クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生駅前に“ボーリング場”があった? ―羽生東武ボウル―

2013年05月29日 | 近現代の歴史部屋
羽生駅東口にある白い建物は、
ぼくの記憶では「東武ストア」から始まっている。
しかし、実は東武ストアの前身となるものがあった。

それは「東武ボウル」。
ボーリング場である。
もともと、ボーリング場として建設された建物だった。
だから、やや特徴的な造りをしているのだろう。

昭和40年のボーリングブームの流れに乗って登場したという。
1階と2階ともボーリング場で、
当時は1時間待ちというのも普通だった。
現在は居酒屋店が入り、それ以前はファーストフード店だった一角は、
軽食ができる場所だったらしい。
記憶にはないが、「東武ストア」の時代にもそれはあったかもしれない。

昭和54年生まれのぼくは、「東武ボウル」の存在を長い間知らなかった。
生まれる前に、「東武ストア」に変わったのだろう。
ブームとともに去っていったのだろうか。
ボーリング場からスーパーに変わるというのも面白い。

当時は、「マイボール」「マイシューズ」を持って
ボーリング場へ行く人が多かったという。
家族で楽しむことがあれば、デートで使った人もいたに違いない。
あるいは、個人でひたすら腕を磨いた人もいただろう。

ぼくが物心ついた頃はすでに「東武ストア」で、
日ごと祖母と一緒に買い物へ行っていたのを覚えている。
中学生くらいになるとその一角にファーストフード店が入り、
客層も急に若返ったものだ。
女子高生が集団で席を占拠したり、
カップルが向かい合ってポテトを食べる光景もよく見かけた。

「東武ストア」はやがて「オオサワ」という店になった。
それに伴ってのことか記憶が定かではないが、
2階がカラオケ店となった。
何かの打ち上げにその店に行く人も多かっただろう。

文化祭のあとやテストが終わったあと、
そのカラオケ店へ行ったことがある。
駅前へ行けば、必ずといっていいほど他校の同級生がいて、
カラオケ店にも高い確率で知っている顔があったものだ。
少し気になる子がいれば、カラオケ店やファーストフード店の空気は変わって、
やや戦場めいていたかもしれない。

ぼくらは10代の多くをその白い建物で過ごした。
同級生たちと楽しく過ごすこともあれば、
ときには恋がらみで傷つくこともあった。
それは「東武ボウル」の時代からもたくさんあっただろう。
ボーリング、ファーストフード、カラオケ……
駅前にあるその建物は、
羽生の青春を背負ってきたのかもしれない。

現在もその白い建物は健在だ。
駅周辺は変わったが、建物そのものは昔のままである。
そこにはたくさんの「青春」が詰まっているに違いない。
世代を越えた「青春」が、
今日も歴史と共に新しいときを刻んでいる。

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