黒ウサギ外伝

本編『黒ウサギ的こころ』のブログです。

黒糖カステラサンド

2024-05-17 04:25:15 | 戯言

スーパーへ行ったら黒糖カステラサンドってのが目に留まった。

正確には、太宰治が目に留まったという事ですけどね。

これは、イギリストーストでおなじみの工藤パン。

太宰治の生誕の地は金木町で現五所川原市です。

当然買って食べてみたが、200円程度でこの味はなかなかです。

また売られてたら買うと思う。

 

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8 コメント

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黒糖 (川崎鉄馬)
2024-05-17 18:36:41
黒糖といえば私の中では奄美のイメージ。
太宰治と結び付かない。
小説に黒糖が出てくるんですかね?
と、太宰音痴が考えました(太宰は嫌いです)。
うーん、これはきっとジャンコクトォに違いない。
斜め読みのダス・ゲマイネに「コクトオ気がちがいそうになって日がな一日オピアムばかりやってる」とあった(海賊の2ページ目くらい)。
なるほど。
で、真偽を確かめるべく黒糖カステラサンドをググりましたら、同じ工藤パンに「人間失格カステラサンド」というのを見つけていたく感激、コクトオはどうでもよくなりました。
これはいい。
太宰の小説を抜きにして「人間失格」はいい。
食べ続けると糖質廃人になって「人間失格」
「黒糖で気がちがいそうになって日がな一日糖質ばかり摂ってる」
実にいい。
川崎鉄馬さんへ (黒ウサギ)
2024-05-17 22:02:07
太宰治と黒糖カステラサンドは全く結び付ける事が出来ませんでした。
結局、答えの出ぬまま食べました。
ああそうか、ただ単に太宰治と言う地元の有名人を出せば私みたいになんだべと思って買う人がいるだろーという罠なんでしょう。
私は見事にその罠にハマったわけでした(笑)
Unknown (ポン吉)
2024-05-18 08:00:48
私も太宰音痴でして‥‥‥‥
同じ東北の作家さんでは宮沢賢治先生推しです。

工藤パン、黒糖入り食パン「斜陽」とか。
人生に詰んで、夕陽が沈む様をぼんやり眺めながら闇夜に向かって黒糖食パン斜陽をつまむ‥‥
これはあり得ませんね(汗)

金木町(五所川原市)なら吉幾三芋焼酎「酔唄」とかあったら買います。
ポン吉さんへ (黒ウサギ)
2024-05-18 09:12:28
こういっちゃなんですが、金木町の人で太宰治の作品を読んだ事のある人はほんの一握りだと思います。
青森県で一番なまりの強い場所ですから、当時はそれだけ閉鎖空間?だったのでしょう。
そんな場所で全国区の作家さんが出たら、そりゃ地元の星って事で押しますわね。
結局、愛人山崎富栄と青酸カリを飲んで玉川上水へ入水したんですよね。
https://www.google.com/maps/place/%E7%8E%89%E9%B9%BF%E7%9F%B3%EF%BC%88%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB%E5%85%A5%E6%B0%B4%E3%81%AE%E5%9C%B0%EF%BC%89/@35.7011686,139.5647746,70m/data=!3m1!1e3!4m6!3m5!1s0x6018efb40b3557e3:0x6045fabba941f9db!8m2!3d35.7011708!4d139.5649407!16s%2Fg%2F11c4__m453?entry=ttu

調べたら青森産の焼酎では「津軽海峡」「やってまれ」「頑固者」「爆裂無双」なんてのがありました(笑)
なつかしい (川崎鉄馬)
2024-05-18 10:44:11
以前にも書きましたが、この近くで幼少期を過ごしました。
そのころは「玉鹿石」なんてありませんでした。
ここから井の頭恩賜公園の方へすこし行ったところに山本有三の旧邸宅があり、有三文庫として公開されてました。入口に大きな石がおいてあり「路傍の石」ということでしたね。落ち着いたたたずまいが心地よく、よく通いました。
三鷹駅の北口には国木田独歩の碑がありました。
その三鷹駅から西へ、三鷹電車庫の少し手前には跨線橋があり(陸橋と呼ばれてました)、太宰はそこから見る富士がお気に入りで来客があると案内したということです。
太宰の墓はここから南へ1.5kmほど行った禅林寺にあり、毎年6月には「桜桃忌」が催されます。その墓の近くには鴎外の墓もあります。
こんな環境だったのに文学とは無縁に育ちました。
Unknown (ポン吉)
2024-05-18 12:18:00
まぁその、金木町の殿と言われていたほどの太宰治の実家、そんな環境で育って、だいたいその時期の資産家は彼女(お妾さんとか)も複数いたでしょうし。
お金持ちにはお金持ちなりの(秀才には秀才なりの)悩みもあったりして自殺未遂や自殺という生涯だったのでしょうかね。
明日の食事にも困るような貧乏人(私のような)とは苦悩のレベルが違うというか。

川崎さんは文豪と深いゆかりの地で育たれたんですね。それだけでも凄いし、脳ミソも私の数十倍の密度だと思います。
頭の良い人が羨ましい。
川崎鉄馬さんへ (黒ウサギ)
2024-05-18 13:16:11
懐かしいでしょ。
金木町産の玉鹿石を置いたのはずっと後からでしょう。
今は都会の片隅に埋もれた感じですかね。
当時の玉川上水付近は入水自殺出来るほど、長閑な所だったんでしょうね。
確かに近くに山本有三記念館もありました。
しかも太宰治の墓も見つけました。
その筋向いには森鴎外の墓と来たもんだ(笑)
ポン吉さんへ (黒ウサギ)
2024-05-18 13:33:00
斜陽館を数年前に見ましたが、函館の老舗旅館ぐらいの大きさがありました。
奉公人も沢山いたでしょうに、お金には全く苦労する事はなかったでしょう。
そして、二十歳の頃から自殺未遂と女に明け暮れてます。
石川啄木と太宰治は、上半身と下半身は別物だと思ってました(笑)

石川啄木は、まだ教師や新聞社で働いてたから許し・・・あっ、
でも、働いた金を奥さんに上げずに女遊びばっか。
我が暮らし楽にならざり、泣きぬれて蟹とたわむったり、3か月ぐらいで職を転々とするメンタルの弱い若者、たまたま文才があっただけ。
そんな風に私は思ってますわ。
まあ、26で鬼籍に入っても、いまだ語り継がれるのは逆立ちしても真似出来ませんけどね。

そうそう、石川啄木が亡くなった1912年4月13日は、タイタニックが氷山に衝突した日でした。

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