老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

「日本に京都があってよかった」~祇園祭に想う~

2008年07月23日 | 京都雑記

京都彩時記 夏 京都彩時記 夏
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2001-06-06
宵々山の日(15日)の夜に京都に入り、月曜(21日)の夜東京に戻ったから、丸6日京都にいたことになる。

京都に通い始めて5年、毎年欠かさず、山鉾巡行の何日か前には京都に入り、夕暮れ時にはコンチキチンの音に誘われるように鉾町にくりだす、ということを繰り返してきた。

それほど祇園祭(特に宵山)には独特の魅力(情緒)がある。

京都の異様な暑さ、夜の闇に響くコンチキチンという音色。

巡行を待つ無数の鉾や山。

青い闇に向かって高くかかげられた無数の黄白色い提灯。

烏丸通りのような大路から名も知らぬ小路にまで並んだ夜店。

思い思いの格好で繰り出した人、人、人。

家々に誇らしげに展示された文化財級の屏風や着物。

京都人は閉鎖的だとよくいわれるが、見るからに威厳のある(普段なら近づき難い)商家も、この期間ばかりは開放され、奥にある坪庭の方にまで迷い込んだ観光客が縁側で家の人にお茶を振舞われたりもする。

とにかく特別なのだ、この宵山の期間は。

京都という都会のハレの日。

大げさな言い方で恐縮だが、そこには人生の素晴らしさのほとんどすべてがある(与謝野晶子は「今宵見るひと皆美しき」という表現を宵山にこそ割り当てるべきだった)、とさえ思う。

祇園祭は京の町衆の自治の証、といった言われ方をすることがある。

確かに、宵山の開放感は、フランス革命時などのパリの民衆の高揚感もかくや、と思わせるものがある。

祇園祭の季節、「日本に京都があってよかった」、とつくづく思う。

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