くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

「言った者勝ち」を許さない社会に!

2013-08-20 23:31:26 | つれづれなるまま
「はだしのゲン」の閲覧制限問題。
いままでの報道を見る限り、
一部保護者からの閲覧禁止の申し入れを受け入れた、
学校側の対応に賛同する人たちは少数派のようです。

この漫画の閲覧制限の是非はさておき、今回の事件に限らず、
一部の保護者や活動団体の申し入れに過敏に反応し、
安易にその言いなり通りに対応してしまう学校や行政、企業が、
最近は多くなったように思います。

「事を荒立てたくない」
「もめごとは回避したい」
「穏便にやり過ごしたい」
そういう気持ちはとてもよく理解できます。
しかし、そのような申し入れに安易に対応する「事なかれ主義」は、
「言った者勝ち」「声の大きな者勝ち」の社会を助長するだけです。

そしてそれはごく一部の少数者の偏重した意見を、
あたかも一般的な多数者の意見のように錯覚させてしまう、
とても危険な対応でもあります。

「たいした要求ではないから」という考えでとった対応は、
結果的に相手の要求の正当性を裏付けてしまうこととなり、
更に増長した要求となって再び降りかかってくるでしょう。

安易にやり過ごそうとせず、
問題の本質は何かをよく考えたうえで結論を出し、
「我々としての考えはこうである」という議論を交わす胆力、
そして賢明さをもってもらいたいものです。
そうすれば、「言った者勝ち」「大きな声の者勝ち」の社会も、
多少は改善されるのではないでしょうか。



大家族減税制度の実施を!

2013-08-18 22:35:24 | 政治経済のことも考えよう
少子化と高齢化の問題を一度に解決する方法のひとつとして、
「父母や祖父母との同居世帯への大幅減税」をしてはどうでしょうか。
それも扶養控除などといった実態と実感の伴わない方法ではなく、
同居を条件として所得税や住民税などの税率を変えるのです

父母、祖父母が同居する世帯は、
若い親が共働きでも乳幼児の世話をしてもらえるので、
子どもを産みやすくなるし、待機児童の問題も緩和されます。
すなわち少子化対策に貢献するわけです。

また、父母、祖父母が同居する世帯は、
例え介護が必要となった場合でも、子供が同居しているので、
すべてを社会福祉に頼る必要がありません。
高齢者の生活保護費の削減にもつながるでしょう。
すなわち高齢化社会の対策にも貢献するわけです。

このように父母や祖父母と同居するような大家族世帯と、
核家族世帯とでは、社会福祉にかかる税金の度合いが異なります。
そこで自助力のある大家族世帯に対しては、
税的な優遇を行い、大家族世帯の増加を促進させるのです。

もちろん、何らかの理由で同居できない人や、
「親とは同居などしたくない」、などと言う人もいるでしょう。
そういう世帯には、きっちりと税金を納めてもらえばいい。
いわば社会保険料のようなものです。

このようなことを言うと、
「家族の在り方を国が指図するのは間違っている」、
と反論する人が必ず出てきます。

これは家族の居り方を強制するのではありません。
世帯の状況によって税率に差異を設け、
示された選択肢から国民自らが選ぶのです。



韓国が踏襲する日本が来た道

2013-08-17 14:23:02 | 政治経済のことも考えよう
国をあげての反日運動。
学校では徹底した嫌日教育。
それはあたかも「鬼畜米英」のかけ声のごとし。

自国の発展繁栄には民族の優秀性を吹聴し、
国力の停滞や経済不振は他国のせい。
正しい歴史認識を標榜する歴史教育は、
統治に都合のいい単一化された主観的歴史観。
それはあたかも「皇国史観」の教育のごとし。

身の丈知らずの好戦勢力が威勢良く、
都合の悪い言論は封殺し、入国さえ拒否する排他性。
それはあたかも「非国民」の罵声のごとし。

いまの韓国社会に、
かつて戦争に突進しした戦前日本と同じ社会性、
国民の精神構造を感じます。

歴史から学ぶというのはまさにこういうこと。
歴史を利用する者は、必ず歴史を繰り返します。
このままでだいじょうぶなのか、韓国!















