こんにちわ、「くまドン」です。
今回のお城訪問は、奈良県(ならけん)・桜井市・芝の芝村藩(しばむらはん)陣屋です。
下の写真は、芝村陣屋の南門を移築した慶田寺山門です。
前回からの話の繰り返しになりますが、織田信長(おだのぶなが)の弟にあたる織田有楽斎(うらくさい、長益)は、関ヶ原の戦いで東軍に味方した為、徳川家康(とくがわいえやす)から大和国(現在の奈良県)の一部を加増され、3万石の大名となりましたが、3万石の所領のうち、1万石を有楽斎の隠居料に、残りの1万石ずつをそれぞれ四男の長政(ながまさ)と五男の尚長(なおなが)に分与して相続させました。
四男・長政の系統が今回の芝村藩、五男・尚長の系統が前回まで話をした柳本藩として幕末まで存続しています。
柴村藩は、最初は戒重村(現在の桜井市・戒重)に陣屋を構えていたため、戒重藩(かいじゅうはん)とも呼ばれます。
第7代藩主・織田輔宜(すけよし)の延享2年(西暦1745年、8代将軍・吉宗が9代将軍・家重に将軍を譲った年)に陣屋を芝村(現在の市立織田小学校)に移しました。
下の写真が、市立織田小学校ですが、随分凝った校門や塀(へい)の造りです!・・・
年末なので、学校は休みなので気にせず撮影できました。
陣屋跡は小学校の敷地ですが、下の石垣は、陣屋時代の石垣が現存しています。
また、陣屋の南門が慶田寺山門として移築されているので、こちらにも寄ってみました。
【慶田寺(けいでんじ)】 住所:奈良県桜井市芝753、曹洞宗(そうとうしゅう、禅宗の一派)の寺
芝村藩・織田家の菩提寺(ぼだいじ、先祖の位牌(いはい)を納めてある寺)で、織田有楽斎の分骨塔と、芝村藩の歴代藩主の墓があります。
本堂です。開創は室町時代の長禄年間(西暦1460年、8代将軍・足利義政の時代)の古いお寺です。
墓地に「織田公墓所」があるのですが、年末で訪問客が多く、墓参りの人と勘違いして、墓地に入るのを遠慮したので、写真がありません・・・・・・・・・
下の写真は、境内の鐘楼です。
本尊は「十一面観音」(平安時代の作)ですが、お寺内なので、境内にあった仏像を代わりに撮影しました。
有楽斎の系統の織田家の話はこれが最後です。
前回までのブログは、
「城005 奈良県の織田家 柳本藩(1) 橿原神宮の文華殿」
「城005 奈良県の織田家 柳本藩(2) 黒塚古墳」
(ブログ上部のバーに直近前後のブログが表示されていますので、そちらをクリックしても、移動できます。)
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
実は、奈良県の織田家は、まだ続きがあるのですが、
東京都心で桜の開花が平年より1日早く宣言されましたので、この続きは4月以降にさせてください。
次回は、名所江戸百景の話に戻ります。スカイツリー(作るのが行き詰っています)か?桜の景か?
今回のお城訪問は、奈良県(ならけん)・桜井市・芝の芝村藩(しばむらはん)陣屋です。
下の写真は、芝村陣屋の南門を移築した慶田寺山門です。
前回からの話の繰り返しになりますが、織田信長(おだのぶなが)の弟にあたる織田有楽斎(うらくさい、長益)は、関ヶ原の戦いで東軍に味方した為、徳川家康(とくがわいえやす)から大和国(現在の奈良県)の一部を加増され、3万石の大名となりましたが、3万石の所領のうち、1万石を有楽斎の隠居料に、残りの1万石ずつをそれぞれ四男の長政(ながまさ)と五男の尚長(なおなが)に分与して相続させました。
四男・長政の系統が今回の芝村藩、五男・尚長の系統が前回まで話をした柳本藩として幕末まで存続しています。
柴村藩は、最初は戒重村(現在の桜井市・戒重)に陣屋を構えていたため、戒重藩(かいじゅうはん)とも呼ばれます。
第7代藩主・織田輔宜(すけよし)の延享2年(西暦1745年、8代将軍・吉宗が9代将軍・家重に将軍を譲った年)に陣屋を芝村(現在の市立織田小学校)に移しました。
下の写真が、市立織田小学校ですが、随分凝った校門や塀(へい)の造りです!・・・
年末なので、学校は休みなので気にせず撮影できました。
陣屋跡は小学校の敷地ですが、下の石垣は、陣屋時代の石垣が現存しています。
また、陣屋の南門が慶田寺山門として移築されているので、こちらにも寄ってみました。
【慶田寺(けいでんじ)】 住所:奈良県桜井市芝753、曹洞宗(そうとうしゅう、禅宗の一派)の寺
芝村藩・織田家の菩提寺(ぼだいじ、先祖の位牌(いはい)を納めてある寺)で、織田有楽斎の分骨塔と、芝村藩の歴代藩主の墓があります。
本堂です。開創は室町時代の長禄年間(西暦1460年、8代将軍・足利義政の時代)の古いお寺です。
墓地に「織田公墓所」があるのですが、年末で訪問客が多く、墓参りの人と勘違いして、墓地に入るのを遠慮したので、写真がありません・・・・・・・・・
下の写真は、境内の鐘楼です。
本尊は「十一面観音」(平安時代の作)ですが、お寺内なので、境内にあった仏像を代わりに撮影しました。
有楽斎の系統の織田家の話はこれが最後です。
前回までのブログは、
「城005 奈良県の織田家 柳本藩(1) 橿原神宮の文華殿」
「城005 奈良県の織田家 柳本藩(2) 黒塚古墳」
(ブログ上部のバーに直近前後のブログが表示されていますので、そちらをクリックしても、移動できます。)
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
実は、奈良県の織田家は、まだ続きがあるのですが、
東京都心で桜の開花が平年より1日早く宣言されましたので、この続きは4月以降にさせてください。
次回は、名所江戸百景の話に戻ります。スカイツリー(作るのが行き詰っています)か?桜の景か?