老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

枕草子のたくらみ ~ 「春はあけぼの」に秘められた思い

2021年03月02日 | 古典文学都市・京都に住まう愉悦

「 定子への鎮魂の書

10月22日は時代祭。

古代から近代まで各時代の著名人に扮した市民が、

京都御所から平安神宮まで歩く。

清少納言と紫式部が同じ車に乗る。

「ニコニコしてはるけど、

ほんとは仲が悪るう二人やて」

という声が見物客から聞こえる。

紫式部が日記のなかで清少納言の悪口を書いている。

清少納言は嫌な女だったのか、

それとも紫式部の嫉妬か。

山本淳子『枕草子のたくらみ』は

意外な真相を明らかにする。

『枕草子』の文章と、

当時の宮中の状況とを照らし合わせ、

清少納言の意図を読み解く本である。

まるでミステリー小説のように興奮する。

江川卓の『謎とき「罪と罰」』や、

ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』を連想した。

『枕草子』は清少納言が一条天皇の妻、

定子に仕えていたころのエッセイである。

定子の周囲の優雅で楽しい日々が描かれている。

しかし史実は逆だ。

定子は兄たちが起こした政治スキャンダルに巻き込まれ、

没落と出家、

そして復帰と早世という波乱に満ちた生涯を送る。

このギャップは何なのか?

『枕草子』は清少納言の身辺雑記ではなく、

定子ひとりのために書かれたのだという。

それも定子の存命中から没後まで

長期にわたり書き継がれたと推測される。

定子存命中は定子を慰め喜ばせるために、

没後は彼女を讃えるために書かれた。

そのために清少納言は、

道化のように失敗してみせもした。

定子の一族にとって政敵である藤原道長は、

なぜ『枕草子』を歴史から消し去ろうとしなかったのか。

それは定子の怨霊を恐れたからだろう。

『枕草子』は鎮魂の書でもあるのだ。

評者:永江朗

(週刊朝日 掲載)    」

 

「 平安に暮らす女房の視線で、

その日常を明るく軽やかに描いた随筆として有名な『枕草子』。

だが、作者・清少納言の執筆の真意は

“お仕えする中宮定子の御ため”その一点にこそあった。

生前は定子の心を慰めるために、

死後にはその鎮魂のために思いを込めて―。

定子の死後、その敵方であった藤原道長の権勢極まる世で、

『枕草子』は潰されることなく、

平安社会に流布した。

果たしてこの事実は何を意味するのか。

『枕草子』が平安社会を生き延びるために、

清少納言が駆使した戦略とは ?

冒頭「春はあけぼの」に込められた、真実の思いとは ?

『枕草子』のまったく新しい扉が、ここに開かれる。

著者略歴

山本淳子
 
1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。
 
京都大学文学部卒業。
 
99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、
 
博士号取得(人間・環境学)。
 
現在、京都学園大学人文学部歴史文化学科教授。
 
2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。
 
15年、『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)で
 
第3回古代歴史文化賞優秀作品賞受賞。
 
各メディアで平安文学を解説       」(内容)
 
 

( kindle版あり )

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