映画「終戦のエンペラー」

2013-08-13 08:42:00 | こんな映画をみた
歳をとってからでないと見えてこないものがあります。
長く生きているからこそ、だんだんわかってくるものもあります。

「天皇制」もそのひとつです。

若いころは、私たちの日常生活や潜在意識の中にある、
日本独特の天皇という存在の影響に気がつきません。
むしろ天皇制など時代遅れで、無用なものであるとさえ思うものです。
しかし、天皇制と切っても切り離せない日本の歴史を学び、
世界史におけるいくつもの君主制を知れば知るほど、
その違いと、天皇制の際立った特異性に気づかされます。

大災害に見舞われても整然と振る舞い、共助を尊重する心。
個人よりも公(仕事や社会)を優先する滅私奉公の精神と責任感。
社会生活では信義に厚く、大義を重んじようとする理性。
共同体が危機に陥ると、私を滅して結集し行動する団結心。
そのような日本人の精神性は、災害の多い狭い島国であったことや、
数百年にわたる鎖国と武家政治によって培われたとも言えますが、
その根底には常に天皇制があったことも否定できません。

日本人にとっての天皇制は、
日本人のDNAに刷り込まれた富士山のようなものなのです。

天皇制は存続すべきか否か。
そのことに対する答えは人さまざまでしょう。
しかし、天皇制がなくなれば、孫や曾孫の代の日本人は、
今とはまったく異なった精神性を持つ民族になっていることでしょう。

翻って、映画「終戦のエンペラー」。
戦後日本が共産主義化しなかったひとつの理由が描かれています。



国指定名勝「三溪園」

2013-08-12 18:53:00 | お出かけ
横浜の国指定名勝「三溪園」に行ってきました。

三溪園は、明治時代末から大正時代にかけて、
製糸・生糸貿易で財をなした実業家「原 三溪(富太郎)」が造った、
175,000㎡にもなる広大な日本庭園です。
園内には、京都や鎌倉から移築された17棟の歴史的建築物が配され、
当時の大富豪の桁違いのスケールを感じさせます。

(写真はクリックで拡大)

 
正門を入るといきなり広がる大庭園。
まるで時代劇の世界にタイムスリップしたかのようです。
この庭園は明治39年(1906年)に一般に向けて公開されたそうです。

 
鶴翔閣(明治35年(1902年)建築 横浜市指定有形文化財)
原三溪が自身の住居として建築した建物です。
原三溪は存命中、新進芸術家のパトロンとなり、
ここで横山大観や下村観山などの画家が絵を描いて過ごしたそうです。

 
臨春閣(慶安2年(1649年)建築 大正6年(1917年)移築 重要文化財)
紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山の紀ノ川沿いに建築した別荘。
内部は狩野派の絵師による障壁画が各所にみられ、
移築当時は原家の私邸として使用されていたそうです。
建物内は立ち入り禁止となっているのが残念です。


月華殿(慶長8年(1603年)建築 大正7年(1918年)移築 重要文化財)
京都・伏見城にあった、大名来城の際の控え所として使用されたと言われる建物。


聴秋閣(元和9年(1623年)建築 大正11年(1922年)移築 重要文化財)
京都・二条城にあったといわれる、徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築。

 
旧燈明寺三重塔(室町・康正3年(1457年)建築 大正3年(1914年)移築 重要文化財)
園内の中央の山の上にランドマークとして配された三重塔。
京都・木津川市の燈明寺(廃寺)から移築された塔で、
関東地方にある木造の塔としては最古のものだそうです。
山の上から見下ろしたところにあるのが、旧燈明寺本堂です。

 
旧燈明寺本堂(室町・康正3年(1457年)建築 昭和62年(1987年)移築 重要文化財)
燈明寺は聖武天皇の勅願によって天平7年(735年)に開かれた日蓮宗の寺院。
廃寺となる近年まで京都に所在しており、この建物は昭和22年の台風で被害を受け、
解体保存されていたものを昭和63年に三溪園に移築したそうです。

 
合掌造り・旧矢篦原家住宅(江戸後期建築 昭和35年(1960年)移築 重要文化財)
飛騨・白川郷にあった建物で、園内の建物の中で唯一屋内を見学できます。
飛騨の農家の中でも豪農だったそうで、現存する合掌造りでは最大級の建物だそうです。



「古建築はもともと建てられた場所にあって、
 その時代を生きた人々に使われ、土地とともに伝えられて価値があるもの。
 移築して集めてしまっては、単なるコレクションに過ぎない」
古建築に関しては、少なからずそう考えていましたが、
明治・大正時代から移築されてそこにあり続け、
かつて芥川龍之介やタゴールなども訪れて目にした風景となれば、
それはそれでもうすでに歴史的価値を持つのかもしれません。

また、原三溪が収集しなければ、
とうに失われてしまうはずだった歴史的建造物もあったはずで、
移築自体を真っ向から否定することはできないと感じました。

「建物園」を見に行くようなつもりで行ったのですが、
広大な敷地に地形を活かし、庭園との調和をはかった建物の配置は、
いつまで見ていても飽きない、見応えたっぷりの名勝でした。

すべての建物の内部も公開してもらえれば、
もう何も言うことはありません。