クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

戦国時代の鉄砲はどう防ぐ? ―竹束―

2012年05月13日 | 戦国時代の部屋
 金鑿ヲ集メ城中ヘホリ入ル程、城ノ兵トモ鉄砲ヲソロヘテカネホリトモヲ打殺ス、
 上ヨリミヲセシ打ケルホトニ、金ホリ多死ニケレハ、ヨセ手工夫ヲ廻ラシ、
 竹ヲ結集メ、ソレヲタテニシテ、タケタワと名ツケ掘ケル
 (『北条記』)

松山城攻防戦の一幕である。
永禄5年から翌年にかけて松山城を攻めた北条・武田両軍は、
城の水源を断ち切ろうとした。
このとき信玄の命を受けたのは金堀衆だ。

ところが、『北条記』にあるように、城方は鉄砲を放つ。
金堀衆はこの弾丸を受け、死者は多数にのぼった。
そこで持ち出されたのが「タケタワ」(竹束)である。
竹を数十本束ね、それを楯としたのだ。

当時の鉄砲の威力は、いまと比べものにならないほど弱い。
至近距離ならともかく、ある程度距離が離れていれば、
弾丸は竹束を貫通することはなかった。
弾き返すこともあったという。

『北条記』では、この竹束のおかげで金堀衆は掘り進め、
やがて城内の櫓を2つ掘り崩したと記している。

映画「BALLAD ~名もなき恋のうた~」でも、
この竹束は登場していた。
城を攻める際、先頭の歩兵隊が手にしていたのが竹束だった。
竹は珍しいものではない。
ゆえに敵地で刈り取り、即席で作る竹束も多かっただろう。

松山城は、城方の奮戦空しく開城。
上杉謙信の救援を知らずしての開城だった。
その後、謙信が腹いせのために向かったのは騎西城である。
上杉軍は猛攻を浴びせる。
このときの戦いで鉄砲が使われたか不明だが、
騎西城の武家屋敷跡からは竹束が出土している。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« くっくっ……わかったぜ? ―コ... | トップ | “好き”の上は“ときめき”? ―... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

戦国時代の部屋」カテゴリの最新記事