
北戸張の交差点のすぐそばに所在する「厳島社」。
その隣には「護国神社」(=忠魂社)が鎮座しています。
前回は“忠魂社”と紹介しましたが、『埼玉の神社』によると、
昭和14年に政府が指定・無指定護国神社制を定めたため、
“護国神社”と社名を改めたということです。
この神社は、日清戦争以後戦場で散った英霊たちを
顕彰・慰霊するために建てられました。
同書には、次のように記されています。
(戦没者の)御魂を迎え、子々孫々に至るまで守り仕え奉らんと、
遺族をはじめ在郷軍人会、住民らが英霊の誠忠を偲び、
永遠に亀鑑として敬仰すべく社殿の奉建を画した。
そして、最後にこう結んでいます。
今ここで再び、戦前・戦中・戦後を見直すとともに、
新たに護国神社の来し方、行く末を考えねばならぬ時であると言える。
ここで、英霊の遺族の減少や、
世代交代による意識の変化なども重要な問題となっている。
静かに英霊の声に耳を澄ませて聞き入る心境はいつの時代も変わらずにありたい。
参考文献
埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社』
その隣には「護国神社」(=忠魂社)が鎮座しています。
前回は“忠魂社”と紹介しましたが、『埼玉の神社』によると、
昭和14年に政府が指定・無指定護国神社制を定めたため、
“護国神社”と社名を改めたということです。
この神社は、日清戦争以後戦場で散った英霊たちを
顕彰・慰霊するために建てられました。
同書には、次のように記されています。
(戦没者の)御魂を迎え、子々孫々に至るまで守り仕え奉らんと、
遺族をはじめ在郷軍人会、住民らが英霊の誠忠を偲び、
永遠に亀鑑として敬仰すべく社殿の奉建を画した。
そして、最後にこう結んでいます。
今ここで再び、戦前・戦中・戦後を見直すとともに、
新たに護国神社の来し方、行く末を考えねばならぬ時であると言える。
ここで、英霊の遺族の減少や、
世代交代による意識の変化なども重要な問題となっている。
静かに英霊の声に耳を澄ませて聞き入る心境はいつの時代も変わらずにありたい。
参考文献
埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社』
何度もこの道を通っていたのに氣付きませんでした(T-T)
教えて頂きありがとうございます☆
そね時の事を書いたブログです(^-^ゞ
http://ameblo.jp/yukikumi10141130/
拙ブログを見て足を運んだという言葉を聞くと嬉しいですね。(*^_^*)
羽生には、何気なく建っている神社仏閣が少なくないですよね。
かつて厳島神社の周囲は水堀だったそうです。
貴ブログに素敵な感じで紹介されていますね(^o^)
クニさんの執筆なされた書籍も拝読中です♪
ありがとうございます∞
雪もだいぶ消えてしまいましたね。
羽生城の拝読、ありがとうございます。
読みづらい部分もあるかと思いますが、羽生城ワールドを楽しんでくださいね(^-^)