木村さんの緊張をほぐそうと、私はこう言いました。
「多分、大丈夫だと思うんですけど。治療すると、生きちゃいますよ。生きちゃって、よろしいんですか?」
すると木村さんの顔が緩み、それまで怖れと不安に歪んでいた表情に、かすかな笑みが浮かんできました。
笑いが取れたらこっちのもの。患者がなんとかなると自分で思ってくれれば、それだけでずいぶんと違います。
病気が悪くなるかよくなるかは、その人の考え方や態度次第です。病気に気持ちが負けて、よくなろうという意欲を失くしてしまえば快方に向かうことはありません。患者自身が「よくなろう」と思わなければ、よくはならないのです。
医者が患者を診察して分かるのは病態だけです。どんな名医でも、その病気を引き起こした本質的な原因は分かりません。原因が分からなければ、それを取り除くことはできません。
だから医者は病気を根本から治すことも、何かの魔法で奇跡を起こすこともできません。医者が患者に提供できるのは、その病態に合った病名、そして症状を一時的に抑える治療だけです。
病気の根本的な原因は患者自身にあり、それに気付くことができるのは患者だけだと私は考えています。それに気付いて自分を正せる患者が、西洋医学の常識では信じられないような奇跡を起こすのです。
●死を意識すると、生きたい理由を真剣に考えるようになる
「木村さんは、どうして生きたいんですか?」
私の質問が予想外だったのでしょう。木村さんは「エッ?」と言ったきり、絶句してしまいました。けっして私は意地悪でこんな質問をしているわけではありません。今までたくさんの患者を診てきましたが、「なぜ生きたいのか」を真剣に考えてこなかった人があまりにも多いのです。
たいていの人が、死にたくない理由、まだ生きていたい理由すら真剣には考えていません。そのため、生活習慣病のリスクだらけの日々を送って、ある日突然、死を意識せざるを得ない状況に直面してしまうのです。
病気は、「こんな生活や考え方をしていたら、とても健康ではいられません」と、体と心が発するSOSです。言葉を発せない体や心が「なんとかしてくれ!」と悲鳴を上げてあなたに訴えているのです。
それでも自分を正さず、体や心をいたわらない人には「ここまで悪くならなければ、気付いてくれないのか」と、体が最後通牒をつきつけ、がんのような死を強く意識する重い病気を発症して「このままでは、とても生きていられない! なんとかしてくれ!」と必死で訴えるのです。
がんという病気は、考え方によってはいい病気だと、私は思っています。
がんはたとえ早期であっても死を意識する病気です。ここで死んではマズイと思えば、なんとか病気を治そうという気力が湧いてくるし、習慣を変えてでも生きようとするからです。
死を意識するということは、自分自身の寿命を意識することです。自分自身の寿命を意識すると「生きることには限りがある」と考えざるを得ません。ならば、そのなかで自分がやりたいことは何かを真剣に考えます。
それをやるためには、あとどのくらい生きていたいのかを考えるのです。
そして、自分のやりたいことのために限りある時間を有効に使うには、健康でいることが大切だと思い、医療とのかかわり方をきちんと考えるようになるのです。
●今、自分が死んで困ることは何ですか?
絶句してしまった木村さんに、私は「死んで困ることはなんですか?」と聞きました。「死んでは困ること」――それが患者のやるべきこと、やれること、やりたいこと。つまり生きたい理由だからです。
「両親が健在なので看取りたい」
「子どもはいないが、妻とも添い遂げたい」
こう告げる木村さんの目に力がありました。これが木村さんの「生きたい理由」だったのです。
「なぜ生きたいのか」がハッキリと分かっていれば、気持ちが前向きになります。前向きな思いでいると、その気持ちによってホルモン環境も変わるので、体にいい影響が出てきます。生きたいと思えば、生きる方向に向かうのです。
どんな治療をするにしても、患者自身の気持ちが後ろ向きでいたら、効果は期待できません。そのためには、なぜ生きたいのかを考えることが大切なのです。
うーむ。なかなか考えさせらる内容です
何よりも患者さんに
「生きちゃっていいんですか?」なんていうお茶目なウイットに富んだ先生に感心しました
もし自分がその立場になったら・・・・
多分「仕方がない。やれる事をやるしかない」とあっさり受け入れてしまうかも。
というか、日頃からいつ何時、今と同じ健康や環境が保障されなくなるかも・・・という可能性をよく考えています。(ポジティブなのかネガティブなのか・・・???)
だから、起業家講座でよく行う「10年後の自分を想像して夢を描きましょう」というのがとても苦手。
だって、先の事なんて誰にもわからないですもん
驚かれるかもしれませんが、もし歩けなくなったら、もし目が不自由になったら、もし耳が不自由になったら・・・と時々想定したりする事もあります。
歩けなくなったら小物の製作作業に業務転換、目が不自由になったら本や詩を書く、耳が不自由になったら絵を描いたり、公募生活する・・・・
逆境に立った時にどうする自分????と問いかけています
なので、もし余命を宣告されたら・・・・
もちろん、残りの時間で仕事の整理、家の整理、子供の為に残すべき事などなど人生の後片付けをするのみ
わずかな時間をできるだけ大切に有意義に過ごしたいな~。
そう考えると、健康なうちから毎日大切に大切に過ごしていく事が大事なんだと思います。
平穏な生活だとついつい傲慢になりがち
こういう記事は自分の生活を改めて考えなおす機会を与えてくれます
生きていることに感謝ですね
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